20時からの恋人 12


12 24時間の恋人


 救急車で病院にとんぼ返りしたゾロが覚醒して一番に目にしたのは、かつてと同じICUの味気ない天井。
相変わらずゾロにはさっぱり用途不明の金の掛かりそうな機械類があちこちで点滅していたりカタカタ音を鳴らしたりしている、出来れば二度と入りたくなかったあの部屋だ。

(…俺は確かおでん屋に行ったつもりだったんだが)

同室の患者達の協力の下、不自由な足を強引に動かして病院を抜け出したゾロは、お約束通りにとんでもなく迷いながらも根性であの男まで辿りついた―――筈、だったのだが。
 そういえば駅の階段を転がり落ちて胸をしたたかに打ちつけてからの記憶が曖昧だ。その場で昏倒した所を運ばれたのだろうか。

(だとすると、アレは都合のいい夢か)

アホ面晒したおでん屋を口説き倒して抱きしめて、それから確か。

(―――いい夢だったぜ)

なんて思わずニヤつきながら起き上がろうとしたが、何故か身体が動かせない。

「いッ、…なんだこりゃ…?」

身動きひとつ出来ない状況に焦っていると、ジャッと開いたスライドドアからやたら元気そうな背筋の伸びた老婆―――主治医くれはが、見た事のない看護婦を連れて現れた。
 ベッドの上で首だけ起こしてもがく男を驚きを込めて見つめ、

「もう起きたのかい。相変わらずムダに元気な患者だね」
「医者、この紐は!」

ゾロの両手両足、それから腰が、太目の白いベルトでしっかりとベッドに固定されている。
 いまどきの病院ではとっくに廃止された、身体拘束というやつだ。

「あと1日は麻酔が効いてるかと思ったが…全くバケモノだね」
「御託ァいいから早く外せ」

歯を剥いて反抗する男にくれはは「ふん」と鼻を鳴らし、

「また逃げ出されて悪化されちゃ溜まったもんじゃないからね。アンタはしばらくそうやって反省しとくがいいさ」

ヒッヒッと魔女のように笑いながら患者のクレームをばっさり斬り捨てる。
 ぐう、と喉の奥でゾロが唸ると、付き従った看護婦が躊躇いがちに小さく付け加えた。

「貴方が脱走したせいで、たしぎちゃんすごく落ち込んでるんですよ」
「オイあいつのせいじゃねぇぞ。俺が脅して」
「落ち着きな若僧。キレた患者が逃げ出した位でスタッフを更迭するような真似はしてないよ。あの子はアンタが五体満足で戻らなかったから落ち込んでるのさ」
「………」
「体中擦過傷だらけで足に入れた鉄板はひん曲がってる、オマケに塞ぎかけた胸の傷は縫合し直しだ。―――少々ボケたところのある子だけれどね、あんまり虐めないでやってくれるかい」
「…悪かった」

ゾロはふうっと息をつき、諦めたように全身の強張りを解いた。
 話の内容如何ではベルトを自力で引き千切るつもりだったのだからどうしようもない患者である。

「それはあの子に云っておやり。…そういえば」

窘めるようだったくれはの口調が突然変わったのにゾロは片眉を上げた。

「救急でアンタをここまで運んできた男、顔色が悪いと思ったら突然ぶっ倒れてね」
「な」
「貧血がひどい。あと胃を少々おかしくしてるみたいだったからついでに入院させ―――人の話は最後まで聞かないかこの単細胞!」

猛烈に暴れ出したところで主治医の鉄拳が縫合したばかりの胸元に振り下ろされ、その強烈な痛みに思わず仰け反るゾロは気力で意識を留めた。

「…ッ、あ、あんた医者の癖して…いやそれより」
「鎮静剤代わりさ。―――二日ばかり療養させたがもう帰る。あんたがこれから退院まで大人しくするって約束出来るなら、会わせてやってもいいが」

どうするね?との問いに、渋々「約束する」とゾロは答えた。








 施術を終えて個室に移された男は、おとつい救急車で運ばれたとは思えないほどケロリとした顔でサンジを迎えた。

「ようおでん屋」
「…よう、じゃねェよクソ野郎」

照れ隠しなのか睨みつけながらぶっきらぼうに呟く青年を、ベッド上の男がちょいちょいと手招きする。
 サンジが逡巡しつつもそのすぐ傍まで近づくと、ゾロは細い腰に腕を廻して、ぐいっと痩身を引き寄せた。

「ッおい!」
「…メシの匂いがしねぇ」
「―――二日ばかり、俺もここに世話になったから」

ウェストに顔を突っ込んでくんくん鼻を動かす男を(まるで動物みてぇだ)と苦笑しつつ、サンジは緑色の頭髪にそっと触れた。
 初めて触れるそれは、手の平にさくさくと短い毛が当る感触がとても良い。

