□そして浚うように



めいれん

 

 はじめては、互いが戸惑うように。二度目は、確かめ合うように。
 そして三度目は、浚うように溶け合った。



 キッチンの前ですれ違った瞬間男の気配が変わり、構える前に強烈な蹴りを喰らわされた。遠慮も容赦もない一撃だった。
 「…ぐっ。」
 幾ら無駄に丈夫だと自負していても、不意打ちの派手な衝撃は流石にノーダメージと言うわけにも行かず。横腹に叩きつけられたそれに、思わずゾロも小さな呻きを漏らす。
 「…ってぇな!!何だいきなり!!!!」
 しかしすぐに疼く場所を押さえ、怒りを口に出せる切り返しは、日頃の鍛錬の賜物なのか。蹴られた剣士は、目を吊り上げ相手を睨み上げた。
 「ヘェ…心当たりがねぇのか、その緑塗れのマリモヘッドはよ?」
 「アァ!?!」
 問われて当人と目を合わせれば、僅かに沈黙を作ってしまう。先に手を出したのは向こうだというのに、目の合った男はゾロに非があると言いたげな視線を寄越してくる。
 親の敵でもみるような凶悪ぶりだったので、被害者である事はさておきついつい生真面目な男は、一応心当たりを巡らせた。


 コックの落としたシガレットケースを、うっかりバーベルで粉砕しコリエを貰ったのは1週間前。チーズ頭な男の秘蔵の酒を飲み、ばれてムートンショットを浴びたのは5日位前。
 毎度寝こけて料理人の飯を台無しに変え、アンチマナーを寄越されたのは2日と前。考えつつ、心当たりがあるような無いような曖昧な感覚が浮かんでくる。いやしかし、とゾロは考え直す。
 ―― どれも報復は喰らってんだ、全部とうに過ぎた話じゃねぇか。
 ふぅ、と溜息をつけばそんなリアクションが相手の気に召さなかったらしい。
 「何だ、その溜息は!!ふざけんな、コラ!!!」
 「てめぇまだ、根に持ってんのか。散々あん時蹴ったろが。」
 「何言ってんだテメェ!?!全っ然、会話になってねェよ!?!」
 「?・・・・」
 勝手に解釈しこの話を終わらせる気である男に、ますますサンジは喚いた。
 「俺が言ってんのは、昨夜からシャツを着替えてねぇ事だよ!」
 「アァ!?!!」
 妙な声を上げながら、ゾロはありのままを指摘され疑問に思う。身だしなみが基本で、服の換えも多彩なこのコックならともかく。常に腹巻、白シャツの自分が着替えていないと、何故に今更腹を立てるのか。
 「全く、俺らだけが船番で幸いだったぜ。着替えろ!…今すぐ!!」
 「おい、」
 「ナミさんやロビンちゃんが戻る前に、早く着替えてその匂い消せつってんだよ!クソ腹巻!!」
 聞くより先捲くし立てて怒鳴る男に、シャツを引き上げ匂いを嗅ぐ。そうして、怒りの訳を理解した。
 
 
 
 『ゾっ…!』
 必死で押し殺していた声が何かを言いかけ、結局言葉を成すことは叶わなかった。
 『う、あッ…!!!』
 無心とばかり繰り返していた行為は、繋がるその場所が熱を解いて互いに終焉を迎える。
 ゾロが自分の荒い息を意識した後、それよりも早く継がれる息が真下から耳に届く。
 吐息につられ視線を巡らせれば、腕の中でぎゅっと眉根を寄せ、身体中に押し寄せる波を懸命にやり過ごす相手の姿が見える。汗で湿った金の髪、普段より赤みの差した頬と、艶を含む、細められた蒼い瞳。
 そして、珍しく向こうから縋る様に伸ばされた腕。
 一度昇りつめた欲求を取り戻すのに必要な要素は、目の前に惜しみなく晒されている。息を吐く間を戻そうとする相手を見下ろし、ゾロはゆっくり傾く。
 『な、』
 『動くぞ。』
 『ちょ、待…!!…っ!!』
 小さく呻いた相手の腰を抱えうつ伏せへと変えれば、汗ばんだ背中が目に映る。そこに見えるのは、床の木目が跡になった白い背中だった。
 
 

