ちょこっとラブ 3





 さてそんなサンジの考えが一転したのはその晩のことである。
 上半身裸で椅子に座るゾロの前には、右から船長、航海士、狙撃手、料理人、考古学者、そしてトナカイの医師。
 G・M号クルーが勢ぞろいして一列に並んでいる。

「あー、ルフィ、ナミ、ウソップ、…後はわからねえ」

 やがてゾロが放った一言に、一同はうーん、と頭を抱えた。

「一体どういうことなのかしら…」
「恐らく一時的な記憶障害だと思うんだけど…サンジ、ゾロが打ったのはどこらへんだって?」

 小さなトナカイ医師の聴診器を裸の胸に当てられたゾロは、居心地悪そうに身をひねった。
 普段大怪我ばかりしているくせに、診察には慣れていない無骨な剣士らしい態度である。

「マリモ頭の、うしろあたり…だと思う」










 思わぬアクシデントが起きたのは買出しを終えた二人が船に戻ってからのことだ。
 いつものごとく甲板で串ダンゴ振りに精を出していたゾロに、昼食の支度を済ませたサンジがラウンジの前から声を掛けた。
 しかし鍛錬に夢中になったゾロはそれに気づかず、ムカついたサンジはすかさず飛び降りて蹴りを入れようとし―――
しかし一晩中酷使して足腰が本調子でなかったコックは、柵につま先をひっかけてぐらりと体勢を崩した。

「どわあ!」

 一声叫んで甲板に頭からダイブするところだったコックだが、予想に反してサンジを受け止めたのは固い木の床ではなく、なんだか慣れた抱かれ心地の筋肉の塊。
 間一髪サンジの窮状に気がついたゾロが、その身を投げ出してクッションがわりになったわけだが、慌てた剣士はその際
自分が持っていた串ダンゴの錘で後頭部を強打したらしい。
 しばらくその場で意識を失っていたゾロだったが、ワタワタと慌て騒ぎまくるコックの声に煩わしげに目を開けて。
 マリモ頭の後ろを押さえながら起き上がり、それから訝しげにサンジの顔をまじまじと眺めて一言―――

「お前…誰だ?」












 サンジは幾分青褪めた顔で、そろりとゾロの後頭部に指を伸ばしたが、触れる寸前でゾロは僅かに身を引いてそれを避けた。

「触るな」

と凶悪面で言い放つ。

「…ちょっとゾロ!あんたが覚えてなくても、サンジ君は仲間なんだって言ってるでしょ!」
「うるせえな、俺ァお前だってまだ信用してるわけじゃねえんだ」

 ギロリとナミを睨むその態度は、下船前のゾロのものとは明らかに違う。
 ルフィとロビンは面白そうに事の成り行きを見つめていたが、

「あーこりゃ確かに昔のゾロだなァ。なんか懐かしいぞ!」
「私がバロックワークスだったから警戒していたわけではなくて、彼は誰にでもこうだったのねえ」

 あくまでマイペースを崩さないのは流石の能力者たちである。

「おい医者。俺がその、記憶ナントカだってのはどういうこった」

 強い視線を振られて、先ほどゾロから「なんでシカが喋ってるんだ!」と指差されてプライドを傷つけられたばかりのチョッパーが少々ビビリつつ答えた。

「人間の脳っていうのは、たくさんの情報が詰まった箱みたいなもんなんだよ。ゾロはその箱を思いっきりぶつけて、中身がごっちゃになった状態なんだ…と思う」
「それで?」
「詳しい状態はレントゲンを撮ってみないと解らないけど、記憶が少しだけ退行してるのは間違いない。みんなの話を照らし合わせてみると、ゾロの記憶はサンジが居たっていう海上レストランでストップしてる。サンジが乗り込む直前に戻っちゃったと考えるのが妥当だと思うんだ」

 その答えにゾロはふん、としばらく考え込み、

「身体のほうはなんともねぇが…じゃあおかしいのは俺の頭の中だけってこったな?」
「え…うん、身体的には特に異常は見られないよ。ただ、脳ってのは繊細な場所だから、急激な運動は避けてしばらく安静に…」
「俺は剣さえ変わらずに振れるんなら後はどうでもいい。後のことは…そのうち慣れンだろ」
「おいおいゾロ…」

