ちょこっとラブ 4





「―――腹が減った。何か食うもんがあるか」

 ガチャリとラウンジのドアが開き、サンジはハッとそちらを振り返った。
キッチンに立つサンジにまっすぐ掛けられた声は紛うことなきあの剣士のものだ。

「テメェ…もしかして思い出したのか!?」
「アァ?いや、そういうわけじゃねぇが…ウソップが」
「?」

 もしも腹を減らしても、コックであるサンジの承諾なしには何も食えないと教えられたのだと云う。
サンジは幾分がっかりしながらも、ことさら張りのある声を出した。

「その通りだぜ。以前のG・M号がどうだったかは知らねェが、俺が乗り込んでからこの船のキッチンは俺のテリトリーになった。テメェらのメシを管理するのが俺の仕事だ」
「そうか…じゃあ、済まねぇがなんか喰わせてくれ」

 すまないと言う割には横柄な顔つきだ。
いつもなら態度がでかいと一発蹴りを入れてやるところだが、場合が場合である。
 サンジはいそいそと冷蔵庫を開け、すきっぱらの剣士のために料理を始めた。
 ゾロは相変わらず居心地の悪そうな顔をしながら、テーブルに腰掛けてそんなサンジの後姿を食い入るように見つめ、五分と待たずに暖かい湯気を立てたスープ、そして山盛りの焼き飯と野菜炒めが彼の前に並び、ゾロは余りの速さに目を丸くしてそれを凝視する。
 立ち上る芳香に、なんだかんだで朝食以来何も口にしていなかったゾロの腹がぎゅうっと鳴り、サンジはおかしそうに破顔した。

「喰えよ。まー忘れてんだろーけど、…俺のメシは死ぬ程美味ェぞ?」

 その一言を合図に、ゾロはスプーンをがしっと掴んで、ガツガツ流し込む勢いで食べ始める。

(喰いっぷりは相変わらずだなァ)

 少々硬めに仕上げた焼き飯はゾロの好物だ。その表情も、食べ方も、ゾロ自身は何一つ変わってはいないのだと、サンジは諦観にも似た思いでゾロの食事を眺めた。
 やがてゾロは全ての皿を空にしてから、ボソリと、

「美味かった」

と呟き、サンジは初めて耳にするその言葉にびっくりして思わず顎を外しそうになった。
 ゾロは怪訝そうにそんなサンジを見つめ、 

「?何だそのツラ」
「いや…テメェの口からまさか、ンな殊勝な台詞が出てくるたァ…」
「俺の好きな味だった。それに…なんだか、懐かしい気もする」
「!」

 どこか遠くを見つめるような瞳で、ゾロがそう云った。

(俺のメシを…覚えてるってのか?)

 頭では忘れても、舌が覚えていた、ということだろうか。

「お前のことも、ホントはちったぁ記憶にある。ルフィがしつこく誘い掛けてた…海上レストランのウェイターだろ?サッパリ実感は湧かねぇが、この船に乗ってるってこたぁ、結局ルフィはお前をあそこから連れ出しちまったんだな」
「………」
「イチから出直しってのも面倒だが、とりあえずメシはお前に任せるのが一番らしいってのは俺にも解った。まぁまた、世話になるぜ」

 ニッと笑って告げられた言葉は突然記憶を失ったゾロなりに葛藤した末の、譲歩だったのかもしれない。
 けれどサンジにとってそれは、残酷な言葉でしかなく。

(今まで俺のメシを好きだなんていったことなかっただろ)

 目の前のゾロがまるきり知らない人間に見えた。

(なかったことにすんのか。全部。俺を好きだっつって、めちゃくちゃにしやがったことも、全部)

サンジはくく、と喉の奥で哂い、目を細めてゾロを見遣る。

「世話に、ねェ…」
「?」
「物忘れの激しい剣士さんよ。テメェが俺に世話してもらってたのは、実はメシだけじゃねェんだぜ?」
「どういう意味だ?」

自棄になっているのは承知でゾロに近づいた。

「テメェ俺のメシを覚えてるんだろ?だったら、…カラダの方だって覚えてンじゃねェの」

 細い腕を伸ばして、ゾロの太い首にするりと回す。
今朝さんざんしがみついたばかりのその場所に触れるのに、こんなに勇気が必要だとは思わなかった。










 ゾロはもはや先ほどまでの好意的な眼差しをすっと潜め、無言のままおかしな行動に出たサンジをじっと見つめている。
 サンジはきっちりと締められた自分のネクタイに片手の指を掛け、ゾロの目の前でゆっくりとそれを解いた。
 ジャケットのボタンを外し、シャツのボタンを外し、やがて露になった白い肌にゾロが僅かに眉を寄せる。

