□フィクションズ・オブ・ライフ かなや
「よォ、久しぶりじゃねェか」 「お、おう…っ」 ドアを開けた途端、にっこりとほほえみかけられて、Z-19、通称ゾロは靴のなかで数ミリあとずさった。 泳いだ視線の先には、自分のシルエットに陥没した壁がある。縦横に走った天井の亀裂は、衝撃を与えれば今度こそヤバイだろう。 「何処行ってたんだ?なかなか戻ってこねェから心配したぜ」 にこにこにこ。 次の展開が読めていても、ついうっかり見惚れかける笑顔の持ち主の名はサンジ。こちらはS-19。 「いや、ちょっと迷っちまって−−」 「『ちょっと迷っちまって』?」 憐れむようなまなざし付きの冷ややかな鸚鵡返しに、ゾロは弁明をあきらめて瞑目した。 「俺ァあンとき、もうじきメシだって云っといたはずだぜ?それをオオラカに3日も迷子かましやがって、どういう料簡だテメエっ」 めり、っとあやうくかわした踵が、床に大穴を穿つ。毎度のことながら、やることがムチャクチャだ。 げっそりとゾロは溜息をついた。ここで喧嘩に雪崩れ込む気力は、悔しいがさすがに残っていない。 「なんとか返事しやがれ、この旧式!」 ぐ〜きゅるる。 蹴りの態勢に入った長い脚がぴたりと動きをとめる。 「もしかして、ハラ減ってンのか?」 「あァ。まるきりなんも喰ってねェ」 「……チッ」 殺意と呼んでもさしつかえないほど凄まじかった怒気が、なにごともなかったかのように、あっさり霧消した。 どうやら戦意喪失したらしい。 拗ねたような表情になったサンジを見て、ゾロは内心で胸をなでおろす。 何から何まで、いちいち気に障る奴には違いないのだが。 「残しやがったら壊す」 なにやら美味そうな香りを漂わせるテーブルを顎でしゃくって、それでもう、すべての関心を失ったように背を向けるサンジの。 (あのアタマ、撫でてやりてェな) どうかしてると思わなくはないが。 忍ばせて蕩かすなめらかな肌には、もうとっくに馴染んでいるのに。 躯を重ねるのでなく、ただふれることは却って許されないような気がしていて、だからゾロはあのやわらかそうに煌く髪の手ざわりを知らない。 「廃棄処分だ?」 「しょうがねェだろ、俺たちもああなるかも、ってンなら」 そう呟いて煙草をくゆらす。 みごとなまでに何もない殺風景なその空間には、既に数本分の紫煙が立ち込めていて、S-19の精緻な容姿にチープなフィルターをかける。 「システム系統に壊滅的な打撃だとよ。ここの研究施設、あらかた廃墟だぜ」 「ああ」 「いったい何人死んだと思う?」 すべては突如暴走し、破壊と殺戮の末に建物ごと跡形もなく爆散させられた、たった5体の《TYPE 19》の仕業だ。 さらなる被害を危惧した研究員たちによって、実験用のマテリアルを閉じ込めておく目的でつくられたとおぼしき檻のなかに、2体は押し込められていた。 なんらかの特殊素材が使われているらしく、試しに数度加えてみた衝撃はことごとく吸収されてしまう。 圧倒的な破壊力と迅さを誇るはずの戦闘型、Z-19は喉の奥で凶暴に唸った。 逆らうなんて発想がなかったからうっかり抵抗しそこねたが、この状況はどう考えてもマズいのではないか。 にしてもよ、と云い返そうとする声が、情けないことに少し揺れた。 どかっ、と床に座り込む。 「俺らァ大丈夫だったじゃねえか。それでも、処分されちまうのか」 「正気の《TYPE 19》は、もう俺とお前しかいねェ。狂い出す前に、って誰でも考えンに決まってる」 しょうがねェだろ、ともう一度S-19は繰り返して、長く煙を吐いた。 −−《TYPE 19》。 その登場により最終到達点の域に達したといわれる超高性能サイボーグを、総称してそう呼ぶ。 「おい」 そんな会話を交わしてから一昼夜。 身じろぎもせず天井を睨みつづけていたZ-19は、やおら身を起こすと、こちらに背を向けているもう一体に声をかけた。 