The message in a bottle


ハルさんありがとう

「まだ怒ってんのかなァ、ナミさん…」
「………」

ぼんやり夕暮れの水平線に浮かぶG・M号を眺めながら、背中を丸め膝を抱えた男がその日何度目かになるセリフを繰り返した。
 薄い唇の端に挟まれた煙草には火がついていない。防水加工も施さず船から島まで泳いだお陰ですっかり湿気ったそれはへろへろで、どうも口寂しさから仕方なく咥えているだけのようだ。

「お迎えまだかなァ」

チッ、とゾロは短く舌打ちした。
 この小さな無人島に二人で泳ぎついてからまだ二時間ほどにしかならない。
その間ずっと隣の男は自分になど見向きもせず、遥か沖に停泊する海賊船をナミダメで見つめ続けている。
無論、意図的にだ。

「―――いい加減にしろ」
「…アァ?」

我慢も限界にキて苛々と漏らした一言に、待ち構えていたようにサンジが砂浜に寝ッ転がる男へ振り向いた。
 その目つきは先ほど船を眺めていた時のしょんぼりした表情がウソのように可愛げのカケラもない。
サンジはサンジで、自分の呟きを無視し続けた男にかなりムカついていたようである。凶悪さを隠しもせず、あからさまにゾロに対する不満を訴えている。

「誰のせいで島流しにあったと思ってんだこのクソ腹巻」
「………」
「よりにもよって、ナミさんの大事にしてらっしゃるみかんの木を…!」
「お前だって共犯じゃねェか」
「ンだと!?」
「ナンにもしてねェ俺にいきなり足出してきたのはお前だっけな。俺は売られた喧嘩を買っただけだ。…こっちこそイイ迷惑だぜ」
「ナンにもしてねェから蹴り飛ばしたんだろうがこの役立たず」

それまで情けなく海岸にへたり込んでいたサンジがさっと立ち上がった。
 それを受けてゾロもゆっくりと体を起こす。
瞬時にめらり、と見えない炎が対峙する二人の間に燃え上がった。








 G・M号クルーであるゾロとサンジは現在、航海士の怒りを買い『簡易島流しの刑』に処せられている。
 いつものように下らない言い争いをしていたら何となくヒートアップしてしまい、船上で大立ち回りを演じた挙句、うっかりナミのみかん畑に足を踏み入れてしまったのだ。
 ゾロに投げ飛ばされたサンジは新芽が出たばかりの枝を折り、サンジに蹴り飛ばされたゾロは若々しい幹をしたたかに傷つけた。
 はっとその惨状に気付いても後の祭り。
故郷から移植したみかん畑をこよなく愛する航海士の怒りは凄まじく、また流石の19歳コンビもしゅんと項垂れて反省の意を表した。
 その後甲板に正座させられた二人だったが、十分もしないうちにまたごちゃごちゃと口喧嘩を始め―――情状酌量の余地なし、とナミから手酷い"罰"を下されてしまう。

 通りすがりの孤島に置き去りにされたのだ。
少しは頭を冷やせ、と言うことらしい。


 実際は置き去りではなく「そんなに暴れたかったらヒトの迷惑にならないところで好きなだけおやり!」と問答無用で海に叩き落されたのであるが。
 海面から顔だけ出した二人にナミはにっこりと微笑んで、まっすぐ目の前の島を指差した。
「とっとと逝け」のジェスチャー。
航海士に逆らうことが絶対のタブーとされているG・M号、剣士とコックは仕方なく回れ右してちゃぷちゃぷと泳ぎ始めるしかなく。
 幸い悪魔の実能力者ではなかったゾロとサンジなのであっさり小島まで泳ぎ着くことが出来たが、上陸と同時にG・M号がゆっくり動き始めたのにはさすがにビックリした。
 どういうことだと慌てて船へ戻ろうとしたら、砂浜からにょきりと腕が生えワインボトルを投げ寄越し、

「あァんロビンちゃん差し入れ〜ッ…?」

条件反射でメロったコックは中身が空で、なおかつ酒の代わりにペンと紙切れが入っていることに気がついた。
 はて船からのメッセージかと訝しげにコルクを抜いてみるが、メモ用紙をちぎっただけのそれには何も書かれていない。
 と、瓶を投げ渡した腕から唇がひょこりと浮き上がった。
あまりのシュールさに剣士は咄嗟に抜刀しかけたが、

