不治の病


 サンジはただいま、ものすごい病気にかかっている。
実家を離れ上京してからこっち、どれだけ気をつけてもフと気がついたら症状が現れているという、完治の見込みのまるでない病だ。

(あーもうどうするよ俺…このまんまじゃマジで死んじまう)

深夜とありがらんとした最終バスの中、窓ガラスに白い額をこつんとぶつけながらサンジは深く溜息をついた。
 これまではなんとかしのいできたものの、今回ばかりはほんとにヤバイのだ。








 思えば夏の間は、病状を進行させる出来事が相次いだ。
高校時代の同級生が大学の夏休みを利用してサンジのアパートを訪ねてきて「お前もう社会人なんだよなスゲー」なんて言われるのが嬉しくて、つい調子に乗って大盤振る舞いしてしまったり、やっぱ盆くらいは帰省だよなと仏壇もないのに里帰りしてしまった。
 極めつけは保険だ。
非番でまったりしていたサンジの前に現れた年若い外交員は、たいそう気さくで話し上手、かつものすごい美人だった。

「一人暮らしだと何かあったときすぐ頼れるものがなくて大変でしょ?備えあって憂いなし、もしものときはウチが全部メンドウ見てあげられるわよ」

 コックとしての技を磨くのに必死でカノジョも作れぬまま二十歳を越えたサンジである。
ぱりっとしたスーツ姿で玄関先に座り込んだ外交員が床に広げた小難しい書類より、ジャケットの胸元から覗くきゅっと寄せられた谷間に視線が集中してしまったのは無理もなく。
 ああっこんなキレイなお姉さまにあれこれメンドウ見てもらえたら…!なんて思ってるウチに、気づけば月1万の終身契約を結んだ上、勧められるまま一括割引まで申し込んでいたのだから間抜けな話だ。
 財布にはすでにその時点で2000円しか残っていなかったのに。
これは流石にヤバイと思ったサンジはそれ以後、出来るだけ金を使わないよう己で出来る最大限の努力をした。
 食事はレストランのまかないをフル活用してしのぎ、生活必需品であるタバコの量をセーブしながらなんとかやりくりして、残金はきっかり230円。
明日は待ちに待った給料日だが、やがて来る保険の引き落としを考えたら迂闊に喜ぶことも出来ない。
 腕は良くてもまだまだ新人なサンジの給料は高が知れている。
割引されたとはいえイキナリ5万8千円の出費は、懐を強かに痛めつけるだろう。
 一人暮らしの若僧にありがちなサンジの病名は、世間一般において『金欠病』と呼ばれている。









 手元のパスケースに収められた定期券の期限はちょうど明日。
明日も本日同様遅番だから、ヘタしたら帰宅は午前0時を回る。出勤はともかく帰りは徒歩になるかもしれない。なんせサンジに定期を更新する金などないのだ。
 日付だけ指でそれとな〜く隠してしばらくは無賃乗車、なんてセコイ手も浮かんだが、ヒトナミ以上の倫理観を持ち合わせているサンジにとってそれはやっちゃいけない『悪いコト』だ。
 とてもじゃないが実行に移す気にはなれなかった。

(取りあえずは明日、降りるときは日付変わってっけど乗り込むのは11時40分だし、ちこっとオーバーするくらいなら運ちゃんもマケてくれんじゃねェかな?)

 そう考えたサンジはちらりと運転席に顔を向けたが、バックミラー越しに件の運ちゃんとばっちり目が合ってその背筋を凍らせた。

(クソ野郎、運転しながらコッチを見てやがった…!)

つーか前を見てくれと思いながらサンジは努めてさり気無く視線を逸らした。
 名も知らぬ運転手だがこの時間帯はいつもがらがらな上、深夜勤務だからか目の下にひどいクマを作ってる男の顔立ちは特徴的でなんとなーく記憶にある。
 ついでにサンジが乗り降りする際やたらと彼が自分をねちっこく見てくるのにも気づいていて、(都会はホモが多いっつーから気をつけよう)なんて冗談交じりに警戒したこともあるくらいだ。

(ありゃダメだ、タダ乗り代わりに俺に乗られちまう)

 見知った運転手への相談を早々に諦めて、サンジは肩を竦めた。
勤め先はアパート近くの停留所からバスで半時間ちょいのレストランだ。近いとはお世辞にも言えないが健脚を誇るサンジなら徒歩で辿りつけない距離ではない。
 立ち仕事でぐったりした体を引き摺って夜道を歩くことを考えたら気が重くなるのも仕方のないことではあるのだが。

(このバスも乗り納めってヤツか…)

 バス通勤が好きだったわけではないがそう思うとなんとなく感慨深くもなってきて、サンジは車内をゆっくり見回した。
 路線的にさびれているのか、サンジが乗り込むのはいつもちょっとへたれたカンジのする古ぼけたバスだ。
まあ旧新差し引いても何の変哲もない無機質な空間だが、1年も使えばそれなりに愛着が湧くものなのだろう。

