としうえの人


「ゾロはきつねに誑かされてるんだよ」

里の大人たちの真似をして、解ったような顔でくいなが言った。
俺はいつものようにそれを鼻で嗤って、ひょいと垣根を乗り越える。
これを初めて越えたとき、俺はまだ一人で狩りをすることも出来ないガキだった。
俺はこれをようよう登りきって里を出て、そしてあのきつねに出会ったのだ。
今もまだガキだけれど、すっかり低くなった垣根はほんの少し後ろ足に力を込めるだけで跨ぎ越せる。






 森の奥にある泉のほとり。
いつもきつねはこの近くに居る。居るけれど、姿は決して見せねぇ。
今のうちに、と俺は獣の四肢にぐっと力を込めた。
大地を駆るための体は幾分不便なそれに変わり、縞を刻んだ体毛はうっすらと消えていく。
きつねに会う前、俺は必ずこうやってヒトに近いすがたかたちに変化することにしていた。
そうするときつねとあまり背が変わらなくなるからだ。

 里では妖狐と呼ばれるこのきつねにはサンジと言う名前がある。
けれど俺にはその名を呼ぶことは許されていない。
俺が生まれるまだずっとずっと昔に、今はもう居ないたったひとりだけにその名前を口にすることを許したのだと言う。
だから俺はあいつをただ、きつねと呼ぶ。

「きつね」

泉に向かって声を掛けると、ぱしゃんと水面が跳ねた。
投げられたのは朽ちかけたあけびの実がひとつ。
それが飛んできた方向に頭を上げると、木の上に金色に光るものを見つけることが出来るのだ。
見つけられなかった日はきつねに会えないけれど、俺は本当はもう、あけびが投げられる前からきつねがどこに隠れているのか解るようになった。
 けれどこれは気位の高いきつねには秘密だ。
生意気だと罵られてまた決まりごとを変えられてしまうから。

「見つけたぞ」

ほどなくそのあたりの草叢ががさりと揺れて、そこから白い襦袢をつけたきつねが現れた。
 襦袢と同じくらい白い肌に、縫い取りと同じ淡い金色の髪。
ぴんと立った、髪の毛よりも濃い黄金の両耳とふさふさの5本の尾は、これがあやかしのいきものである証拠だ。
泉の水よりずっと深い蒼色の片目を覗かせた、俺が知る限り一番きれいないきもの。

「また来たのか」

俺が来ることなぞわかっているくせに、きつねはいつも呆れた顔でそう言う。

「来た」
「行くなと言われなかったか」
「関係ねぇ」

きつねは白い顔を面白そうに歪めて、嬉しそうに「テメェは本当にバカだなあ」と俺の丸い耳を撫ぜた。
それからいつものように、薄い唇を俺の額にあてる。
 これは初めてあった日から何度も繰り返されてきた儀式のようなもの。
俺がきつねのものだという証なのだそうだ。
二足だけの姿で立ったときの俺の背が、きつねの顎を越えてからもずっと続いている。

「来たがどうする虎の子。俺は悪い遊びしかやりたかねェぞ」
「それしか欲しくねぇ」
「いい返事だ」

きつねは笑って袖を俺の顔に翳した。
俺は浮かれた気分でてめぇの体にまじないが掛けられるのを待つ。
大人しくしていればそのうち一瞬だけ視界が闇に閉ざされて、開けたときにはきつねの屋敷に運ばれているのを知っているからだ。
どういうからくりなのかは教えてもらえた験しがねぇ。尾のわかれたきつねだけが使えるあやかしの技だ。








 きつねの閨に入ることが許されたのはほんの少し前。
俺が爪と体の毛をすっかり引っ込めることが出来るようになってからはだいぶ経っていた。
 それまできつねの姿を見ているだけで満足していた俺は、ある日突然どうしようもなくきつねに触りたくなった。
正直にそれを言うときつねはやっぱり呆れた顔で、

「俺ァ牡なんだがなァ」

と俺の前で赤い舌を閃かせた。
 それからぺろりと上唇を舐められて。
何がなんだか解らなくなって、無我夢中できつねの舌にむしゃぶりついた俺に、きつねは「ああ、悪い遊びを教えちまった」と嗤いながら自分で襦袢の帯を解いた。








「俺の血族はみな淫蕩なんだよ」

初めて俺が精を放ったのはきつねの体内だ。

「求められりゃあ誰にだって、テメェにさせたのと同じことをさせちまう」

それまで俺は、そこがあんなふうにがちがちに固くなることも、でかくなることも知らなかった。

「相手が一人ならまだイイんだろうがなァ」

きつねの白い足の真ん中には俺と同じもんがついていて、俺と同じように固くなって天を仰いでいた。

「お前を欲しがらないやつはいねぇだろう」

俺がそういうときつねは面白いことを聞いた、と言わんばかりに大笑した。

「アァそうさ、だから俺はこの森に逃げてきたんだ」

同じもんの下には薄紅の小さな襞があって、俺はきつねの白い指がそこを出入りするのをくらくらしながら見続けた。

「…ッア、クソ、ガキのくせに…」

促されるまま、きつねの指で開かれたそこに固ぇ棒みたいになった俺のを突っ込むと、きつねはひゅっと息を呑んで、もっと奥へと誘うように俺の短い髪を強く引っ張った。








それから毎日、俺たちは悪い遊びを繰り返している。
くいなの言ったとおり、俺は多分、悪いきつねに引っ掛かったのだろう。
けれど、俺が誑かされているという連中に、こいつのこの姿を見せてやりてぇと思う。
長くて細い四肢をせいいっぱい俺に絡めて、泣き出しそうな顔で俺をぜんぶ咥え込む、きれいなきれいなけもの。
誑かされるだけの価値はあるはずだ。







ことが終わるときつねはいつも遠くを見る。
離れてしまった群れを思っているのか、ただひとり名前を呼ぶことを許した相手を思っているのか。
どちらにせよ俺を見ているわけじゃねぇってのは確かだ。
悔しくなって、

「お前の顔が一番好きだけど、今みてぇな顔は好きじゃねえ」
「テメェはほんとうに、バカなガキだなあ」

早く大きくおなり、ときつねがまた嗤った。

 (2003/03/29)

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