剣豪の受難 1





 その日未来の大剣豪ロロノア・ゾロは非常にツイてなかった。

まず早朝。気持ちよく男部屋のソファーで爆睡していたところ、グランドライン特有の突然の横波がG・M号を襲った。勿論そんなことで目が覚める剣豪ではない。しかしながら不運なことに、偶々真上に吊るされたハンモックで寝ていたトナカイ医師チョッパーが、意識のないゾロの股間に激しくダイブしてしまった。

「…ぐおぅッ…!」

未来の大剣豪といえども急所は急所。不意の攻撃に思わず半身を持ち上げ唸る。

「ゾ、ゾロッ!?」
「…誰だ…?」

ギラリと睨み付けたそこには、オドオドと様子を伺う小さなトナカイ。

「ごめん、俺まだハンモックに慣れなくて…大丈夫か?」

これがゴム船長やウソップ、はたまた口の悪いクソコックであれば、剣豪は間違いなく愛剣・和道一文字を抜きさっていたことであろう。
 しかし相手はトナカイ、おまけにぬいぐるみテイスト満載。
年齢こそ定かではないがサイズ的にはまだまだお子様の域を脱していない彼である。ここで叩ッ斬っては剣豪の名がすたるというものだ。
 勿論我らが剣豪はそんなガキっぽい真似はしないのであった。

「…いや、大丈夫だ」

ツノの直撃を食らったイチモツは叫びだしたいくらいに痛かったが、優しく?笑ってトナカイにハンモックに戻って眠るよう促す。額に青筋が一本立っているのはご愛嬌だ。

「ホントにごめんな」

よいしょよいしょとハンモックによじ登るチョッパーに焦れて、片手でもこもことした尻を押してやり、自らも再びソファーに横たわった。股間はじんじん痺れたままだった。



 次に剣豪が災難に見舞われたのは、朝食後すぐ。
朝の鍛錬を追え、みかんの木陰でひとときの安らぎを―――つまり、だらしなく寝転がって惰眠を貪っていたときである。うたた寝するゾロに突然大量の水がざばざばざばーっと降り注いだ。

 「…なんだ…?!」
「あら、ゾロいたのぉ?ゴメ〜ン、みかんに水あげてたんだけどさぁ、給水パイプが吹っ飛んじゃって…。ねぇちょっと直してよ」
「てめェでやりやがれ!」
「借金今すぐ耳揃えて返してくれてもいいのよ?」

みかんの葉と尽きることなく噴出され続ける水の向こう側から、魔女がニッコリと笑った。
 剣豪は剣豪であるが故宵越しの金を持たない主義だったので、仕方なく給水機に向かった。脳天からつま先までびしょ濡れのまま、外れたパイプの先から噴出し続ける水に尚その身体を晒しながらである。
 まさに水も滴るイイ男であったが、その眼光は『寄らば斬る』と言わんばかりの物凄さ。
そんなゾロの表情を見ても眉一つ動かさないナミは、確かにゾロ言うところの魔女そのものであった。

「悪いわね。でもこんな時間からあんなところで寝腐ってる方もどうかと思うの。だからトニー君を叱るんじゃないわよ?」
「チョッパー?」
「俺…俺がバルブを開けすぎて…それで…」

ナミの影でブルブルと震えながら小さなトナカイが申告する。どうやらチョッパーはナミの手伝いを買って出て、見事に玉砕したらしい。

「ごめん、ごめんなゾロ」
「…気にすんな。修行の一つとでも思えば安いもんだ」

これがゴム船長やウソップ、はたまた足癖の悪いクソコックであれば、剣豪は間違いなく愛剣・雪走を抜きさっていたことであろう。
 剣豪は強烈すぎる水鉄砲を喰らっても、女子供を怒鳴り上げたりはしないのである。
 じゃんじゃん流れ続ける水流に逆らいながら、チョッパーが開けすぎたというバルブを閉め、吹き飛ばされたパイプを拾って繋ぎなおした。