「おい、こっち向け、このアホ」 「……誰がどのアホだ、コラ」 苛立った声を荒げると、銜え煙草のS-19は酷く緩慢な動きで、煩ェな、と首だけ捩じ曲げてZ-19を見返った。 もはや2体だけとなった《TYPE 19》が交わす会話にしては、哀しくなるほどレベルが低い。 互いのとんでもなく高いプライドと、双方で少し質の異なるコンプレックスが、昔から彼らを一触即発状態に置いている。 そこに理解や共感が生まれた例もないし、生まれようはずもない。 無駄に膨大なボキャブラリーは眠らせたまま、彼らの最も使用頻度の高い単語は、よりによって“アホ”だったりする。 「納得いかねェ。テメェも来い」 「行ってどうする」 躯をのばして横たわれるほどのスペースはない。 壁に背を預けて長い脚を引寄せると、S-19は吸い差しを靴底で消した。 テメェとここを出たところで、とまるでらしくないそんな静かな口調に、Z-19は少しだけ困惑する。 「もう何処にも行くとこなんかねェよ」 俺に居場所をくれてた連中、あいつらが皆殺っちまいやがった、と呟く。 (たしかにこいつはスタッフにやたらかまわれてやがったな) どう考えても欲張り過ぎの性能、連れ歩きたくなるような容姿、そしてそれを裏切る挑発的な言動。 そういえば、研究員たちに懐いてバカみたいに笑ってる姿か、テメェ気にくわねェと烈火の如く怒ってる姿(ちなみにその相手はほぼ例外なくZ-19だ)か、そのどっちかしか目にしたことがない。 「−−あるかねェかなんて、やってみなけりゃわかんねェだろ!」 「行けよ」 酷く弱々しい声音に焦れて、自分よりはかなり華奢なS-19の上腕をぐいと引き上げる。 至近距離から顔を覗き込むような態勢になり、Z-19はそこで絶句した。 当初26体製造される予定だった《TYPE 19》は、A-19での完成をめざして、ZからY、Xと逆にアルファベットを冠している。 Z-19がVer.1、いわばプロトタイプであるのに対し、S-19はVer.7、現時点における(イコール永遠の)最新型だ。 (それにしたって) 性能的にかなりの隔たりがあるとはいえ、同系であることにかわりはないはずなのに。 ひどくたよりなげな、もう全部どうでもいいような表情で、俯いたまま目をあわそうともしないその風情が。 (こいつ本当にサイボーグなのか) ひょっとして騙されているのかもしれない、とふとそんな考えにとらわれる。 (全部なにもかも、性質の悪ィ冗談だとか) そんな疑いを打ち消すことができなくて、衝動的に無防備な喉許に手をかけた。 いつもなら視線ひとつで噛み付いてくる相手は、叩きつけるように壁に縫いとめられても、無言のまま反応しない。 ただそのはずみで乱れた髪が、檻の中にほんの数条射しているだけの光をキラリと弾いてみせた、それだけだ。 それだけだというのに。 (なんてカタチしてやがる) 初めて見たような気がして、動揺した。 薄蒼い静脈が白い肌に透けている。少し苦しげに唇がわずかに開く。ときおり睫がふるえる。 (ただの人間じゃねえか) やはり自分とは違うのだと裏切られたような想いが、S-19をとらえる手にじわりと力を込めさせた。 こんな細い首など片手でも折れると、Z-19が剣呑に目を細めた、その刹那。 喘ぐだけでほとんど抵抗をみせない薄い躯から、かすかな、電子音がした。 いつもは長い前髪に埋もれている左目の蒼さが、その深みを増す。 本人の意思にかかわらず照準がセットされたのだと、同型だからかろうじてそれと知れた。 「テメェ……」 わけがわからない。 彼も同じであることに安堵すればいいのか、それとも−−。 感情のない瞳が見上げてくる。 その肩口を押さえつけて、首筋に喰らいついた。ぴくりと身じろぐ体を無理矢理圧し伏せる。 声は聞かなかった。何も云わなかった。 生殖機能などないくせに、躯を繋げて快感を追い求めることはできる。 疑似メカニズムによる統御は、歪だ。 “もう何処にも行くとこなんかねェよ” そんなものは自分にだってない。 “あんたはそのブキヨウなところがいいのよ” 強大に過ぎた破壊力を調整するために、四六時中彼の傍にいて。 そう云ってはよく笑っていたあの研究員も、《TYPE 19》暴走による死者に名を連ねていた。 「俺は絶対に狂わねェ。あんなやつらといっしょにされたまま、こんな処で処分されてたまるか」 ときおり名残にぴくりとふるえる肢体を腕のなかに閉じ込めて。 「テメェもだ」 決めつけるように云うと、ああ、と擦れた声が返った。 監禁2日めの朝、2体揃って厳重な警戒体制を突破したZ-19とS-19は、現在も逃走を続けている。 「妙だな」 目下彼らが巣にしている、崩壊秒読みの雑居ビルが見つからない。 3日越しの迷子から帰還した翌日、ふらりと部屋を出たのは、あれはわざとだ。 口と足癖の悪い同居人とのスタンスが、どうにも掴めない。 (ひょっとして俺ァ、イカレてるんじゃねェのか) そんな気がしてきて、とりあえず逃げた。10日前のことだ。 最初からそのつもりで出てきたので、金や食糧が必要になれば、目に付いた人相の悪い連中をカモにして凌いでいる。 “逃げるったってテメエなんざ戦闘以外まるで役立たずじゃねえか” 力を制御するためのピアスを捨ててきたから、手先の器用さが要求される作業も苦手だ(云い訳だが)。 “腕力で世間知らずがカバーできンのかよ。料理だってできやがらねェ” それで俺に泣きついたってわけか、などとサンジは勝手なことを云う。 派手な逃亡の途中でどこかのセンサーをやられたゾロは、以来、現在地の把握にときどき誤差が出る。 パーツがあるでなし、センサーは修復しようがないが、弊害はせいぜい迷子になる程度で、戦闘時に影響することはなさそうだから、さして問題にはしていない。 (この程度で済みゃあ上出来だぜ) などと思っている。 潜伏するならここだと、犯罪者や合法違法入り乱れたサイボーグやアンドロイドの巣窟となっているこの辺りを選んだのもサンジだった。 手挟んだまま滅多に離そうとしないゾロの刀剣も、ここではさほど目立たずに済む。 逃避行には違いないが、迂闊に手を出せる相手でないことは重々承知らしく、向こうはなかなか動きを見せない。 こちらが仕掛けなければ、この生温い日々はずうっと続いていくような気さえ、時にはしていた。 「この辺なのは間違いねェんだが」 で、そんなゾロが何をしているかというと、性懲りもなく、また迷っているのである。 そのつもりでほっつき歩いていたのは4日めの夕暮れまでで、あとは単に帰り方がわからなくなったというのが正しい。 “見ろよ、凄ェな” 廃墟のようなビル群を物色していたら、サンジが不意に指差して。 “てめェの保護色だ。いいぜ俺ァ、ここで” そう云って口許を歪めてわらった、そのビルをどうしても探し出せずにいる。 「おい、こっち向け、このアホ」 「……誰がどのアホだ、コラ」 テメェ、とどうしようもなさそうにサンジが笑う。 「ビル、崩れちまったンだぜ。さすがの俺もちょっと参った。テメェはあれから帰ってきやがらねェし−−」 やっぱ迷ってたな、感謝しやがれ、と云いたい放題なのを怒鳴りつけるように遮った。 「ちょっと待て。崩れただと?」 「バーカ。ありゃもともと建ってるのがフシギってシロモノだぜ?寿命だ寿命」 思わず深く嘆息するゾロを、ちょっと間見つめて、サンジはぽつりと云った。 「もう追われちゃいねェぜ」 何度も通り過ぎたのに見過ごしたはずだ。 イカレたような緑の外壁は、色も何もあったものではない瓦礫の山と化している。 「フザケた話だろ?」 なのに地下へ続く階段はまだあって、あきれたことに彼らの部屋はまったくの無事で。 なんか食うか、とその場を離れようとするサンジの手首をとらえて掴まえた。 「どういうことだ、さっきの」 ああ、と煙草に火を点ける仕草を、目で追う。 何重ものプロテクトを破って回線に侵入し、なにやらあれこれ調べていたのは、前から知っていた。 