「解るか…?テメェが、俺につけた跡だ」

 サンジの首から胸にかけてのそこかしこに残るのは、明らかな情事の痕跡。
 赤く鬱血したその部分は、色素の薄いサンジの肌の上ではことさらに目立った。

「皆にバレっからやめろっつうのに、赤ン坊みてェにちゅうちゅう吸い付きやがってよ」

 首に回した腕はそのままで、サンジは胸元をゾロの息がかかるほど近くに寄せてやる。

「船の上じゃゆっくり出来ねェってのがテメェは不満で、小汚い連れ込みで、朝まで俺を離さなかったんだぜ…?」
「…随分ナヨっちい身体してやがるとは思ったが、まさか男相手に足を開く趣味があるたぁ驚きだ―――溜まってんなら他をあたれ。俺にゃ男を抱く趣味はねぇ」

 あからさまな軽蔑を交えて漏らすゾロの声は低く、恐ろしく冷たいその音がサンジの胸を突き刺した。
 トン、と軽く肩を押され、サンジの細い上体が僅かに傾ぐ。
―――次の瞬間。
 ゾロは椅子から蹴り落とされて、文字通り床に這い蹲った。

「ッ!」
「……この俺が誰にでもケツを貸すような男に見えるってのかこのエロ剣士!」

 予備動作なしで繰り出されたサンジの膝にしこたま額をぶつけて、くらくらする頭を振りながらゾロはサンジを睨み上げる。

「いきなり何しやがる!」
「好きだ好きだとさんざ偉そうにほざいといて、今更この俺を忘れるたァイイ度胸だなゾロ」
「はァ?…おいちょっと待て、俺がお前にそう云ったってのかッ!」
「たりめーだクソ野郎!じゃなきゃテメェの無駄にぶっといチンコあんなところに挿れさせねェッつうの!」

 開き直ったサンジはふん、とそっくりかえってゾロを見下ろした。
 ゾロはやたら頭をぶんぶんと振り、それから信じられない事を聞かされたと言わんばかりの表情で愕然と床を見つめる。
 そんなゾロにサンジは得意げに続けた。

「あんときゃケツが痛かったぜえ…?何せ俺ァ仲間に犯されるたァ毛ほどにも思っちゃいなかったからな。ケダモノになっちまったテメェにいきなり…」
「無理矢理犯されたってのか」
「アァ!?さっきの蹴り喰らっといてまだ俺がンなヤワに見えんのかよテメェは!」
「………」
「相手が…テメェだから、俺、ァ―――?」

 そう口に昇らせて、初めてサンジはそれに気がついた。
己の言葉に呆然と立ち尽くす。

(相手がゾロだから、だ)

じっと見つめてくるその視線に浮かれたのも。

(ゾロばっかが俺に惚れてたんじゃねェ)

強引な行為に流されたのも。

(俺ァ…そうされてもいいって位、こいつに惚れてたんだ)

セックスのたびに、無口な剣士に言葉を強要したのも。

 自分ではずっと気付かないフリでやり過ごしていたいろんなことが、一気にサンジの頭の中に流れ込んだ。
認めてしまえばそれはひどく腑に落ちる事実だった。
 けれどサンジの目の前にいるのはもう、サンジを好きだと言ってくれたゾロではなくて。

(俺ァ…なんで今頃になって…)

 ぽろ、と青い右目が透明な雫を落とす。
ちょこっとどころか、体中いっぱいで愛していた。
 黙りこんでしまったサンジに、ゾロがハァ、と呆れ混じりの溜息をつき、俯いてしまったサンジの肩がびくりと震えた。

「―――つまり、一応は合意だったってことか」
「…おう」
「まぁ知ってたけどな」
「お…―――あ?」
「お前が俺に惚れてることなんざ、最初っから解ってた」
「ぞ…ゾロ!?」
「まさかてめぇが気付いてなかったとは思ってもみなかったけどな」

 床に腰を降ろしたままニヤリとそう嘯く男の胸座を、サンジは渾身の力を込めて掴み上げた。

「てってててテメェ!記憶失くしてたんじゃなかったのか!」
「あーあんま揺するな。お前の膝でまだ脳天がグラグラしてんだ」

 大仰に肩を竦めてみせるのは、先ほどまでの見知らぬ男でない―――いつものゾロの表情で。

「お前らのことをスッカリ忘れてたってなぁ、マジだ。さっき全部、思い出した」
「は、はぁ?」

ゾロは赤くなった自分の額をつんつんと指差して、

「お前のコレが効いたらしい。―――愛の力ってヤツか?」

 聞くのも恥ずかしい台詞を吐いてニカッと豪快に笑い、脱力したサンジはへなへなとその場にへたりこんだ。











 それからサンジは俄然調子に乗った男から、それはもうさんざんに弄繰り回された。展開の早さについていけなくて 「え?え?」 と動転しまくったところを押し倒され、あちこち触られて舐められて、ひんひん身も世もなく喘がされながら、今までゾロに云わせまくったのと同じだけ「好きだ」と云わされる。
 けれどそれは、とても恥かしくはあったけれど、いっときの絶望感をあっさり消し去るほどに幸せな時間だった。


そして多分これからも、ずっとしあわせ。






おわり

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(2006.03.30)

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