このささやかな日々を

 息抜きがてらの一服を終え、サンジは火種の残った煙草を地面にぎゅうぎゅう押し付けて消した。
吸殻はもちろんきちんと携帯灰皿に落とし込む。
 店回りの清掃は毎日の業務の一つ、このクソ暑い中わざわざ仕事を増やすのも馬鹿らしい。
暑気に中ったか、よいしょと立ち上がると軽く眩暈がした。
(っと、やべェ)
 夜半になっても大して下がらぬ気温のせいか、ここしばらくなかなか寝付けない日が続いている。
夏はこれからが本番だというのに我ながら情けない。
 同い年の幼馴染は今この瞬間も瓶箱担いで元気に炎天下を走り回っているだろうに―――
(ん?)
物臭そうに見えて割合ハタラキモノな恋人の姿をふと思い浮かべ、サンジは不愉快そうにむっとグル眉を寄せた。
(つーかもしかしなくても、俺が眠れねェのはぜんぶアイツのせいじゃねェか?)
 信じられないことに、お向かいのゾロの部屋にはいまどきエアコンがついていない。
古くて狭い四畳半にあるのは首振り機能の壊れた扇風機がひとつきりで、涼をとるにはいかにも不十分だ。
 ちょっとでも窓を開けるとか網戸にするとかしたら多少は緩和されると判っているのだが、通りすがりの他人にアノ時の声を聞かせる趣味はないのでそれはパス。
 暑っ苦しい部屋で暑っ苦しい男とひとつ布団にくるまっているのだから快眠できるわけがない。
しかし終わった後さりげなく冷暖房完備なサンジの部屋へ移動しようと勧めても、ヘンなところで繊細なゾロは「機械の風はなんか気持ち悪ぃ」と頑なだ。
 まあそんなのは言い訳で、ケモノ特有の縄張り意識が強いだけなんだろうとサンジは思っている。
ゾロ曰く、サンジの家はイコール「お前のじいさんの家」なのだそうだ。
(つき合わされるコッチの身になれってんだ)
 体力が落ちるのを危惧しなるだけセーブするよう心掛けているサンジの気持ちも知らず、いつも元気な幼馴染は、夏の訪れと共に密度の薄くなった夜の営みが甚くご不満らしい。
 せめてもの権利だとでも思っているのか、朝までくっついて眠るのを強制してくるのだからやってられない。
 まさしくとんだ悪循環だった。
(やらせてやってるだけ有難ェと思えっつの)
 困った野郎だぜ、と嘆息する小さな脳内に『はじめっからそれぞれの部屋で別々に過ごす』という選択肢はない。
 何しろ暑い夏より、もっとずっとお熱い二人なのだ。

(2006/12/30 夏の商店街裏通りより)



















 ワイルドライフ

 今のゾロは喋りはしないけど俺に対して友好的だ。目が合っても眉を顰めないし、悪し様に罵ることもしない。
 以前のゾロとはまるで違う。
多分、俺だってそうだ。何にも知らないゾロに対する皮肉や揶揄はどこを探しても出てきやしねェ。ワンコロみたいに寄ってくるのを見てるだけで、自然と顔が緩んじまう。目一杯甘やかして、優しくしてやりたくなる。
 まっさらなゾロに『俺』という人間を上書きしていく行為は、堪らない快感だった。
 ゾロの世界には俺だけしかいないのだ。
このままこの禁域で二人っきり、そっと寄り添うように暮らしていけたらどんなにいいだろう。
(―――アホ臭ェ)
 それは絶対に叶うことのない馬鹿げた望みだった。
今も必死でゾロを探している、あの気のいい仲間たちをどうして裏切れる? 俺の身勝手で足止めを喰らっている彼らから、この上大事な剣士までも奪うつもりなのか。
 彼の愛剣からは主人を、ゾロからは野望を?
奪うだけ奪って、代わりに俺は夢の海を捨てるのか?
「ぜってー、出来ねェ…」
 禁域での暮らしがどんだけ魅力的でも、冒険の日々には比ぶべくもない。
(でも)
 俺らの全てがあの海にあるんだと―――イヤになるほど解っちゃいるのに、帰る踏ん切りがつかないのだ。
 強欲で我侭な俺は、手に入らないおもちゃを店先で握り締めてる子供と同じだった。
どんだけごねても自分のものにはならないと知っていながら、諦められない。
「あと少し…少しだけだ」
 本音と建前のループに陥りかけるたび、俺は呪文のように同じ言葉を口にして自分を誤魔化した。
 少しだけだから。
もうちょっとしたら、ちゃんとゾロを返すから。
 おかしくなったのはゾロじゃなくて、俺のほうだ。

(2009/11/03 ワイルドライフ総集編より)
















