□プライド



真昼

 

夕食の後、腹ごなしに船尾でダンベルを振る。
静かな海だ。
昨日までの荒れた海がウソのように、今夜の海は静まり返っていた。
ダンベルを振るたびに、体の中の筋肉が動くのが、手に取るように分かる。
辛い山を越えて、一種無我の境地に入る時、俺の体の中で、一つ筋繊維が作られるのを感じる。

5000までカウントして、ダンベルを下ろした。
いい運動になった。
クールダウンして、風呂で汗を流してから寝ることにする。

本当なら、他にもしたいことはあった。
だが今俺は、自分に勝負を挑んでいた。
その勝負に勝つまでは、その欲望に流されるわけには行かない。


簡単にストレッチをしていると、船尾への階段を上がってくる靴音がした。
コックだ。
片手にグラスを持って、コックは俺のところへと歩いてきた。

「おら、特製ドリンクだ。プロテイン補給しろ」

俺は黙ってそれを受け取り、一気に流し込む。
プロテイン飲料といえばうまいものではないが、不思議とコックが作るそれは、味も満足できるものだ。
グラスを返し、ストレッチを続ける。


クソコックがそんな俺を黙って見ている。
タバコに火をつけ、欄干に体を預け、ゆっくりと煙を吐き出した。

コックが何をしに来たかは良く分かっていた。
これは、コックが俺を誘っているときの態度だ。
そうでなければ、グラスを持ってさっさとキッチンへ戻ってしまう。
いつもだったら、ストレッチを終えた俺がコックに手を伸ばし、コックはそれに応じる形で夜が始まる。



始めたのは、俺だ。

初めて会った時、男の癖に女にへらへらと媚を売るコイツが気に入らなかった。
しかし、ココヤシ村で一緒に戦った時、コイツは俺を庇ってルフィを追い、海に入った。
その戦いぶりを見たとき、コイツも男なんだな、と俺は思った。
その後のココヤシ村での宴会で、俺とコイツは飲みながら静かに話をした。
何か目指すものがある男同士、話の分からないヤツじゃないと思った。
飲み終わった後しっかりナンパに走ったのには呆れたが。

表情がくるくる変わる。
漢だと思えば、女にメロリンして、うまい料理を作ると思えば、口うるさく指図してくる

やたらと俺にライバル意識を持って、何かと勝負を挑んでくる。
そんなコックから、目が離せなくなったのは俺の方だ。

アイツに触れてみたい。
湧き上がる気持ちのまま、アイツにそれを告げた。
コックは、少しだけ目を見開いた後、短く
「いいぜ」
と言った。

それからの関係だ。



最初からコックは体を開いた。
受け入れるのは自分の方だと、何の躊躇いもなく俺を受け入れた。
俺はコックを貪った。
何も言わず、何も告げず、まるで恋人のような口付けを交わし、体中に俺の印をつけても、アイツは文句一つ言わなかった。
乱暴に抱いた。優しく抱いた。
時に、自分を失うほどコックにのめりこみ、それでも何も言わずにコックを抱いた。

体が慣れていく。
コックの体で、俺の知らない場所はない。
まるで骨までしゃぶりつくすように、俺はコックを抱き続けた。


コックがこの関係をどう思っているのか、聞いた事はない。
同じ性欲盛んな年頃の男同士、長い航海で溜まるものは溜まる。
少なくとも、コックも自分で処理する以上の快感は感じていると思いたかった。

コックは俺の指でイき、手でイき、口の中でイく。
俺が自身を突っ込んで中を擦っても、コックは必死で声を押し殺しながらイく。
昼間どんなにケンカをしても、コックは誘えばついてくる。
そして、俺の下で白い体を跳ねさせ、ぎゅっと目をつぶり、俺の前に無防備な喉を晒す。
コックの中がきゅううっと締まり、俺は汗を飛ばしながら激しくピストンする。
凶暴な、欲望だ。
目の奥がチカチカして、思わず目を閉じる。
しかし、コックの姿態を見逃したくない。
俺は無理やり目を開けてコックを見つめ、そしてイく。