「どうって、そのまんまさ。ようやくわかった。なんであいつらが暴走したのかも」 《TYPE 10》に極秘で仕掛けられていた自爆プログラムにあった、いくつかのバグ。 暴走の原因は、おそらくそれだとサンジは云う。 「極秘って云っても、それは俺たちにってことだぜ?メインスタッフだった連中は、当然そんなことは知ってる」 「だろうな」 「俺とテメェだけ、プログラムが書き換えられてンだよ」 「−−なんだって?」 「たぶんクソジジイと、それからテメェはマドモアゼルだろ多分」 呆然と目を遣ると、サンジは顔を背けた。表情を見られたくないらしい。 「もう追われちゃいねェってのは?」 生き残りの連中は、最終手段として逃亡した2体の自爆プログラムを発動させたらしい、とサンジは云う。 「当然俺たちは自爆なんかしねェ。それどころか書き換えられたプログラムは、それと同時に識別コードの発信を停止するようになってやがンのさ」 「……そうか」 活動中の位置を知らせるための信号が途絶えれば、自爆による機能停止と偽装できる。 「もう追われちゃいねェんだな」 膝を抱えてうずくまる、その傍らに座った。 「結局、愛されまくってたんだよ、俺もテメェも」 「ああ」 「……だけどよォ」 もういねェな、と云いながら、サンジの髪に手をのばす。 サラサラと無骨なゾロの指を滑りながら、やわらかな金色が泳ぐ。 「なぁ」 だからそういうのがねェとダメなんだ、と肩口に額をおしつけるようにして。 「熱いの、くれよ」 いつものように睨み合ったままでなく、瞳を閉じてキスをした。 罵り合う余裕さえない。呼吸を奪い合って、粘膜を探り合う。 「ァ、んッ」 シャツをたくし上げて、ほの紅い突起を見つける。 摘んでは押し潰し、舐め上げては軽く歯を立てると、くたりと蕩けはじめる、かなりふしだらな肢体。 “人間に溶け込む訓練だって、いろんな連中と暮らしてた” 喧嘩の延長線上で聞いたことがある。戦闘型ではなく、潜入偵察型なのだと。 “最初に世話ンなったのが1も2もなく料理が趣味のクソジジイで” “4番目ン奴がコッチの趣味だったんだよ” 「う、あ」 乞うている場所にふれると、つま先まで綺麗にのけぞる。 じれったいと身を捩るのを封じ込めて、むりやりに指を潜り込ませた。 こんなところまで丁寧に仕上げられていて、何度さぐってもキツイくせに、欲しがるとすぐに赦す。 「……ゃ。ああ、あ!」 苦しげな表情の其処此処に、じんわりと快楽が滲んでくるのを舌で味わって鳴かせる。 限界まで煽られた欲望を、抱え上げては深く埋め込んで、繰り返し教え込む。 「も、や、嫌だ、んあッ−−ゾ、ロォっ!」 必死に縋る両腕までもがくがくとふるわせて。 繋がった辺りから届く濡れた音に聴覚まで蝕まれて。 人恋しさが滴るような瞳を潤ませて。 (らしくねェ) 「泣いてねェで、鳴けよ」 髪を撫ぜながら耳朶を舐るようにおとしてみた囁きに、目も眩むほどに締め付けられる。 その瞬間に互いを抱きしめたのは初めてだったと、あとになって気づいた。 「これァ悲劇だ」 ソファにだらしなく寝転んでいるゾロの姿に、サンジはふかい溜息をつく。 無法地帯ならではというべきか、気が向くと揉め事に首を突っ込んでおざなりに稼いできたりするが、大概はこんなもんだ。 これが、超高性能サイボーグだとは誰も気づくまい。 「永遠の最新鋭モデルとでも云うべきこの俺サマが。ボロいメシ屋で汗だくで働いて、ようやく部屋に戻ってみりゃ、そこにも腹を空かせた人工マリモがでろーんと転がってやがるなんて−−」 「不満かよ」 身を起こしながら、わざとそっけなく訊く。 返事は、わかりきっているけれど。 背後から抱え込むようにして黙り込んだブルー・アイズを覗き込むと、ふっと口許が綻んだ。 「……クソ最高だぜ」 END
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