「―――航海士さんから伝言。『明日の朝まで島流しの刑。それまでに仲良くなれたらその旨したためて船に向かって流すように』頑張ってね、お二人さん」

パクパク開閉する唇にそんなことを言われてガックリ脱力した。まるでコドモ相手のおしおきである。
 そして二時間。―――じき、日が暮れる。








 額がくっつく位まで顔を近づけてギリギリ睨みあっていたサンジの瞳から、不意に力が抜けた。
くい、と体を引いて、大仰に両手をあげるのは「戦意喪失」のポーズ。

「―――やーめた」
「んだ?」
「下らねェ。なんでこんなとこまで来てテメェとやりあわなきゃいけねーんだ」

珍しい殊勝な態度にん?と眉を上げるゾロの前で、サンジはすっとペンを取り上げる。

「さっさと帰ろうぜ。メシの支度しなきゃなんねェし」

コレになんか書けばいいんだよな、とサンジはぺたりと砂浜に腰を落とした。
 背中を向け大人しく白紙に向かう金色の頭を、ゾロは不可思議なものを見るかのように凝視する。
なんだかコックの様子がおかしい。
 先ほどの船上ではただゾロが昼寝しているというだけの理由でケリを入れてきた男が、邪魔の入らない場所でゆっくり思う存分乱闘できるチャンスを逃すとはどういうことなのか。

(…うん?)

鈍い剣士はそこで初めてある事に思い至った。ほうほう、と顎に手を添えてニヤニヤとコックを眺める。

「んだお前、俺に構って欲しかったのか」
「―――アァ!?」
「早く言え。俺は言われねェと解らねェんだ」
「ンな、何を」
「最近ご無沙汰だったからな。うし。ヤルか」

なんていいながらうきうき背中から覆い被さってくる男に、首だけそっちにまわしたサンジがハァ、と気の抜けた溜息を落とした。
 やっぱりコイツはアホなんだなあ、という顔でまじまじとゾロを見遣る。

「テメェはどこまでデリカシーのねェ男なんだ…」
「ア?」
「悪いがなゾロ。俺ァ別にそーゆーつもりなんかはコレっぽっちもなくて、単純に純粋にストレートにテメェの暑ッ苦しい筋肉がぐーすか甲板でのんびりしてやがるのがムカついただけだ」
「―――ムカついただけ、だ?」
「っと、今更キレんなよ?おかげさんで随分スッキリしたし、思いがけず休憩時間まで貰えちまったし、今は早く船に戻って料理してェの俺」
「………」
「休日のオヤジよろしく好き勝手してばっかのテメェと違って、忙しいコックさんは朝から晩までずうっと働いてんだ。せめてストレス解消の捌け口くれぇにゃなって貰わねェと」

性欲解消の捌け口とどっちがマシだろうか、と一瞬で準備万端整えていたゾロはぼんやり考えた。

「ったく構って欲しいのはどっちなんだコラ。あー離れろ。凶器がケツに当ってウゼエんだよ魔獣」
「…どっちがデリカシーがねェんだ…」

ゾロは嘆息しながらサンジの丸い金色頭に顎を乗せた。
 仮にも自分たちは恋人同士なのではなかったか。
ヤりたい盛り、でも狭いG・M号の上ではなかなかそういった雰囲気になることもなく。
 自分とは違い、スキンシップ大好きな上どーも甘え癖のあるようなコックなので、ここしばらくの単調な船上生活でムラムラ来てるのでは、と思ったのだが。
 まさかイライラされているだけとは思わなかった。

「『もう喧嘩しませんから迎えに来て。ハート』うーん嘘はいけねーな嘘は」
「嘘なのかよ」
「コレはどうだ。『僕たちチョー仲良しです星マーク、ロロノア・ゾロ』…さ、寒ッ!」
「アホか」

