ハリケーン 1


1

  恋とは。
ハリケーンみたいなものだとサンジは思う。


 不意に訪れて吹き荒れて、頭の中をしっちゃかめっちゃかに掻き回す。
一度巻き込まれたらもう終り、激しすぎて身動きをとることもできないままに飛ばされて…天辺まではあっという間だ。
 その流れに身を任せることを厭ったことはないけれど、

(まさかアイツがその嵐になっちまうとはなァ…)

 トントンとリズム良くまな板を鳴らしながら出来立ての恋人を思い浮かべるサンジの顔は、常は白すぎるほどなのが今はなんとも血色よろしくほんのりと赤い。
 因みにアイツとは、昨夜も二人っきりでグラスを傾けちゃったりなんかした同じ麦わら海賊団の一味、世界一の大剣豪を目指す若き剣士ロロノア・ゾロその人である。
生物学上立派にオスに分類されるゾロとサンジは、何の因果か惹かれあい、お互い首を傾げながらも、つい先日なんとなく両想いッポイことを確認した。

(両想い、なんだよなー)

そう考えるだけで頬の赤味がいや増すサンジは、見てる方が恥ずかしくなるくらい浮かれまくっている。

擽ったい、面映い、照れ臭い―――だけど嬉しい。

そんな気持ちをあの男に対して抱くようになるなんて、GM号に乗り込んだ当初からは思いもつかなかったサンジだ。
 己の気持ちを認めるのにだって時間がかかった。
どうにも気に喰わねェムカつく野郎だと思ったこともあったし(今でもかなりそう思わないでもない)、喧嘩ばかりで何を考えているのか判らないとイラつき、どうしてあの男のことばかりを考えてしまうのかと困惑した。
 そういう意味で意識しているらしいと気付いたその次に来た感情は、

「ヤベェだろそりゃ」

だ。相手は男で仲間なのだ、我ながら気が狂ったのかとしか思えない。
 しかし相手の方はそういう葛藤などとうの昔に乗り越えてしまっていたらしい。
自分の姿を見ただけで引き攣り狼狽しまくるという凶暴コックらしからぬ態度にキレたゾロは、しかしどうやら関係の進展に躊躇しているだけだと解れば「そういうことなら」とさっさと襲い掛かることを選択した。
たまたま訪れた小島の路地裏。
白昼堂々下半身を咥えられるなんてことは滅多にあるもんじゃない。
既成事実から作ってしまえという思い切りのいい作戦は、ぐじぐじ悩んでいたサンジを吹っ切らせるいい切欠にはなったようだ。
強引で熱烈な求愛に押し切られた格好ではあるが、結局のところサンジはなし崩しにゾロを、そして自分の気持ちを受け入れた。
超のつく女好きを自認して憚らない彼だからして、オトコとそういうお付き合いをするという点には未だにナットクの行かない部分もありはするけれど、恋は恋。
ましてや元々恋愛ごとにのめり込みやすいタイプなのだ。
ラブコックさんに朝ッパラからいちいちトキメクな、というのは無理な相談かもしれない。










 さて今日の朝食メニューはオーソドックスにフレンチトーストがメイン。
ミルクにたっぷり浸したバゲットをひとつまみだけ塩を落とした卵液に潜らせて、バターを溶かしたフライパンで焦げ目がつくくらいにじゅっと焼く。
 ゴム船長をはじめ、荒くれモノの海賊らしくそれはもう大食漢揃いな船だけれど、それでいてナカナカに好みが煩いのはコック泣かせだ。
 嗜好の異なるクルーに合わせて用意するのは、メープルシロップとシナモンシュガー、それからマーマレード。
甘いと聞くだけで眉を顰める無礼者には、ひと手間かけてマスタードを効かせたポテトディップを添えてやる。
 朝・昼・晩と三食いつでもタンパク質を欲しがる育ち盛りのために厚切りのベーコンソテーは欠かせない。元が何の肉だかは企業秘密だ。
 チーズの香り漂うシーザーサラダには、みかん畑の隅っこでこっそり育てたグリーンを彩りに。忘れちゃいけない飴色のオニオンスープは、シンプルながら玉ねぎがカラメルみたいになるまで丁寧に慎重に炒めてこさえた逸品である。
 品数は少なくとも量はナミじゃない。
テーブルにずらりと並んだ皿は壮観の一言に尽き、貧乏海賊団の食卓と思えぬほど充実していた。まさにコックさんの努力の賜物だ。

(こんだけ用意しても五分もすりゃあ空っぽだってんだから、ウチのクルーの胃袋は並じゃねェぜ)

 なんて心中で呆れたように呟くくせに、ホントは彼らががっつくのを見ているだけで嬉し泣きしたい気分になるのも、トーゼン企業秘密。
 さて、とサンジは緩んだ頬にぐっと力を入れて、ニヤけた顔を引き締めた。
そろそろどう転んでもコック泣かせなクルーたちがラウンジに集まる時間だ。
 クソ剣士なんかを想って浮かれた顔を仲間に見せるわけには行かないし、何よりゾロに見られるのはなんとも気恥ずかしい。
 両想いになったからといって自分のスタイルを崩すのはゴメンなのだ。

(俺はあくまでもクールでアダルティな戦うコックさんなんだしな!)