「おらよ。治ったぜ」
「ありがとう〜♪借金300ベリー減らしておいてあげるわ」
「おいたったそんだけか!」
「さ、トニー君もう一回水かけにチャレンジよ?」

剣豪のツッコミも魔女には届かないようである。
ナミに促されたチョッパーは、ちょこちょことバルブに向かい、今度こそ適量の水を出すことに成功した。

「これでいい?」
「オッケーオッケー、ありがとうトニー君。明日からは一人で出来るわねッ」
「うん、俺頑張る!」
「させんのかよ!」

やはりゾロのツッコミにはノーレスの魔女であった。



 その後もゾロは散々な目にあった。
いつもの如く昼食前の腹ごなしとばかりにお手製のスチール棒(+錘300キロ)で素振りしていたら、剣豪の酷使に耐えかねたスチールが根元からばっきりと折れた。
 折れたスチールは引力と剛力により甲板に大穴を空け、G・M号をこよなく愛する砲撃手ウソップにねちねちと嫌味を言われつつ修理するハメに。
 お世辞にも器用とは言えないゾロは試行錯誤で板を張り合わせ、甲板の大穴に釘で打ち付ける。しかし剣豪は物事にこだわりのない大雑把な性格であったため、いまいち張り方が甘かったらしい。カルーと楽しく鬼ごっこに興じていたチョッパーがその上をとすとす駆け抜けた途端、バリバリッという不気味な音と共に半分から真っ二つに割れた。
 かくてゾロはもう一度板を張りなおすことになり、ウソップには手抜きがバレ、しこたまお小言を頂戴した。
 本来なら折角はめた床を踏み抜いてくれた動物コンビに直すか斬られるかの選択をせまるところだが、あいにくカルーは同船している王女・ビビのペット、もう片方はなんなんだかよく解らないトナカイ人間である。常によちよち歩いているその姿からは、とてもじゃないが甲板修理など出来そうもない、と剣豪は判断した。ムカつくが相手が獣ではどうしようもない。
 一人?と一匹は離れた場所からビクビクと剣豪の様子を伺っていたが、ゾロは一言、

「足元にもう少し気をつかえ」

と忠告するだけに留めた。
 これがゴム船長やウソップ、はたまた女癖の悪いクソコックであれば、剣豪は間違いなく愛剣・三代鬼徹を抜きさっていたことであろう。
剣豪とは女子供動物に向ける剣は持たないものなのだ。
 朝から数えて青筋は三本に増えていたが、ギリギリ歯噛みしながらも耐えた。


 しかし極めつけはその後。
ようやく甲板修理を終え、一休みとばかりその場に横になっていたら、ラウンジからひょこっと金色の頭が現れた。
 この時珍しくゾロは目を覚ましたままでいたが、ことあるごとに喧嘩を吹っかけてくる金髪のコックに起きていることがバレたら、なんだかんだ下らない言いがかりをつけられるのは目に見えている。
 剣豪とは余計なトラブルを招くような迂闊な真似はしないのである。
勿論無視して寝たフリを決め込んだ。

「おーいゾロ」

寝たフリ寝たフリ。
 ツカツカとサンジのローファーが甲板を叩く音が聞こえる。勿論その目的地は決まっている。寝腐れ剣士の腹にその黄金の右足を容赦なく埋めるまであと7歩。6歩。5歩…。

(ん?)

あと3歩というところで靴音が止まった。くるりと踵を返す気配に、サンジの声。

「おいチョッパー、テーブルを出してくれねェか」
「うんサンジ!」

雨や嵐が来ない限り、G・M号の昼食は甲板にテーブルを出して摂る。コックであるサンジが乗船して以来のスタイルだ。
 ラウンジの電気消費量を抑える為、また少しでも楽しく食事を摂れるようにとのコックの采配であったが、寝ているところを必ず蹴り起こされてテーブル準備をさせられるゾロにはありがた迷惑もいいところの習慣であった。

(…まァ確かに外で食うメシは余計美味く感じるけどよ)

何のことはない本音を言えばゾロだって楽しみにしているランチタイムである。
 サンジの作る料理は、ゾロがこれまで食べてきたものの中でもダントツの最高級。料理の味だけでなくそれぞれの嗜好、栄養、食材、食器、雰囲気に至るまで計算され尽くした食事は、剣一筋に野望を追いかけてきたゾロにはまるきり縁のない世界だった。それだけに一食一食の価値は高い―――娯楽の少ない船上では尚更だ。
 だからと言って決してあのクソコックを褒めたりはしないゾロである。それではただの仲良しさんではないか。
 剣豪とはむやみやたらに愛想を振りまくものではないのであった。

(やれやれだ。今日はどうやら一発喰らわずに済むらしい)

寝たフリのゾロに代わり甲斐甲斐しくテーブルを用意するチョッパーを、閉じた瞼をちょっぴり開けて確認する。
 ここだけの話、剣豪はコックとドカバキ喧嘩するのも結構楽しみだったりするので、なんとな〜く物足りない気分を味わっていたのだが。
 そんな己の感慨には気づかないことにして、取り合えず昼食の支度が出来るまで、本格的に眠りに落ちようと瞼を閉じた。

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