あたたかい場所

 旨煮にするのとは別にあらかじめ避けておいた海老は、頭だけ残して殻を剥き天麩羅にした。
 汁を吸うことを考えて衣は厚め、隠し包丁でピンと背筋を伸ばした海老天は丼から尻尾がはみ出す巨大サイズ。
 ほわんと湯気のあがった年越し蕎麦を前に、海老スキーな恋人が僅かに(おっ)と目を瞠る。
 サンジは敢えて素知らぬ振りで、
「…夜中に揚げモンよりゃ鴨南蛮が良かったかなァ」
なんてぼそっと呟いてみた。
「や。これがいい」
「そっか、良かった」
 予想通りの即答に(素直な野郎だ)と内心でほくそ笑む。
ゾロの好物についてはかつての片思い時代、日替わりのサイドメニューを託けてさんざんリサーチした。
 交際が始まりやがて暮らし始めてからは、経費削減を理由に弁当まで持たせる念の入れようだ。地道な苦労が実り、今では「もうヨソじゃ食えねェ」と言わしめるほど。胃袋は掴みきったと自負している。
 とは言え、好物ばかりをバンバン並べ立てた食事で気を惹きたがっていると思われるのは(事実そうであったとしても)心外な料理人なのだ。
 幸いゾロは単純な男であったので、サンジの思惑に気付くことなく「いただきます」と嬉しげに蕎麦を啜り始めた。
 容積を三分の一ほど減らしてから徐に海老を摘み上げ、挟んだ箸の先っちょをくるくると回す。
 頭と尾、どちらから先に齧り付くべきか迷っているらしい。
(…マジ、コイツ可愛い…ッ)
 ぐわーっと湧いてきたのは立ってるんだか跳ねてるんだか判別のつかぬマリモ頭を抱きこんでぐりぐり撫で回したい欲求で、食事中にソレはマズイと無理やり自らを抑える。
 筋肉のカタマリで出来ているようなごっつい野郎へ向けるにはちょっと一般的でない、と言うか寧ろあまりにも相応しくない形容なれど、サンジが作ったものを口にしているゾロは、いつだってなんとも可愛らしく見えるのだった。
 夢中で頬張っている姿を眺めているだけで、ほわんと胸中にあたたかい灯がともる。
(あーうー堪んねェ)
 向かい合わせで箸をつけながら、サンジはひっそりと過ぎたシアワセを噛み締めた。
(2007/12/30 おでん屋サンジ総集編より)














 十年一日

 聞きなれたはずの幼馴染の声は、今まで一度だって聞いたことのない冷たい響きを帯びていました。
 長くて太い土管の影から現れたサンジは、つかつかとフェンスに近づいてきます。
 小さく尖った顎がくいっと上へ促したので、ゾロは背負ったままだったランドセルを降ろして向こう側へ放り投げました。
 手元を見ながらちょっと考え、竹刀袋は口に咥えて、二人の身長より五十センチばかり高いフェンスに手を掛けます。網目を二度ほど掴めばすぐに頂点に辿り着きました。
「…お前なんでこんなとこにいんだ」
 身軽にひょいと鉄線から飛び降りたゾロの質問に、サンジは呆れたように薄く笑って、
「へー。わざと連れて来たワケじゃなかったんだな」
「あァ?」
「良く見ろよココ。いつもの空き地だぜ」
 言われてあたりを窺うと、確かにそこらじゅうに見覚えのある場所でした。周囲とを隔てる黒ずんだ打ちっぱなしのコンクリ壁、雑草だらけの地面、狭い路地。
 毎日放課後、サンジと待ち合わせている空き地です。
(こんなに近かったのか)
 迷子癖のあるゾロは学校から少なくとも二十分はかかるところだと思い込んでいたので少々驚きました。道理でいつもサンジに「遅ェ!」と怒鳴られていたわけです。
 しかしいつもと違うところもありました。
この場所には土管なんか昨日まではなかったはずです。
 何本も土管が積まれているところには無骨な資材のかわりに高い木が沢山植わっていたはずだし、電信柱に張られていた『売地』の看板だってなくなっています。
 怪訝そうに眉を顰めていると、サンジがぼそりと
「工事が入るんだって」
と言いました。
「だから今日が最後ってわけだ」
「!」
 しゅんっと風を切るような音がして、ゾロは反射的に体を横へ反らせました。がしゃん、とそれまで居たあたりのフェンスがサンジの靴のかたちに凹みます。
「何しやがる!」
「あァ? ―――喧嘩に決まってんだろうが!」
 僅差で網にめり込んだ足はすぐに脇腹めがけて飛んできて、まだ袋から出してもいない竹刀で受け止めるのが精一杯。ぐぐぐ、と全体重を掛けてくるサンジの顔は、これまで見たことがないくらい冷たい表情をしています。
「悪かったなァ、これまで」
「…っ、何のことだっ」
「お忙しいてめェ様をマイニチ俺に付き合わせてよォ!」