 彼らの関係が確立されるまで、左程時間は経っていない。同じ想いに気付いて真っ直ぐ向かい合ったのは、ほんの数ヶ月前。
 ここに至るまで数度の交わりはあったし、それ故相手へもっと触れたいのは今も彼等の正直な気持ちである。
 しかし二人の想いとそれを育てていく環境が一致しているか、と言えば逆になる。
 航海を続ける狭い船の上、顔こそ毎日つき合わせていても触れ合える機会は皆無に近かった。
 (もっと近く、もっと長く。もっと深く触れてぇ。)
 積もる想いもあり、久々の上陸で島に降りた仲間たちがいない船は絶好の機会だった。
 二人きりの船の中で風呂上りのコックと合って、有無を言わさず性急に事へ及んでも、ゾロから言わせれば仕方の無い事である。
 次のラウンドへ雪崩れ込む前、敷物の無い床で付けてしまった跡を見て、少し剣士は冷静になった。
 ―― 余り久しぶりで、急かし過ぎたか。
 息を整えようとする恋人を眺め、多少なりの罪悪感が湧く。そっと縦に皴のついた背中を暫くなぞると、頭がびくりと振られ剣呑な声が飛んできた。
 『…何、やってんだよ。』
 『・・・・・・。』
 ゾロは身体と台詞のアンバランスな男に苦笑し、着たままだったシャツを脱いだ。床に放った上着を広げ、見上げている相手の身体をそこへ移動させる。
 ひやりとした所から、少し暖かで軟らかい感触の変化に、サンジが妙な顔を向ける。彼の態度にお構いなく、緑頭の男はさらりと言い切った。
 『続きだ。』
 『続きかよ!?』
 『俺達しか居ねぇんだ、今度は声を押し殺すな。』
 『押ッ…!?バッ、な、何言っ…ん!?!?!』
 赤面した男の抗議は、与えられた深い口付けで言い終える事が不可能となってしまった。



 昨夜の出来事を思い出し、自分のシャツに染み付いた煙草の香りになるほど、と納得する。
 「…あァ、そ…」
 「嗅ぐな!思い出すな!!とにかく着替えろ!!」
 「解ったから、喚くな。うっせェ…」
 物言いに呆れ、コックの言う通りシャツを脱ぐ。それを見てほっとしたような相手に気付いたが、何も言わず男部屋へ向かった。
 剣士が新しいシャツを着て外に出ると、甲板ではサンジが海を眺め煙草を吹かしていた。
 何気なく視線を同じ方へ遣り、暫く二人の間に沈黙が流れる。言う通りにしたのに、未だ不機嫌な背中へゾロが言葉を投げた。
 「起きてからずっと、その調子だな。まだ何か不満か。」
 途端に振り向いて、鋭い視線がゾロへ向けられる。核心を突いたのか、今にも何かを言おうと彼は煙草を手に挟み直す。
 「図星か。」
 「大いに不満だ、クソ剣士…!!」
 「言いたい事があんなら、はっきり言え。不満たらたらな視線だけ向けられたって、解りゃしねェ。」
 「ふざけんな!誰の所為でこんな…!!」
 荒げようとしていた声を必死で押さえ、代わりにサンジは大きな息を吐く。
それから困惑気味に、ゆっくりと口を開いた。
 「てめぇは何で…」
 「・・・・・・」
 「何で、そんな余裕なツラしてやがんだ…!!」
 「…あ?」
 一瞬問われた意味が解らず、間抜けな声を発したゾロだった。
 

