HERO 1





 初めて出会ったのは、7年前。
今考えてもサイアクな巡りあわせで、そのときのことを思い出すたび、サンジは背筋に冷たいものを走らせる。
 逞しい体躯と目の覚めるような緑色の頭髪はだらだら流れ出す血に濡れて、スプラッタムービーそのものだった。
 榛色の瞳はけれど、その場には不似合いすぎるくらい優しく笑っていたように思う。
 がくがく震えるしかないサンジをしっかりと抱きしめていた彼はやがて訪れた救急隊員に引き剥がされ、赤と白で構成されたクルマでどこかに運ばれて行って、それっきり。
 礼を言おうにも、事情聴取に呼ばれた警察署では、彼の連絡先どころか名前すら教えてもらえなかった。
ぶつかってきたのは大型トラックで、もし彼がいなかったらサンジは間違いなく命を落としていただろう。

 いやもしかしたら、今頃はかわりに彼の命が―――

 どうすることも出来なくてじりじりと不安な日々を送るサンジの目に偶々入ったのは、若き柔道家の不慮の事故を告げるニュースだ。
 生命は取り留めたものの、全治半年の重体―――折りしも世界制覇を果たしたばかりだった彼は、身を挺して子供を救った英雄として一躍時の人となった。
 サンジは彼と同い年だったが、マスコミにとってはそのほうが美談になりやすいと思ったのかもしれないし、当時はかなり小柄だったサンジだから、事故の目撃者たちからしてみれば子供の範疇に映ったのかもしれないが、サンジにとってはどうでもいいことだ。
 思いがけず恩人の消息を掴めたこと、また彼が生きていたことにサンジがほっと安堵したのもつかの間、彼を欠いた代表チームが世界大会で惨敗したあたりから世論はおかしな方向へと動き始めた。
『ロロノア・ゾロ』の不在を惜しむ声は、彼の復帰が絶望だと報じられてからはぱたりと止んだ。傷心の最中である本人を慮った上の自粛か、はたまた飽きっぽい視聴者のニーズに合わせたものかは定かでない。
 しかしえげつない週刊誌に至っては堂々と彼の無責任を追求するものもあったりして、ゾロに関する報道を細かく追い続けていたサンジをその都度激昂させた。
 悪意を込めた記事に憤ったのはだが、当然サンジだけではない。
 柔道なんてオトコ臭い競技にはまるで興味のなかったサンジには知る由もないことだったが、向かうところ敵無しの天才は、地元の期待の星であったようだ。
 それを考えれば事故の原因がサンジだと周囲に知れ渡ったのは遅いくらいだった。
 昨日までは笑顔で応対してくれていた近所の奥さんが、ある日を境に急によそよそしい態度で接するようになった。
 恰幅の良い中年からすれ違いざまに舌打ちされる。顔つきがいつもと違うから気づかなかったけれど、あれは誰にでも愛想の良かった八百屋のオヤジに違いない。
 下校途中のサンジを待ち伏せして「代わりにあんたが死ねば良かったのに」と涙ながらに詰った少女は、ゾロが通っていたという高校の制服をつけていた。
 帯で巻いた柔道着を肩に背負った少年は、よほどロロノアに憧れていたのだろう。「お前のせいだ」と小さな身体に怒気を漲らせて石礫を投げてきた。
 そうした体験を半年も続け、けれどサンジには言い返す言葉もなかった。

助けてくれと頼んだワケじゃない。
偶々同じ町内に住んでいただけの、赤の他人だ。
そいつのせいで、なんで俺が、こんな。

 ゾロに対して抱いていた感謝の気持ちや、彼への心配は時間をかけて少しずつ恨み言に摩り替わる。

(冗談じゃねェ)

 思い出したようにテレビでゾロの特集が組まれたのは、段々と強くなる風当たりにうんざりして、いっそ転居を考え始めた頃だ。
 真っ白な柔道着を纏い大観衆の前で戦う彼をサンジが見たのは、それが初めてだった。
 凛とした面差しの中で輝く生命力に満ちた瞳に、一瞬で惹き寄せられる。
キレのある踏み込みと力強い体捌き。ほぼ全ての試合を一本勝ちしてきた柔道家は相手に襟元を掴ませることすらせず、小さなブラウン管の中、豪快に奔放に、楽しげに暴れていた。
野暮ったい畳の上で生きて動く彼。男に対して抱く感慨には相応しくないだろうが、若々しい生命力に溢れたゾロは途轍もなく美しくサンジには見えた。