ペンをくりくり弄びながら文面を考えるアホコックの横顔を、背中から抱きかかえるようにしたままで覗き込んだ。
 くるんと巻いた眉毛は面白そうに上がっていて、それなりに楽しそうだ。
やれやれ、とゾロは苦笑した。
 ゾロにとってサンジとはいつまで経っても理解不能かつ不思議な存在だ。
顔を突きあわせては殴り合っていたはずが、いつの間にか拳どころか体まで合わせる関係になっていた。
衝動や遊びでそんな器用な真似が出来る自分ではないので、信じ難いことにどうもこのコックにベタ惚れっぽい。
 それは当然相手にも言えることで、考えると背中が痒くなるがばっちり両想いだ。
そのくせ取るに足らないことで相も変わらず乱闘しまくっている。
 コックとドカバキ一戦交えるのは、遊びであれ本気であれかなり魅力的だし、あの首を倒してナナメ下から見上げるようにガン飛ばしてくる仕草もかなり気に入ってはいるのだが。

(こーいうツラしてっときは、なんつーか、ガキ丸出しっつうか)

喰っちまいたいホド可愛い、なんてどうしようもないことをゾロは思った。

「『助けてナミさん、犯される!サンジ』…シャレになんねーなこりゃ」
「…うん?」
「あれ、気付いてねェのか」
「何に」
「テメェよう、…『今すぐ俺に突っ込みたい』ってツラしてやがる」

そう言ったサンジがくくっと笑って目を細めた。
 ぐっさり図星を指された剣士だが、そこで焦るような男でもない。ニヤリと唇の端を歪め、

「そういうお前は、『さっさと押し倒せ』ってツラだな」

意趣返しに嘯いてみる。サンジは「んー」と瞳を一回転させて、さらに一言。

「ちょっと違うな。『サービスしろよエロ剣士』、だ」

珍しくもリクエストがあったので、ゾロは遠慮なくそうすることにした。
 乱暴に顎を捉えて上向かせて、唇の端にひっかかったままの煙草をぽい、と投げ捨てる。
おやおや、と挑戦的な蒼い瞳がゾロを見上げ、揶揄うように煌いたあとゆっくりその瞼を下ろした。
 ペンを砂上に転がした細い腕が、するりとゾロの太い首に廻される。
なんだかんだ言いながら構って欲しかったのはお互い様だったようである。








さてG・M号、女部屋。

「航海士さん、あの二人大丈夫かしら」
「なぁにロビン、心配?」

珍しくも何事か逡巡する様子のニコ・ロビンに、海図作成途中のナミはあはは、と笑ってみせた。

「あんたらしくないのね。…最近陸に上がることもなかったし、今頃はふたり仲良くいちゃついてんじゃないのー?」

いつの間にやらすっかり出来上がっていたゾロとサンジの関係は、他のクルーも周知の事実ではあったが、狭い船の上ではなかなか若い恋人同士(…)が愛を語らうわけにもいかず。
 剣士とコックの行き過ぎた喧嘩は欲求不満からに違いないと、実のところナミは気を利かせて二人きりの状況を作り出してやったのである。
 それはまああながちハズレではなかったけれど、未だにナミを文字通り激愛するサンジが聞いたら即座に海に飛び込んで入水を図ったであろうことは想像に難くない。

「明日の朝になったらゆっくり迎えに行ってやるわ。サカリが落ち着きゃあいつらだって少しは大人しくなってるだろうし」
「それはそうかもね。でも…」
「いーのいーの。うっかり迎えになんか行ったら、ゾロに斬りつけられちゃうわよ」

あいつアレですっごい繊細なんだもの、萎えちゃうわとカラカラ笑うナミに、面倒くさくなったロビンは続けるつもりだった言葉を飲み込んだ。

(あの島―――どんどん小さくなっていってるみたいなんだけど。満潮になったら海に沈むんじゃないかしら)

なんてロビンは首を傾げたが、まぁ二人ともあらゆる点で人外には違いないので放って置いても大丈夫だろう。



 使用されることのなかったボトルは既にゆらゆらと海面を漂っていたが、いちゃつくのに夢中になったバカップルは一生気付きそうにもなかった。
 対面座位で頑張る剣士が投げ出した靴先に海水が触れるまで、あと15センチ。

  

 (2003.10.13)

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