 最後はゾロにとって見覚えのない新しいクルーたち…ロビンにチョッパー、そしてサンジに向けて投げられた言葉だ。
 あんまりな言い様をウソップが呆れた声で咎めるが、ゾロは黙って立ち上がるとシャツと腹巻を被りなおし、さっさとラウンジを後にした。
 そんなぞんざいなゾロの態度にあきれ返るクルーの中で、呑気な船長だけが面白そうに瞳を輝かせている。

「ししし、ゾロらしーなァ!」
「ほんとアンタは気楽でいいわね…ただでさえアホなゾロがよりアホになっちゃったのよ?」
「アホが増したってゾロはゾロだぞ?忘れちまったんなら今からまた覚えりゃいいだけだ」
「そりゃそうでしょうけどね…」
「心配すんなってナミ!」

 思案気に眉を寄せる航海士の背中を「大丈夫大丈夫」とサンジは軽く叩いてやった。

「船長の言う通りだぜナミさん。バカみてェに頑丈な男だぜ?ほっときゃアそのうち治ンだろ。…さーてと。俺ァ晩メシの支度でもすっか」

 勝手に震えそうになる語尾を、意志の力でねじ伏せながら。










(なんつーか…かなりショックだぜ…つうかショックなのがショックだ)

 夕食の後片付けを終えたキッチンで、サンジはぷかーっと煙草をふかした。
 チョッパーの診察を終えたゾロはあの後、何事もなかったような顔で倉庫から錘と棒を引っ張り出し、いつものようにぶんぶん甲板で振りまくった。
 それが済むと今度はみかん畑で柵に凭れて大イビキ。
 偉そうなその態度も行動も、ムカつくほどにまるきり普段のゾロと同じ図々しさだ。
 やがて夕食の時間になり、サンジはいつものごとく寝腐れ剣士を起こすためにその右足を振り上げ―――しかし固い腹筋にそれが触れる直前にゾロは起き上がり、即座に抜刀してサンジを底冷えのする目で睨み上げた。
 己の失敗を悟ったサンジは笑顔を取り繕って「メシだから起こしにきただけだ」と言い、ゾロは「いらねえ」と返して、再びゴロリとみかん畑に横たわる。
 結局夕餉に剣士は現れることなく、サンジはソレからずっとそのときのことを思い出してはため息をついていた。

(ありゃあ、俺を敵かなんかだって認識したツラだったな)

 G・M号に乗り込んでかなり長い時間が過ぎた。
 本気の殴り合いだってたくさんしてきたつもりだった。
 けれど今まで一度だって、ゾロがあんな冷たい瞳でサンジを睨んできたことはない。

(あれじゃ―――まだ、喧嘩ばっかだった頃のほうがマシだ)

 ルフィの云うとおり、喩え記憶を失ってもゾロはゾロでしかない。
 喩え記憶なぞなくとも、仲間であることには変わりなく、今はひたすら警戒している剣士も航海を続けていれば、そのうち自分たちに心を許すようになるだろう。
 けれどそれは、あくまでもただの『仲間』としての話。
 長い時間をかけてゆっくりと積み上げてきたゾロとの時間、それら全てがサンジには無くなったに等しい状況だった。
 今朝方、くすぐったい気分で宿を後にしたのが嘘のようだ。
 飽きることなくサンジを求めてきた男が、たった半日で他人の顔をして同じ船に乗っている。
 それだけのことがこんなに心にひっかかるのがショックだった。

(別に俺ァ、あんなマリモなんかなんとも思っちゃいなかった筈だ)

 ただ、ゾロがあんまり物欲しそうにサンジを見つめていたから、ちょこっとサービスしてやっただけで。
 後腐れがなさそーだったから、恋人が出来るまでの間、欲求不満解消の相手にしてやってただけで。
 だからゾロがサンジを忘れたって、特に問題はないはずで。

「っクソったれ…」

 なのにどうしてこんなに、胸が痛むんだろう。
 磨き上げられたシンクに映る自分の顔が、情けなく歪んだ。

 



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