コックが口元に手首を乗せ、肩で息をする。
これ以上、することは何もない。
俺はのろのろと立ち上がり、お互いに自分を始末して、それだけのことだ。




この関係に不満を感じるようになったのは、少し前のことだ。
体の関係を、始めるのはいつも俺だ。
今夜のようにコックの方から俺のところへ来ても、手を出すのはいつも俺だ。
本当なら不満なんて、感じる義理も権利もない。
単なる欲望処理、俺は、コックの体に完全に満足している。

それなのに、何か心に引っかかるのは、いつも始めるのは自分の方だという思いだった。
コックだって満足しているはずだ。
散々口説いちゃいるが相手にされない女達では、欲望を膨らませても処理の相手にはなるまい。
こうして俺に誘われにここまでやってくるくせに、自分からは決して手を出そうとしない。
まるで、俺に誘われるから、俺が望むからしてやってるんだとも言いたげに。



「・・・・どうしたよ」

黙って俺のストレッチが終るのを待っているコックに、意地悪く声をかけてやる。
お前が一言「したい」と言えば、俺の方はいつでも準備はできている。

しかし、コックは何も言わない。
「・・・今日は静かだな」
「・・・そうだな、風も波もないな」
「ナミさんが、後三日もすれば島に着くと言ってた」
「・・・そうか」
「また、食いモノを調達できるのがありがてェ。そろそろ肉も品切れだ」
「またルフィに盗み食いされたのか?」
「ああ、でもウソップが魚を釣ってくれたから、干物にしてある。お前好きだろ」
「そうだな。好きだな」

どうでもいい会話だ。
コックが何も言わないなら、俺も何もする気はない。
理不尽だ、単なる意地っ張りだと思いながら、コックが言い出すまでは何もしない。

これが、俺の賭けだった。


ストレッチを終えて立ち上がる。
コックが視線を上げて俺を見た。
「・・・なんだ」
もう一度聞いてやる。
お前が言え。
お前が、俺を誘え。

でもコックは何も言わない。
しばらく黙り込んだ後、俺は
「・・・寝る」
と言って船尾を後にした。



こうなってみると、コックが本当に俺との関係を、少なくとも嫌がらずに続けていたのかどうかすら分からなくなってくる。
始まって以来、顔をあわせていれば三日と開けずに続いてきたこの関係だ。
アラバスタや、空島の一件でしばらくできない日が続くと、その後の行為はいつもより激しくなるのが常だった。
コックも俺の唇に応え、俺の髪を掴んで誘導する。
声こそ上げないがいつもより乱れ、いつもより深くへ俺を送り込む。
痛いほど俺の腰にコックの脚が絡み、俺も激しく打ち付けた。
あの時の、あのコックは幻だろうか。



最後にコックを抱いてから、10日が経とうとしていた。
俺の方はもうほとんど限界だ。
これも修行の一環と思ってやっているから耐えられるものの、この強固な意思の力がいつまで持つかは、俺にも自信がもてなかった。

何をしていてもコックが俺を煽る。
本人に自覚はないのだろうが、甲板を掃除するのに捲り上げた腕だとか、コックの手伝いをするチョッパーを優しく見守る目だとか、ルフィと一緒にウソップのホラ話に大笑いする口だとか。
あれは、俺のなのに。
あれは、俺の。


自分の考えに愕然とする。
たった10日しなかっただけで、俺の心はコックに支配される。
もしも、アイツといつか別れなければならない時が来たら、俺は耐えられるのだろうか。
ただの、処理相手なのに。

そうじゃない、処理相手なんかじゃない。
他の誰でもない、コックを抱きたかったのは、俺がコックに惚れてるからだ。
こうして、自分ばかりが誘うのに我慢できなくなったのは、コックにも俺と同じ思いでいて欲しいと願い始めてしまったからだ。