 
 「何で、そんなに」
 視線は明らかに他所を見る男が、ゆっくり続ける。
 「情をぶつけたヤローと翌日顔を合わせたって、何事もねェように澄ましてられんだ…!?」
 「何だ、昼間も構って欲しかったか。」
 「違うわ、ボケェ!!!」
 サンジは緑頭を蹴らない代わり、挟んでいた煙草をぐにゃりと握り潰した。
 「そうじゃねェ!俺たちのは、行きずりとか惰性でヤってんじゃねェだろ?
情の無ェモン同士がその場限りで繋がった訳じゃねェだろ!?…なのに」
 「・・・・・・?」
 「なのに、何でてめぇはいつもと変わんねェまんまで」
 「おい…?」
 「…何で俺の匂いを移したシャツを着て、無神経に堂々と歩き回れんだよ?」
 不安の混じった声で、蒼い瞳に暗い影が落ちる。
 「こっちは相手がテメェなんだって未だに驚いたり戸惑ったり…!柄でもねェ照れ臭さだとか、てめぇとツラ合わせたって、考えたって、気持ちがごっちゃで追いつかねぇってのに…!!」
 「・・・・・・。」
 蹴られた理由は他にもあったのだと、鈍い男もようやく理解し始める。
 「俺はそんなで手一杯だってのに、なんでテメェはそう平然と…」
 「…アホか。」
 懸命に搾り出した台詞が、いとも簡単に一蹴される。少しぽかんとしたサンジは、やがて火が点いたように怒り出した。
 「テメェ!!何つった!!人が必死んなって、考えてる事を!?!」
 「言ったがどうした。お前だけ必死みてぇなツラすんな。」
 苦虫を噛み潰したような顔が、そう零す。
 「何だと…!?!?!」
 「余裕なんかある訳ねぇだろ…!」
 話せば話すほど、腕を組む緑頭の男は仏頂面を酷くして行った。
 

 
 これまで動じた風もない顔が、今はサンジを見据えて表情を顕にしている。
 「お前一人で頭ん中で勝手に思い込んで、ついでに勝手に人の気持ちまで代弁しやがる。ふざけんなはこっちの台詞だ。」
 「…な、」
 「いいか、よく聞け。」
 「アァ?!」
 「惚れた奴がよりにもよって、てめぇだった。…そりゃ、お互い様だろ。」
 言葉にされて驚いているのか、相手が一気に閉口する。
 「俺がいつもと変わらねぇまんま、だと?そんな見当一つで、答えを出してんじゃねェよ。」
 視線のやり場に困った風に、ゾロは自分の頭をがしがし掻く。
 「大体、余裕のある奴なら」
 「・・・・・・・・。」
 「前にヤった時から昨日までの間を長ェなんて思いもしねぇし、」
 「・・・・・・!」
 「本当に澄ましてられんなら、」
 じんわり迫ったかと思うと、太い腕ががっちり正面の男の頭を捉える。
 「風呂上りのテメェを見ただけで、ぶち切れて圧し掛かるマネなんかしねぇよ…!!」
 「のっ!〜〜〜〜っっ!!!」
 昨夜の経緯を思い出し、反撃も出来ずにサンジの顔が一気に紅潮した。
 相手と同等に負けず嫌いの剣豪は、ぐっと顔を間近に寄せる。
 言葉さえ出せぬよう、決定打の台詞を迷わず声に出す。
 「…俺だって、てめぇの事で手一杯だ。このアホコック…!!」
 目の前の蒼い瞳は、大きく見開かれた。
 
 

 刺々しい空気が崩れ、言い切った男は不敵にもにっと笑ってみせる。
 掴まれた相手は悔しげに歯を食いしばっていたが、やがて観念したように耳まで赤いまま力を抜いた。
 珍しくも言葉で勝利したゾロは、上機嫌で柄の悪い笑みを浮かべている。向かいの反応を楽しもうと抱き寄せれば、軽く肘で押しやられた。
 「…とにかく。同じ匂いのついたシャツなんか、着て歩き回るんじゃねェ。」
 負け惜しみの声が、本来の調子に戻ってくる。取ってつけたような言い方が、ますますゾロには可笑しかった。
 腕から抜け出た男は睨みを効かせ、戻ってくるクルーの為にと再びキッチンへ戻っていく。風になびく金糸を見送れば、時折覗く紅い耳が愛しく思えた。
 無意識と男はその背に声を掛ける。
 「オイ。」
 「…何だよ。」
 「あいつら帰ってきたら、交代で陸に降りれんだろ。」
 「?…あァ。」
 ひよこ頭が怪訝そうな顔をして振り向く。そんな彼に、躊躇いもなくゾロが本題をぶつけた。
 「宿借りて、そこでじっくり過ごすぞ。」
 ―― 今度は、背中が痛くねェベッドでな。
 「…エロマリモ。」
 「煩ェ、エロマユゲ。」
 
 
 
 はじめは戸惑うよう、二度目は確かめ合うよう。
 そして三度目は、浚うように。
 この晩、戸惑いを放り投げた彼等は先日よりも深く…なお深く溶け合った。
 
 



END



ブラウザを閉じておもどりください