定番のパンダ柄エプロンを外してちゃっちゃと身支度を整えながら、シュボッと煙草に火をつける。
咥え煙草で挽きたてのコーヒーをフィルターにセットしたところで、

「サンジーッ!朝メシ!俺の肉!」
「顔は洗ったんだろうなクソゴム?」

ドアをばーん!と豪快に開いて飛び込んできた万年欠食児童に見せるのは、少々斜に構えた横顔。
 ついで現れた欠伸交じりの航海士といつもどおり柔らかな物腰の考古学者には、挨拶がわりにお決まりの美辞麗句を。
 最近投げ網漁にハマっているらしい狙撃手とトナカイ人間は、お喋りに夢中でコックさんへの挨拶を忘れたので軽くメンチを切っておく。お詫びに昼食は山ほど小鰺を献上すると約束させて、ラウンジに集った面々をぐるりと見渡し、忌々しそうにお約束の一言。

「…んだ、今朝もマリモはお寝坊さんかよ?」
「男部屋にはいなかったぜ?」
「おう、便所にもいなかった!」
「昨日は天気が良かったから、外で寝ちゃってそのままなのかも」
「最近富みにひどくなってない?あいつの遅刻癖」
「後方甲板にいるみたい。…コックさん、起こしてきてあげたら?」

その能力で素早く船内を探査したニコ・ロビンの思わせぶりな微笑には気付かないフリで、

「ったくしょうがねーなあのハラマキはよ!」

とサンジはチンピラよろしく足をドカドカ言わせながらラウンジを出た。
 今までだって寝汚いゾロを起こすのは『踵落とし』という必殺の一撃を保有するサンジの役目ではあったが、うっかり恋人同士になってからはついつい何をするにもクルーの目が気になってしまう。
 洞察力に優れている上、どこにでも目を咲かせられるロビンにはゾロとサンジがそーなってること位とっくにお見通しなんだろうが、せめて他の連中(特に激愛の航海士)には自分たちがホモカップルになったことなんか公表したくはない。

(いた)

 手摺に逞しい上体を凭せ掛け、両手を頭の後ろに組んで偉そうに大鼾。
ロビンの言葉どおり後方甲板でグースカ寝入っているその頭は、若葉みたいな新緑色で昇りたてのオヒサマをきらきら弾いて目に眩しい。
 サンジはちょっとそれに目を奪われて、それからワタワタと一人もがいた。

(さ、寒ぅ!幾らなんでもアレに見惚れてどーするよ俺!)

 いつもなら即座に蹴り起こすべき所だが、なんだか悔しくなったサンジは報復気分でちょっとした悪戯を思いついた。
 忍び足でそろそろと近づいて、気配を殺して傍らにしゃがみ込む。

(まァ、顔はそう…悪くはねェけどな)

 それどころか多分、惚れた欲目というやつで、今ではこれが一番サンジ好みな顔なのだが本人はそれに気付いてはいない。
 普段は無表情か悪くしたら凶悪な悪人面なことが多いゾロだから、大口開けた間抜けな表情は、寝ているときくらいしか見せないあどけない顔だ。
 サンジはふふっと笑って、そっとその顔に唇を寄せた。

(お目覚めのチューだクソ剣士。これで起きなかったら愛情不足と見做して今度こそ蹴り)

殺す、との思考は途中でストップせざるを得なかった。

「―――ッ!」

たらんと下がったネクタイを引っ張られて抱きすくめられ、そのまま逆に唇を奪われたからだ。

(た、狸寝入りかよ!)