(これを、あいつから俺が奪った)

 世界一の実感とはどんなものだろう。そこに至るまで、ゾロはどれだけの犠牲を払ってきたのだろう。
幼い頃から脇目も振らず、強くなることだけを考えて鍛錬を重ねて来たに違いない。
 気が付けばぼろぼろと涙を零していた。
サンジが柔道家ロロノア・ゾロのファンに、いやマニアになった、これがそのきっかけ。











 11月11日は、ゾロの誕生日だ。
いっそ休みを取るかとも思ったが、勤務を組んだころはまだ、それほど深い付き合いではなかったから。
 いや一度は身体を繋げてはいたのだけれど、あくまでもゾロのトンデモナイ誤解から生じたアクシデントみたいなもので、結局はただの友人に収まった二人だ。
幾ら誕生日だからって大袈裟にすることもないだろっていうかわざわざ付け上がらせるような真似してどうするよ俺、なんて色々考えた末、全休とフルタイムの間を取ってサンジは2時間ばかり早く上がれるシフトを選んだ。
 押しかけ整体師がサンジのアパートを訪れるのは決まってお互いの仕事が終わった後で、セクハラ交じりの懇切丁寧なマッサージを受け、礼代わりの軽食を食べさせている間に日付が変わる。
『偶然』誕生日になったのを理由に、ちょっと普段より豪華なメニューにしてやるくらいのサーヴィスはコックのトモダチだったらやってもおかしかねェよなァ、なんて自分に言い訳していたサンジは、それから2週間もしないうちにトモダチのゾロをコイビトへと進化させてしまったから大変だ。
 7年ものあいだ密かに慕い続けていただけあって、サンジの『ロロノア・ゾロ』への思い入れは生半可なものじゃない。
 本人には死んでも言えないが、古書店で購入した柔道専門誌から一番お気に入りの写真を切り抜いてフォトフレームに飾ったことだってある。文字だけだったり写りがいまひとつだった記事だって当然すべてスクラップにして、きっちり整理したアルバムに収納済み。
 ストーカーすれすれの独自調査でゾロの誕生日が判明してからは、毎年欠かさずフォトフレームの前にケーキを置いて、ささやかではあるが祝いめいたことまでやっていたサンジなのだ。
 それがどーにも故人の遺影に対するお供えっぽい行動であったことはさておき、兎にも角にもサンジはゾロに夢中だった。
 しかしサンジの『ロロノア・ゾロ』への憧れは、24歳という年齢には純情すぎるほどプラトニックなものであって決して肉欲に繋がるものではなかったし、サンジ自身ゾロに会うことだけは頑なに避けていた。
 今更どんな顔をして彼に詫びればいいのか解らなかったし、何よりも。
 血塗れの姿で「大丈夫だ」と抱きしめてくれた相手から、

『お前のせいで』

と罵られるのが怖かったのだ。
 柔道家としての現役時代―――つまり、サンジを救った事故に遭遇する前の、過去のデータばかりを漁っていたのはそういう理由だ。
 やがて予想外の場所で再会し手酷いメにあった後も変わらずサンジの中でゾロはヒーローに等しい存在だったし、トモダチに昇格して間近で彼を見つめられるようになってからは、別の意味でも意識しまくりの日々を送っていた。
 なにせ男女取り混ぜ初めてセックスした相手が、あちこち弄ったそれと同じ指で、毎日まいにちサンジのカラダを触りまくるのだ。
 初心なまま成長したとは言え、いやだからこそ初体験で受けた快感は強烈なインパクトをサンジに与えていたから、ゾロの過剰なスキンシップはどーしたって不埒な連想を呼ぶばかり。
 とうとう堪えきれなくなったのは季節はずれの嵐の日。
その夜サンジは身を投げ出すようにして彼を手に入れ、今ではすっかりラブラブな恋人同士に納まったというのに。

(あの時の俺よ、何で有休を申請しなかった…!)