無謀な賭けだ。
不毛な賭けだ。
ナミやロビンの前でくにゃくにゃしながら嬉しげに給仕をするコックを見ると、この賭けがいかに勝ち目がなかったかを思い知る。
俺はバカだ。
こんなに日を開けてしまって、今更どうやってコックを誘えばいいのか思いつかない。




今夜も波は静かだ。
風があまりないせいで、今日は一日オールを漕がされた。
鍛錬代わりになるので文句もないが、さすがに疲れた。
今日は鍛錬はしないでそのまま寝てしまおうと、ゾロは皆に続いてキッチンを最後に出た

「オイ」
後ろからコックが呼び止める。
「・・・なんだ」
「いや・・・別に」
俺は立ち止まる。
「・・・用がねェなら俺は寝るぞ」
コックの視線が泳ぐ。

何を考えているのか。
何を言おうとしているのか。
コックの体の隅々まで知り尽くしても、俺にはコイツの心が分からない。
できることなら、その綺麗な胸を切り裂いて、その胸の中までも知り尽くしたい。
だが俺はしない、できない。
殺したいわけじゃない。
生きて、たくましく動き続けるコイツを、俺は見続けていたいから。

たとえコイツが、自分のものにはならなくても。



コックの唇が震えた。
まるで、俺が苛めているような感覚に陥る。
苦しいのは、俺の方だ。

「・・・ねェのかよ」
コックが言う。
「あ?聞こえねェ」
俺が聞き返す。
コックは、震える唇でもう一度言った。
「もう俺は、いらねェのかよ」


「・・・何」
俺はコックの言葉に呆然とする。
頭が回らない。
何を言おうとしているのか分からない。

「あんまり・・・じゃねェのか・・・勝手に始めて・・・何も言わずに、やめるのかよ」
「何も・・・ってお前ェ」
「もうしないなら、しないと一言」
「・・・」
「一言くらい、言ってくれてもいいんじゃねェのか」

「・・・しねェとは、言ってねェ」
したくないのは、お前の方じゃないのか。
したいなら、したいと言え。言ってくれ。
俺は願う。
まだ不毛な賭けを続けるつもりか。
コックが俺を見つめる。

「・・・いや、いい。俺の、負けだ」
俺は皮肉な笑みを浮かべて言った。
コックの真意を知りたいと願った挙句、俺は自分の奥底の願いを引きずり出した。
気付いてみれば、直視するのがまぶしいほど、俺はコックに惚れていた。
もう、あんな抱き方はできない。
あんな簡単な言葉で、あんな無造作にコックを誘えない。
「もう・・・お前ェを抱けねェ」

コックの顔が引きつる。
何で、そんな顔をする。

「何でだよ・・・もしかして、誰か他に」

思わずコックを見る。
何故そんなことを言う。
まるで、お前まで。

「そんなわけねェだろ。俺が抱きてェのは、お前ェだけだ」
引きずられるように俺が言う。
もしかすると、こんな事を言ったのは初めてかもしれない。
コックの目が大きく見開いた。
顔が真っ赤に染まる。
「だっ・・・だったら何で」
「・・・じゃあ、お前はどうなんだよ?何で俺に抱かれた?自分では何も言わねェくせに、何で俺の誘いを断らなかった。あんな風に俺に抱かれて・・・お前ェはどうだったんだ。したいのか、したくねェのか、したいなら、何で一度も自分から言わなかった」

賭けの内容を賭けの対象にしゃべっちまってどうするんだ。
でも、素直に白状する以外、俺にはもう何もできない気がした。

「言ったら・・・すんのかよ・・」
「当たり前だろ」
コックの顔が益々赤くなる。
「さっき、抱かねェって言ったじゃねェかよ」
「あれは・・・」
俺は黙る。
コックが言った。