 びっくりして蒼眼を見開きまくったサンジの目に、いつもの不敵な笑みを浮かべるゾロがいる―――と思ったら、くるんと天地がひっくり返って、ゾロと青空以外何も見えなくなった。

「む、むーっ」

 素早く体勢を入れ替えた剣士は、押し倒したサンジの唇を図々しく割って、熱い舌を潜り込ませる。
ゾロは煙草のおかげで少々苦い口内を味わいながら、喉の奥に引っ込んでしまった舌先をつんつんと突ついた。
 思わぬ反撃に固まりかけたコックの青い目がやれやれと閉じられて、細い腕が背中に回ってくる。流されるだけでは満足しない、サンジのこういう意地っ張りとも言える反応がゾロはお気に入りだ。
 ようやく応えを返してきた舌にゾロは自分のそれを絡め、二人は時間も場所も、皆を待たせている状況もスッカリ失念して熱烈なキスに没頭した…のだが。

「―――痛ェ!」
「しつっけェんだよクソ剣士!」

器用に動く足に背中の真ん中を思い切り蹴りつけられて、ゾロは不服そうに身を起こした。

「起きてるンならとっととラウンジに集合しろ。コックさんの時間をムダに消費させんじゃねェ」
「その割りにゃあノリノリだったじゃねぇか」
「テメェの股間が俺を現実に帰してくれたよ」

 ところ構わずサカりやがって、と毒づく唇は、頬と同様にきつく吸い上げすぎたせいか紅を引いたように赤い。
 零れた唾液でべとべとになった口の周りをジャケットの袖でぐいっと拭う仕草は乱暴なのにやたらとエロティックで、サンジにだって充分火がついているのはバレバレだ。

「スナオじゃねぇ…」
「それ以上言ったら朝飯抜きだ」

 有無を言わさぬ口調に肩を竦め、組み敷いた青年の上から降りながらゾロは「これだから処女はやりにくい」とボソリと漏らした。

「…アァ?」
「勿体ぶりやがって。俺ァいつでもてめェに隙がありゃあ押し倒してぇと思ってんだ。それがイヤなら挑発するような真似はすんな」
「おはようのチューのどこが挑発だ!」
「こっちゃあギリギリなんだぞ見て解んだろ!」

 言われて視線を下げてみれば、キスの最中ずりずり意図的に擦り付けられた股間が、これ以上ないくらいに膨れ上がってその存在を主張している。
 男のメカニズムってのはサンジだって当然熟知しているから、俺相手にこんなかよ、と思えば嬉しい気もしないでもないが…、

「朝勃ちだろ?お元気な息子さんで」
「………」

そらっとぼけた台詞にゾロはムッと眉を顰めて立ち上がった。
 腰を下ろしたまま煙草なんぞふかし始めたサンジに向かい吐き捨てるように呟く。

「約束。忘れんなよクソコック」

 地の底から響くような低音に、一瞬で背筋に冷や汗を伝わせたサンジだが、それを表に出すようなヘマはしない。
 立ち去る背中に「十分で抜いて来い」と声をかけて、ゆっくり煙草を燻らせた。
キスした直後よりずっと赤く染まった顔をゾロが見れなかったのは、二人にとって良かったのか悪かったのか。










 きっかり十分後ラウンジに現れたゾロは、待ちくたびれた船員の大ブーイングに遭遇した。
特に理由がない限り全員揃っての食事を義務付けられている船だから、文句を言われても仕方ないといえば仕方ないのだが、遅刻延長の原因ともなったコックまでが一緒になって「クソが長ェ」とか囃し立てるのにはナットクがいかない。
 とは言え「てめェのせいだろうが!」と怒鳴りつけるほどコドモでもなく…ゾロは苦虫を噛み潰したような顔をして無言で席に着く。
 そうしてようやくコックさんの「喰ってよーし!」の号令がかかり、クルーたちは一斉にご馳走にありついた。
 拗ね気味なゾロとても例外ではなく、油断を見せれば一番遠い皿からでもオカズを奪おうとする船長から巧妙に手元を隠しつつ恋人のお手製を堪能していたが、実のところ頭の中は別のオカズで一杯だった。

(…その日が来たら全部試してやるぜクソコック)

 ラウンジに到着する少し前、色気も味気もないユニットバスの中。
ご指定のほんの僅かな時間でコトを済ますため脳裏に描きまくったサンジの痴態(※あくまでも想像)を思い起こしながらゾロは有能な航海士に顎をしゃくり、

「おいナミ。次の島まであとどんくらいだ」
「え?…どうかしら、しばらくはこのままの航海が続くんじゃないかな。海流にまるで変化がないもの」
「…そうか」
「なあに、珍しいわねアンタがそんなこと気にするなんて。陸に急用?」
「切羽詰っちゃあいるな」
「?」

曖昧な返答に航海士は首を傾げ、給仕しながら様子を伺っていたコックさんは剣士の額にぴきっと浮いた青筋に(ヒッ!)と身を竦めた。
いよいよもって、自分は追い詰められている…らしい。
 なんとなくイイかんじに落ち着いたゾロとサンジではあるが。
キスやらお触りやら、時にはマスの掻きっこまでする仲になったものの、最後の一線はまだ越えていない。
 狭い船上でイタすことに、片割れが甚く難色を示したからだ。

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 (2006.03.02)

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