(せめて記念に、キレーなOLのおねーさまとかが居てくれてたらなァ)

 乗り込んだときはそれなりの人数がいたはずだが、終点から二つ前で降りるサンジを残してほとんどの客はすでに下車した後。
 残ってるのは前方のリーマンらしき酔っ払ったおっちゃんと、

(ったくウゼーなコイツ、他人の隣で気持ちよさそうに熟睡しやがって)

二人掛けのシートに合席した、見るからに肉体労働者っぽい作業服の若い男だけだ。
 サンジと同じ停留所から乗り込んだこの男は、流れに沿って自然と隣に腰を下ろし、発車と同時に眠りについた。
 野郎なんかと袖を擦り合わせる趣味のないサンジだから、本来ならある程度空いてきたあたりで席を移りたい気分だったのだが、隣の男は見せびらかすように長い足を投げ出して寝扱けており、しかし彼をまたいで移動するのも躊躇われた。
 どの道サンジが降りるときには起こすか乗り越えるかを選ばなければならないが、男の作業服はあちらこちら白く汚れていて、固く目を瞑った彼の頬っぺたや緑色の短髪にはコンクリの飛沫が薄くこびり付いている。
 着替えどころか顔を洗う暇もなく働いていたのだろうとは見当がついた。
その熟睡ぶりからも彼の疲労度は推し量れて、コックというある種同じ肉体労働に従事するサンジにちょっぴり親近感を抱かせもし、本来なら邪魔っけな足を蹴り飛ばしても快適空間を選んだサンジをして(ゆっくり寝かせてやろうじゃねェの)と同情めいた感慨を抱かせたりもしたのだ。

(―――あ!)

 と、隣人がすっかり寝入っているのをいいことにじっくり観察を続けていたサンジの目に、男の所持するソレが入った。
 サンジが座ってる位置からは反対側になる脇の下にがっちり挟まれているのは、一冊のよれた雑誌。
―――ジリ貧で読み逃した週間少年ジャ○プの最新号である。
 とはいえサンジは熱心な購読者というわけではない。普段からコンビニでの買い物ついでに立ち読みで済ませている。
 コンビニで買い物する金はとっくに尽きてるし用もないのに店に入れるほど図々しくもなかったので、今週は立ち読みの機会を逃してしまいそれっきり。
 ただ発売を忘れていたのならばそれほどの執着もしなかったろうが、目前にあるのに読めないと思うとやたら悔しくなってくるのは何故だろう。
 奇しくも明日は新しい号の発売日で、先でコミックスを買う金もトーゼンありゃしないサンジは、このままでは連載モノの続きを1週分飛ばしてしまう。

(………)

サンジの視線が一気に険しくなったのにも気づかず、男はぐーすかと良く寝ている。
 ちょっとくらい揺すっても目覚めないんじゃないか、―――ほんの10分くらいソレを拝借してもバレねェんじゃねェかな、なんてサンジが小狡いコトを考えてしまうほどに。
 後々になって考えてみればオケラな状況に自棄になって魔がさしたとしか言いようがないのだが、気づけばサンジの右手は通路側に伸びていた。

(たかが漫画だし、読み終わった後で元通りに返しときゃ問題ねェよな…?)

 どきどきしながらサンジは少し体を傾けて、男を起こさないようそーっと獲物に手を掛ける。
勇気を出してえいっと引き抜いても男は目を覚まさずにいてくれて、それからしばらくサンジはうきうきと思いがけずゲット出来たお宝にのめり込み、

「よし。―――最後まで読みやがったな」

大好きなジャ○ーさんのオチにぷっと吹き出したところで、一気に現実に引き戻された。
 手元の雑誌に集中しまくっていた顔をおそるおそる上げてみれば、隣で熟睡していたはずの男が、にいっと口角を上げてサンジを見つめている。

「この俺から盗みを働こうなんざイイ度胸だ。…さて、降りるぞ」

そりゃもうどっちが窃盗犯なんだって位の凶悪な微笑だった。
 次のバス停を告げるアナウンスが車内に空しく響く中、低い声で下された命令に後ろ暗いサンジを言いなりにさせるだけの強さが篭められていたのは言うまでもない。
 せめてもの救いだったのはジャ○プを持ったままの手首をぐっと掴まれ強引に降ろされたのが、偶然サンジが降りるべき場所だったこと(なのに朝まで自分の部屋に戻れなかったのはまた別の問題として)と、あともう一つ。
 サンジをお縄にしたゾロというその男が、初心者であるサンジを翻弄してしまうほどそっちの手管に長けていたことだったろうか。