 春に想う

 クタクタに疲れて倒れるように寝入っても、夜が明ければ自然と目が覚める。
ガンコな年寄りとの二人暮らしが功を奏して体に刻み付いた一日の活動スケジュール。体内時計は毎日きちんと狂いなく作動して、就寝がほぼ日の出に近かったこの日もサンジはきっちり覚醒した。
 まあ今日の理由はそれだけではなかったが。
(し、死ぬ)
 腹の辺りにぶっとい鉄棒があって、圧迫された胃が苦しい。
かつて小学校時代の体育で、女子にいいとこ見せようと前方支持回転…つまり前回りの連続三十二回なんてのをやらかして、うっかり吐きそうになったのを思い出しながらサンジは重い瞼を開いた。
「…うう、何だこりゃ」
 起き立てで霞む目前にあるのは見慣れた壁、ウエストに回っているのは鉄棒ではなくぶっとい男の腕だ。
 サンジは思わず首を傾げた。終わった後は確かフツーに正面から抱き合ってて、そのまますこんと寝入ってしまったような気がする。
(あーそうか)
 自分の体勢だけ百八十度変わっているのは、密着しすぎて暑苦しくなったすえ逃げを打ったからだろう。
 いまだ冬用の重い布団は三月も半ばを数えたこの季節には相応しくないし、ほぼ同じ身長な癖して横幅はサンジより一回り大きいゾロはそのくせ子供のように体温が高いのだ。
ケガの治りも早いようだし、新陳代謝がヒトより活発なのは間違いない。
 そんなロロノアさんは総身に知恵が回りかねるなんとやらを体現するかの如き馬鹿力で、サンジをがっちり抱き込んだまま寝入っている。
(こりゃ苦しいワケだぜ)
 横たわったまま身体を左右に揺すってみるが、サンジの腹部はジェットコースターの安全ベルトより頑丈にホールドされており、しかも抱き枕よろしく足まで絡んでいる。動かせるのは首と腕だけという有様だ。
「おい起きろ、朝だ」
 拘束をほどくべく自由になる両腕で一生懸命ゾロベルトを押しながら、サンジは無駄と知りつつ声を掛けた。
「…ゾロ!離せったら」
「………」
 頭の後ろから返事の替わりにくかーっと鼻から抜けるような寝息が聞こえてきて、ムカつくこと甚だしい。
「…ンの野郎…」
 ぐっと眉根を寄せたサンジはすうっと息を吸い込んで気合を入れ、丸い後頭部を思いっきり後ろに反らした。
「っうお!」
「いてて、目が覚めたかこの寝坊助!」
 相打ち覚悟の頭突きが効いて腕の力が緩んだところを逃さず、くるっと反転する。
(2006/06/18 春の商店街裏通りより)














 エイジング

 くるしい、と何度も告げた。

やめろ、ふざけンな、どうして!

 交尾する動物さながら、四足の屈辱的な格好を取らされて、それでもサンジは何度も相手に語りかけた。
 相手は―――ゾロは、サンジの腰を抱えて揺さぶりながら、やめねえふざけてねえと声を荒げた。
何故こんなことをするのか、という問いには答えなかった。
 一度ナカに吐き出した後もゾロは飽きずに腰を使い、勢いを失いかけたそれが内側でまた大きくなるのをサンジは絶望的な思いで感じ取り、裂けた場所を遠慮なしに擦られる痛みに耐えた。
 何が引き金で『そうなった』のかは、あれから相当な時間が経過した今もよく解らない。
田舎から上京してきて一人暮らしのゾロのアパートは、学校からもほど近く、グループの溜まり場にするには絶好の条件が揃っている。
 そろそろ受験やら就職やらを考えなくちゃいけなかった連中は高三に上がる頃はそれぞれ多忙になってしまい、皆で集まって遊ぶこともめっきり減ったけれど、早々に就職試験を終えて卒業後の進路がばっちり決まっていたサンジにはそんなの関係なくて。
 最後の夏休みに入ってからも変わらずゾロの部屋に押しかけてはだらだらして過ごしていた。
 その日、特に変わったことをしたつもりはない。
放っておくとコンビニ弁当やハンバーガーで夕食を済ませてしまうしょうもない悪友に栄養価のある食事を採らせてやるため、いつもみたいにスーパーで食材を買出ししてからアパートへ押しかけた。
「昼飯まだだろ?」
「ああ」
「待ってろ、クソ美味ェもん食わせてやる」
 たいして役に立ちそうにない小さな冷蔵庫へビニール袋の中身をぽいぽい入れていたら、固めた拳でこめかみ辺りをいきなり殴りつけられた。
 ウェイトの軽いサンジの体は部屋の中央まで吹っ飛ばされて、食事も勉強も全て賄う小さな座卓に背中を当ててようやく止まる。
 衝撃でくらくらする頭は正常な思考を阻んだ。
斜めになった視界に移ったのは、ついさっきまで屈んで覗き込んでいた冷蔵庫のドア。
 サンジが思い切りぶつかったせいか、蝶番からぱかりと外れてしまっている。
(やべェ、閉めなきゃ)
 サンジは咄嗟にそう思った。
この暑さではすぐに冷気が逃げてしまう。いくら安いからって期限ギリギリの魚なんか買うんじゃなかった。
 先に入ってた缶ビールだって温くなったら飲めたもんじゃない。
台所へ向けて手を伸ばすと、背中がじくんと痛んだ。濡れた感触が出血を知らせる。
 テーブルの角にでもぶつけたのだろうか、とのんびり首を後ろに回したら、背中の代わりに誰かの足が見えた。
(ゾロ)
 足の持ち主はサンジの横にしゃがみ込んで、伸ばした手首をぎゅっと掴む。
 思いがけず意気投合したものの、ゾロもサンジも元は我の強いやんちゃ同士だ。
サンジはかちんと来るとすぐキレる性質だったし、ゾロはゾロで一度こうと決めたことは何があっても引かない押しの強い人間だった。
 だから勿論今日初めて彼に殴られたわけじゃない。
 ふざけて下らない冗談を言い合ううちに、何度かは本気でムカついて大暴れすることもあったから、やたらケンカに強いのはわが身でもって体感済みだ。
 けれどここまで馬鹿力だとは思わなかった。
その気になりさえすれば、腕一本で自分を動けなくしてしまうほどだとは知らなかった。
 上げた悲鳴は全部、蝉の声が消してしまった。
(2006/05/03 エイジングより)

















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