(2007/11/18 十年一日より)

















 魔法使いの弟子と火の魔獣

『かまどの火がずっと消えなければいいのに』
 見よう見まねで描いた魔法陣。ド素人丸出しのまじないに引っかかったのは、魔物が迂闊だったのか、それともサンジに非凡ならぬ才能があったからか。
 とにもかくにも火の精霊は幼いサンジの前に突如現れ、しかし贄が用意されていなかったことに憤慨した。
「命をもって俺を呼んだ代償を払え」
 一瞬で灰と化すはずだったサンジを救ったのは、またしても間一髪で弟子の危機に間に合ったゼフだ。
 引き換えにゼフは己の右足を失い、魔物はその犠牲に満足して、今では使い魔として城の中央に収まっている。
 サンジが当初そう願ったように、時に料理に使うかまどの火として、時に動く城の燃料として、そして時には外敵を打ち滅ぼす烈火の刃となる最強の魔物は、同時に。
「…うっしゾロ!クソジジイのいねェうちにとっとといちゃついとくとすっか!」
 サンジの呼びかけに応えるように、かまどの火が天井に届くほど大きくごうっと燃え上がった。
猛々しい炎は少しずつ小さくなりながら幾重にも分かたれ、それは四肢となりやがて人間らしき影を象って―――。
 発現と同じく不意に炎が掻き消えた瞬間、部屋の真ん中に突如として現れたのは逞しい体躯を持った一人の男だ。
 男は短い緑色の頭髪をがりがりと掻き毟りながら、
「お前なぁ…爺さんから『悪さをするな』と言われたんじゃなかったか?」
と呆れ顔で呟いたが、サンジは忠告めいた言葉にも構わずに不審な男へ近づき、するりとその細い腕を男の首に回した。
「悪さじゃねェもん。俺らがやんのは『イイコト』だろ」
 ほぼ同じ高さに位置する薄い唇に、ちゅっと音を立てるキスを送ってにやりと笑う。
「―――しょうがねぇガキだ」
 迷惑そうに零しつつも男は応えるようにサンジの腰を引き寄せた。
人間ごときへの不名誉な従属を選んでまで傍にいたいと思った相手から誘われて、断るような愚を犯す筈もない。
 城を支える火の魔物は、同時にサンジの恋人でもあるのだ。
その名をロロノア・ゾロと言う。
(2007/08/18 海戦厨房VARIE2)



