 後悔先に立たず、最愛の彼氏のために最高の誕生日を演出してやりたくとも、たった2時間の余裕で何が出来るだろう。
 ゾロはまさかサンジが自分の誕生日を知っているとは思わないだろうから、たとえサンジが何もしてやらなくても気にも留めないだろうなんてことはこの際問題ではない。二人きりだけど完璧なサプライズ・パーティを演出して、喜ぶ顔が見たいだけ。
 赤の他人だった頃から写真にお供えするほど義理堅いサンジが、晴れて『恋人』となったゾロにトクベツなお祝いをしてやりたいと思うのは自然なことだった。
 しくじった、とそればかり考えて気もそぞろなままレストランでの仕事を終えたサンジは、大慌てでシェフコートを脱いで家路を急ぐ。
 準備に2時間は確かに短いけれど、幸いなことにサンジは料理に関してはプロ中のプロだ。彼の好物ならとっくに熟知しているし、小さいけれど朝のうちにスポンジだって焼いておいた。
 プレゼントだってゾロに似合いそうなものと、喜びそうなことを―――そう考えて、サンジは全速力で走りながら一人赤面する。

(スペシャルプレゼントは俺…って、どんなツラして渡しゃいーんだよ)

 決めたのは他でもない自分の癖して、今ひとつ首を傾げる述懐である。












 最大速で走りきり、カンカンカン、と忙しない音を立てておんぼろアパートの階段を昇ったサンジが目にしたのは、いつもとほぼ同じ光景だ。
 自室の前にべたっと腰を落とした男が、長い足を伸ばし傍迷惑にも廊下を塞ぎながら高鼾を上げている。

「…ウソだろ?」

 肩で息をしながら小さく呟き、サンジは左手を上げて時計を覗き込んだ。
2本の針が指し示す時間は間違いなくいつもより早い。
 本人にナイショにするからこその、サプライズ。
だからゾロに今日が早上がりだなんて教えてはいなかった。テーブルにご馳走を並べたら、何も知らずにのっそりと訪れるだろうクマみたいな男を笑顔で出迎えてやろうと思っていた。

(よくも出鼻を挫きやがったな)

 クソ忌々しい野郎だ、と心中で毒づきながら、サンジはこつん、と軽くゾロのつま先を蹴り上げた。
 普段より威力が弱いのは今日が彼のバースデイ・イブだからじゃない。
ゾロが本業を終えたその足で、まっすぐサンジを訪ねていたなんて想像もしていなかったからだ。
 大雑把なところのある男だから、単にわざわざ自宅に帰るのが面倒だっただけかもしれない。
 いつサンジが帰ってきてもいいようになるだけ早い時間からここで待ち伏せしてるなんてのは、サンジにとってだけ都合のいい思い込みかもしれないけれど。
 11月の、それも日没後ともなれば外はかなり冷える。いかに丈夫な男でも、出来る事なら避けたいと思うだろうほどには居心地が悪い筈。

「バッカじゃねェのてめェ…」
「…?…」

 瞼を降ろしたままちょっとだけ眉を顰めたゾロはしかし起きるつもりはなさそうだ。
再び深い眠りに落ちようとする男の隣に屈みこんで、サンジはむにっと恋人の頬を引っ張った。
 どうにも寝汚いゾロは、ちょっとやそっとの衝撃では覚醒しない。かといって一撃で飛び起きるほどきつく蹴り飛ばす気にはなれなかった。

(言えばいつだって鍵くれェ渡してやったのに)

 問答無用で強姦したという負い目があるせいか、ゾロは未だに少しばかりサンジに遠慮がちなところがある。
 それは一生かかっても返せない恩義を感じているサンジだって同様ではあったのだが、最大限の詫び方として昔気質にも土下座を選ぶくらい豪胆な性格には、似つかわしくない態度だと思う。
 従順な犬っころみたいに大人しく待ち呆けなんてするタイプには見えないのに。

(そんなに俺に、―――嫌われたくねェかよ)

 特別扱いが嬉しいような、他人行儀が淋しいような、なんとも複雑な気分だった。

「オラ起きろマリモ。ご主人サマのお帰りだぞ」
「―――うお、もう朝か」
「これからだアホ」
「んん?」

 お約束の台詞を吐きながら寝ぼけ眼をぱちくりさせたゾロは、サンジがいつもより早く帰ってきたことやその目的には、まるっきり気づいてなさそうだ。

(こいつらしいっちゃーらしいけど)

 サンジはようやくはっきり目覚めたゾロを促して立ち上がらせ、些か乱暴にドアを開けた。
 すっかり冷え切った男を突き飛ばすようにして部屋に入れたのは、照れ隠しが半分、それを引っ繰り返す気合を入れるためが半分。
 今夜は全身全霊をかけてめちゃくちゃに祝ってやらないと気が済まない。
 たった2ヶ月前からサンジを意識し始めたばかりのゾロに、7年越しのサンジが想いの深さで負けるなんてのは以ての外。
 こっちがどれだけ本気で惚れてるのか、思い知らせてやりたくてしょうがなかった。

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 (2005.11.24)

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