 手を引かれるまま呆然と道を歩いていたサンジはほどなく我に返り、慌てて男に謝罪したが、詫びの言葉は「ふん」と鼻先であしらわれた。
 消え入りたい気持ちで「金は払うから」と開いた財布には前述の如く百円玉が2枚と十円玉が3枚こっきり、雑誌代には惜しくも20円が不足していて。
 思いっきり青褪めたサンジに向かい男はまた意地悪く哂って、それから。

「!?」

 薄暗い路上で突然抱きしめられたと思ったら、次の瞬間には唇に噛み付かれていた。
男の力が強すぎて身動きも取れないサンジの口中を嬲るような激しい口付けに、タダでさえ混乱しているサンジの脳髄はびりびり痺れて、終わるころには情けなく膝が砕けてしまう。
 崩れかける体を保つため、うっかり乱暴な振る舞いを仕掛けた相手に縋り付いてしまったのが運のツキだ。
耳元で低く囁かれた声は、恐らく下半身直下型と呼ばれる類のもの。

「今のは足りねぇ20円分。こっからは慰謝料だ」

くらくらしつつ連れ込まれた先はどうやらゾロの住まいで、『お持ち帰り』されたと気づいたときには後の祭り。
 罪悪感がこれほど人を縛り付けるものだとサンジは知らなかった。
ロクな抵抗も出来ないうちに身包み剥がされ、その身で慰謝料を支払い終わるその瞬間まで。









 嵐のような一夜が明け、中途から半ば意識を失っていたサンジは全身を覆う倦怠感と共に目を覚ました。
隣にはバスの中で散々眺めたゾロの寝顔。車内でのそれと比べたらやけにスッキリした印象なのが小面憎い。
 無体を働かれて痛む腰を労わりつつ服を身につけ、男が目覚める前にとコッソリ部屋を抜け出したサンジが目にしたのは、しかし驚くほど見慣れた風景だ。

「…なんで…?」

既視感にめまいすら覚えたサンジの背中に、一晩で散々聞かされまくったゾロの声がやけにのんびり響いた。

「バックレて逃げようとでも思ったか?」
「…ッてめ、また狸寝入りかよッ!」

怒りを込めてギッと振り返った先では、二人で汚した煎餅布団に横たわったままゾロがにやにやとサンジを眺めている。
 冷静になって考えてみればこの部屋の間取りには見覚えがありすぎた。低いモルタル天井と、ギリギリで2Kのせせこましさ。
 家具こそ違えどサンジの部屋とまるきり左右対称に造られたこの場所は。

「良かったなァ、お家が近くて」

 不規則な時間帯に仕事に出かける職業柄、サンジはこれまで同じアパートの住人に出会ったことがなかった。
初めて会う『隣人』に文字通り腰を抜かした青年を、やれやれと起き上がったゾロは軽々と担ぎ上げてご親切に隣室へと送り届けてくれたが余計なお世話だったのは言うまでもない。
 送ったその足で部屋に上がりこんだ男のために何故か朝食を作ってやる羽目になりながら、

(ホント悪いこた出来ねェ…)

と涙目になったサンジである。









 とかなんとか、かなり運のないサンジだったがしかし。
何の因果かゾロと知り合ったおかげで万年金欠病は一気に好転の兆しを見せた。
 気まぐれに作った朝食はサンジ同様に一人暮らしだった男の郷愁を呼び起こしたようで、大した物を食べさせたわけでもないのにゾロはいたく感激した。
 どうやらロクなものを食していなかったらしい。
これまでの食生活が窺える反応と本気の賛辞に、根が単純でヒトのいい青年はうっかりほだされ、乞われるままに今後ゾロの三食をまかなってやる約束をした。
 たった20円をカタにサンジを犯したくせに、吹けば飛ぶよなアパートに住んでいるくせに、実はドカチンで稼ぎまくっていたゾロはたいへん金払いのイイ男で、

「取りあえず一ヶ月分の食費だ」

と渡された金額は定期を更新してもたんまりお釣りがついてくるほど。
 むさ苦しい男ではあったが日々の食事を与えているうちおんぼろバスに抱いていた以上の愛着も湧いてきて、ついでに体の相性も良かったらしく、遅めの夕食を摂ったそのまま雪崩れ込むことも増えてきた。
 被害者から加害者へ、更に隣人兼恋人の位置へと着実にランクアップしていったゾロは、いつの間にやらすっかりサンジの生活の一部と化していて。
 若さに任せた激しいセックスが夜明け近くまで及ぶこともしばしばとあれば、わざわざ隣の自室に戻るのも面倒でしかなく、半同棲生活がやがて同棲になるのも間違いないだろうから、近い将来一人分の家賃は浮く勘定になるのである。
 こうして治り難い病から復調しかけたサンジだが、現在は新たな病に冒されている。
古来より『お医者様でも草津の湯でも治らない』といわれるそれには、どうやら一生オツキアイすることになりそうだ。





END

  

 (2005/09/07)

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