「・・・じゃ、じゃあ、言ってやるよ・・・し・・・しようぜ。ゾロ・・・」
「・・・いいのか?」
「いい、に、決まってる・・・だろ」

俺はゆっくりコックに近づく。
コックが、怯えたように、しかし濡れた目で俺を見る。
「・・・何で、怖がる」
「・・・!テメエが・・・もうしねェなんて言うから・・・」
「それが何で怖い」
「・・・やっぱり、男の体じゃ、満足できねェのかと」
「そんなわけねェ」
コックを抱き寄せる。
さらさらの髪が、掌に心地いい。
コックの顔に、ついばむように口付けた。
「テメエがっ・・そんな風に触るから・・・」
「・・・なんだよ」
「勘違い、するじゃねェかよ。まるで」
「何だ」
「テメエが、俺のこと・・・・」
「勘違い、しとけ」
「・・・!」

コックの目に、涙が浮かぶ。
涙の意味が分からない。
しかし、放っておけず、まぶたにキスをして舐めとった。

「・・・何泣いてんだ」
「泣いてねェッ!けどっ・・・もう俺、言いたくねェよ」
「何をだ」
「したい、なんて、俺は・・・」

やっぱり俺の負けなのか?
俺はそれでもコックをテーブルに押し倒しながら顔中に口付ける。
たった一度でも、コックの方から誘ってきたこの夜を、無駄にする気はなかった。

「勘違いで、いいよっ・・・お前から言ってくれよ・・・俺はもう・・・」
コックが両手で目を押さえながら言う。
「何でだ?したいなら、したいって言やいいじゃねェか」
「いやだ。お前から言わないからって俺が言えばするなら、俺ばっかり・・・俺ばっかりじゃねェかよ。お前に断られたらどうするんだ。したくねェって言われたらどうしたらいい。そんなの怖くて・・・できねェよ・・・」


コックの言葉を、俺は理解に苦しむ。
心の底で、期待する気持ちが沸いてくるのをどうにか押さえている。
「・・・じゃあ今までも、俺が断るのが怖くて自分から言わなかったのか?」
「・・・そうだ。お前の手、あったかくて・・・お前優しいから、ただの処理だって分かってても俺・・・自分から言って、お前を欲しがってるなんて思われたくなかった。俺、お前が好きだから・・・処理以上を求めてお前に引かれるのがいやで」

今、なんつった。
俺は、顔を隠したコックの手を取りこじ開ける。
目の周りを真っ赤にしたコックが、唇を噛んで横を向いた。
「今・・・好きって、言ったか」
俺が聞く。
コックは、俺を下から睨みつけ、威嚇するように言った。
「言ったがどうした。気持ち悪ィかよ。する気も失せたかよ」
言葉は乱暴だが、唇が震えている。

俺は夢中で、その唇に口を押し付けていた。
「本当か?」
もう一度口付ける。
「ウソじゃねェか?」
次の時は、コックも口付けに応えてきた。
「ウソじゃ・・・ねェよ」
顔中に口付ける。
何でコイツのどこかしこも、こんなに甘いんだろう。

「勘違い・・・なんだろ」
コックが言う。
「何がだ?」
俺はもう、自分の台詞すら忘れている。
「さっき言ったじゃねェかよ。勘違いしとけって・・・」
「ああ?ありゃ、意味が違う。そう思ってろってことだ」
「・・・お前も、同じと思ってろって?」
「そうだ」

俺はコックへのキスが止められない。
コックが俺の首に腕を回してくる。
「言えよ」
俺は言った。
「え?」
「したいって、言え」
「・・・言うよ。毎日でも言ってやる。その代わり、お前も白状しろ」
「何をだよ」

「まだ、聞いてねェぞ。お前の口から」
コックが、俺を見つめる。
そうか、お前も、ずっと不安だったんだな。
俺が体だけ求め続けて、何も言わずにきたのを、お前はずっと抱え続けてきたんだな。

コックが言う。
「ゾロ。したい。毎日でも、したい」
俺の胸は熱くなる。
「・・・・好きだ、サンジ」

二人の体が重なる。
コックの心臓の鼓動が俺を叩く。
コックが、生きてる。
胸を切り裂かなくても、今俺には、お前の心が見えている。



end




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