 ハカタ観光案内

 訝しげな表情でちょんと両手を合わせた青年に向かい、ゾロは「アホか」と肩を竦めた。
「俺が神仏に祈るように見えるか? ガキの頃から同じコト聞かされてりゃイヤでも覚える」
「へー…」
「つうか、ンなもん見ねェでも気になるなら俺に聞きゃいいだろ。何やってんだ」
「そりゃてめェだよ」
 前でモゾモゾし始めた指先に呆れながら振り仰ぐと、後ろから抱きすくめる形で座り込んだ男が当たり前みたいな顔で唇を寄せてくる。
「ん」
 硬派っぽいのにこいつってばキスが好きだよなァ、なんて思いながらサンジは緩やかに瞼を下ろした。
 自他共に認める軟派なサンジに想い人からのアクションをわざわざ退ける理由があるわけもない。
 春先に出席した結婚披露宴。新郎ルフィと新婦ナミ、それぞれの友人だったゾロとサンジはその日に出会い、夜を境に恋人同士となった。
 ほどなく新年度を迎え、サンジはゾロの就職を機に半ば攫われるようにして彼の郷里であるフクオカへと移り住む羽目になり、早くも三ヶ月が過ぎている。
相手が野郎でしかも抱かれる立場なのだけはいまだにちとオカシな気もしているけれど、ひとめ会ったその時にがっつり結ばれちゃったほどの相手なのだ。ラブラブな上若いとくれば、キスもハグも勿論そこから先だって大歓迎。
(まー言わねェけどな)
 初夜(…)からゾロはやたらと偉そうな男だったが、彼の給料で共同生活するようになってから更に尊大になった気がする。あまり調子づかせるのは得策ではない。
 軽く触れ合わせた唇が一度はなれて、鼻先を掠めながら泳いだあと戻ってくる。
追いかけて仰のいたそのまま畳に押し倒そうと圧力をかけた男を、サンジは腕を伸ばして受け入れた。
(2007/08/18 博多っ子純情より)















 情熱の国へ攫って

「やっと起きたのか」
 頭の上から降ってきた声に、サンジはゆるゆると上体を持上げた。何故だか錘を背負っているように全身が痺れて重い。
 辺りは薄暗く、ここが室内であるらしいことが解る。少し離れた場所にある藤製のカウチには自分のジャケットが掛けられていた。
 低いテーブルの上には小さな香炉があり、そこからは薄い煙のようなものが絶え間なく立ち昇っている。
 先ほどから鼻腔を擽る甘美な芳香は、どうやらそこから出ているらしい。
「?」
 はて自分はいつの間にホテルに戻ったのだろうとサンジは首を傾げ、次いでまるきり見覚えのないその部屋の内装にぱちぱちと瞬きをし―――そこで初めて、先ほど出会ったばかりの男が、黒衣から幾分落ち着いた色合いの衣裳に着替えて隣からサンジを覗き込んでいるのに気がついた。
「…テメェ、は…?」
 男は相変わらず頭に長布を掛けていて、長いガウンのようなものを羽織っている。
どちらにせよずるずると裾を引き摺るような格好だが、精悍な顔立ちのせいか不思議とだらけた印象を受けなかった。
 サンジはいまだ自分の置かれた状況が掴めずにきょろきょろと頭を振って、
「ここァ…」
どこだ?と問い質そうとして途端にくらり、と眩暈を起こす。
 ふらついて横様に倒れようとした体を男が腕を伸ばして支えようとしたが、サンジはそれをバシッと払いのけた。
「オユルシもなくお触りくれてんじゃねェよ!」
 堂々啖呵を切ったはいいが、腕を振った勢いでそのままばたりと前へ倒れこんだ。
 柔らかなスプリングと絹のようなシーツがぽふっとサンジを受け止める。どうやらここはベッドの上らしい。
 サンジはそのままの格好でうう、と呻いた。
「ク、クソッ、体に力が入らねェ…!」
「無理に動くな。薬が抜け切ってねぇんだろ」
「薬だと?」
「攫う間に暴れられちゃ迷惑だからな。安心しろ、副作用はねぇそうだ」
「さら…」
 とんでもない台詞にぎょっとサンジは顔を横に向けた。
すぐ脇で長い足を伸ばし、面白いおもちゃでも見るように自分を眺める男に、サンジはようやくここに至るまでの経緯を思い起こす。
 両手で口を覆いながらぎゃーっと叫んで、自由にならぬ両足をばたばたベッドに泳がせた。
「テ、テメェ!さっきはよくも俺に汚ェもんくっつけやがったな!」
 男なんかにキスされたというとんでもない体験に、白い顔を真っ赤にして怒り狂う。
 男はくくッと喉の奥で笑いながら、サンジの顎を捕らえ上向かせた。
「キスくれぇでガタガタ抜かすな。今からァ手込めだ」
(2007/03/18 海戦厨房A LA CARTEより)


















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