「倒れたんだってな」
「ただの過労で大したこたねェんだ。それよりアンタだよ」

無茶はやめてくれ、と小さく続けると、「おう」と返事が返った。

「お前の店、そんなヤバいのか?」
「や、それはもう大丈夫になった」

病院までゾロを送りに行っただけのサンジが男と同様に倒れた、と知ったナミは般若のように怒りまくり、屋台の前に陣取って二日をかけて掛売りを清算。
 ツケを全額、それも随分なおまけつきで回収してくれたらしい。
しつこく溜め込んだ割に信じられないくらい払いの良かった彼らの言い分は、

「兄ちゃんが困り顔で『しょうがねえなあ』って言うのが好きで」

だったというのだからナミもおでん屋もびっくりだ。
 ともかくもあれだけ悩んだ金銭問題もあっさり解決したサンジなので、残る気がかりは今だ重傷なこの男だけ。

「だから、…早く元気になって、また店に来てくれよ」
「お前が毎日弁当持ってきたらスグ治る」
「おう―――って毎日かよ!」
「嫌か?」
「そりゃ嫌…じゃねェ、けど」

言われなくても毎日押しかける気だったサンジにゾロの発言は好都合ではあったのだが、こうもストレートに要求されると、くすぐったくて身が捩れそうだ。
 なのでサンジは甘えグセがついたらしい男の広い額を指で弾いてやることにした。
ピン!と指を動かすとゾロが「痛ェ」とわざとらしく顔を歪めたのでなんとなく満足して、悪戯ッ気を起こしたサンジは今度は自分が痛めつけたばかりのそこにそっと唇を落とす。
 それから瞼を辿り、鼻先に触れ、頬を掠め、つい先日一度だけ重ね合わせた場所に。
動物のような男は大人しくそれを受け入れた。

「…しょうがねえ野郎だな、そんなに俺のメシが好きか?」

ゆっくりと唇を離してから、満足ついでに今更なことも聞いてみる。
 勿論この男は「好きだ」と即答するに決まっているので、これはサンジにしては最大規模の甘えを込めた発言だ。
 しかしニヤリと笑ったゾロから、

「好きだ。だから」

お前のメシもお前も早く食わせろ、とまで言われたのはちょっと予想外だった。








 黒のブルゾンにジーンズ姿の金髪青年が、大きな風呂敷包みを抱えてエレベーターに乗り込む。
目的階を押しドアを閉じようとしたところで、廊下の端をゆっくり進むガウン姿の老人に気がついた。
 咄嗟に足を伸ばして閉じかけたドアを開けてやる。

「どうも、すまないね兄さん。…今日もお見舞いかね?」
「アァ。って爺さん、なんで俺を知ってんだ」
「兄さん目立つからなァ。最近良く来てるだろう」

サンジは参った、というように頭の後ろを掻きながら、

「ちょっと目を放すとすぐ暴れ出す猛獣みたいなのが入院しててね」

と笑って答えた。
 エレベーターを降りるとすぐにいつもと同じく大声でのやり取りが耳に入る。
騒音の出所は居室である大部屋ではなく、目指す男が機能訓練に励むリハビリ室だ。
 順調に回復を見せるゾロは、大部屋に戻された途端に熱心に身体を動かし始めていた。
それでも以前ほどの無理はしなくなったようで、この分なら退院は目前だろう。

「…だから、歩行器併用でって云ってるじゃないですかあ!」
「いらねぇつってんだろ!いいからアンタ、どっか行ってくんねェか」
「な、なんて言い草ですかロロノアさん!私これでもPTの資格だって持ってるんですよ!」
「聞いてねェよ。俺には俺のやり方が」
「―――おいテメェ看護婦さんに向かってなんて口の利きようだ!…すみませんね、良く云って聞かせますカラ」

いきなり背中を足でドつかれてつんのめった男を無視して、サンジは小柄な看護婦ににっこりと微笑んで見せる。
 ゾロとの諍いなぞいい加減うんざりしていた看護婦はサンジの姿を認めるなりあからさまにほっとした顔をして、「後はお願いします」とさっさと部屋を出て行った。
 看護婦は忙しいのだ。いくら問題があるからとはいえ、一人の患者にばかりかまけている暇などない。
ゾロは悪戯を見つかった子供のような表情で自分を蹴り飛ばした青年を見つめ、それからその手の風呂敷包みに目を移して、僅かに目元を綻ばせた。



 約束どおりゾロは病院を抜け出すこともなく、約束どおりサンジは毎日こうしてゾロの元にやってくる。
ストレスもなくなり顔色も良くなったおでん屋は、男だとか口が悪いだとか足癖まで悪いとかあと恋人の贔屓目を除いても充分以上に魅力的だ。
 凝りに凝った手作りの差し入れはこれがまた最高に美味くて、目下人生で一番のシアワセを満喫中のロロノア・ゾロである。
 けれどやっぱり一日も早く身体をなんとかして、退院して、この青年を押し倒してなんとかかんとかしたい。

(じゃねェとまた)

おでんの板コンを複雑な思いで見つめてしまいそうで、流石にそれだけは避けたいと思う昨今なのだ。






20時からの二人の逢瀬は、
今は午餐のひとときに変わり、
多分もうじき24時間年中無休に変わる予定。




END



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 (2003.08.09)

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