さくら 1





 初めてその幽霊に出会ったのはまだ小学生だった時分。
四年の、三学期も終わりかけってギリギリの時期だ。

「よう」

 長引いた風邪もようやく落ち着いて、母ちゃんに言われて部屋の空気を入れ替えるために窓を開けた俺が、久しぶりに新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだ時だったと思う。
 外から突然かけられた声に俺はびっくりしてそっちを向き、木の上にそいつをみっけたんだ。
 家の庭にはでかい桜の古木があって、高く太く育った枝は丁度二階にある俺の部屋にほど近い場所まで伸びている。
 その大木のど真ん中に、枝を股に挟むようにして座ってるガキが一匹。
 年は多分、俺と同い年かちょっと下くらい。でも見覚えのねぇ顔だった。俺はあんまり人の顔とか道とかを覚えるのが得意なほうじゃなかったが、こんな目立つ金色頭、学校で一度でも見かけてたら忘れるワケがねぇ。
 そいつはやけに嬉しそうに、ニコニコしながら尚も俺に話しかけた。

「なぁ、てめェ俺が見えてんだろ?」

 見えるも何も目の前にいんじゃねぇかと首をかしげた俺はけど、すぐそいつの持つ違和感に気がついた。
 真夜中ってワケじゃねぇけど、ガキが外を出歩いていい時間はとっくに過ぎている。辺りは真っ暗で、頼りになる明かりは俺の部屋の電灯と、家の前の路地に立ってる街灯ぐらい。
なのにそいつのまわりだけが、なんだかぽうっと明るかった。
 まるで、そいつ自身が光を放っているような。

「お化け…?」

 咄嗟に口をついて出た言葉に、そいつは「うん」とアッサリ答えて、俺は怖がるのも忘れて呆気に取られた。
 悪びれた様子も、脅かそうとする風情もなく、どっからどう見てもただの小学生だったんだから、春先の怪異に俺がビビる前にあきれても無理はなかったと思う。

「………」
「あー、怖がらなくてもいいぜ?別に取り憑いてどうこうしようとか、思ってねェから俺」
「あぁ?お化けのクセして何言ってんだお前。ちゃんと仕事しろよ」
「仕事だぁ?」

 今考えたら取り憑かれてヤバイのは俺のほうだったんだが、そいつがあんまりにも幽霊らしくねぇもんだから、ついそんな風に言ってしまった。

「母ちゃんが言ってた。ニンゲンにはみんな仕事があって、小学生は学校に行くのが仕事なんだからちゃんと学校に行けって。お前はお化けなんだから、ちゃんとお化けの仕事しろ」

 我ながら良くもまあエラそうに言えたもんだ。
タチの悪いインフルエンザに罹ってマル一週間学校を休んでた俺は、今日になってようやく完治証明が降りた。
 明日から久々に学校に戻ることが決まったんだが、あと一日休んだら鬼門である歌のテストを免れるはずで、いっそ仮病でも使おうかと考えてる矢先だったんだから自分でも図々しい。

「…でも、お化けはもうニンゲンじゃねェし」
「あ」

そうか死んでるからな、と思った俺に、お化けはやっぱりにいっと笑って、

「だから俺、悪いコトとかしねェ。この木がさ、」
「木?」
「うん。これ、桜の木だろ」

白い指をすっと伸ばして、頭の上のあたりにある枝を引き寄せた。

「もう蕾が膨らみかけてる。―――花が咲くところ、見てェなーって」
「見たら、ジョウブツ出来んのか?」
「判んねェけど、そーじゃねェかな」

 お化けと話をしながら、俺はテレビとかでたまに目にする心霊番組を思い出した。
死んだニンゲンが幽霊になるのは、この世になんか、ミレンがあるからなんだそうだ。ジョウブツってのは天国に行くことで、ジョウブツできない霊はとっても可哀想なんだって。
よくよく見たらお化けは、ナマイキにもニンゲン様である俺とフツーに会話してるくせに、どこかちょっと寂しそうだった。
 俺がちょっと、情けをかけてやりたくなる程度には。

「いいぜ」
「?」
「お前、悪いお化けじゃなさそーだし。桜が咲いてる間、俺のところに居てもいい」
「マジ!?」

 ぱあっと表情を輝かせたお化けは、そのまま飛び上がっちまいそうに喜んで、俺は一瞬木から落ちるんじゃねぇかとヒヤッとしたが、お化けはお化けなので大丈夫そうだった。

「いやー、ダメって言われても居座るつもりだったんだけど、歓迎されたら悪い気はしねェなー」
「イヤ別に歓迎してねぇし」
「あ?てめェがそういうコト言うか?」
「?」
「元はといえば、俺が死んだのはてめェのせいなんだぜ」
「…は?」
「『さくらさくら』。朝ッパラから大声で歌ってたのてめェだろ」
「!」

 お化けが告げた曲名は、明日俺が受けなきゃいけないテストで、俺が独唱するはずの歌だ。
体育以外にはからきし自信のねぇ俺は、先生から既に二度ダメ出しを食らっており、インフルエンザのちょっと前からせっせと自宅での個人練習に取り組んでいた。
 風邪がこんなに長引いたのも実は、熱があるのに無理して毎日大声出してたせいだったんだが、それとコイツとどういう関係が?

「俺さ、多分てめェと同じ学校に行くはずだったんだ」
「俺の学校?」
「そ。ここからちょっと先に引っ越してきたばっかで…二日目だったかな?朝、学校行く途中この木の下を通りかかったら」

俺が歌う、『さくらさくら』が聞こえてきたのだという。

「前の学校で習ったばっかの歌だったから、『あ、ここんち俺と同い年のガキがいる』って思って。でもそれが、とんでもなく調子外しまくってて」
「………」
「あんな簡単なメロディを掴めねェって、こらどんな音痴野郎だとか思って、ついつい長時間見上げちまっててさあ。あっヤベ遅刻、ってのに気がついて慌てて走り出したら乗用車にドガーン、みたいな」
「みたいな、じゃねぇだろっ!」

 余りにもアホなその死因を聞いて俺は大声を上げてしまった。
と、俺の声を聞きつけたらしい母ちゃんが階下から「どうかしたの?」と尋ねてきて、俺は慌ててドアに向かって「何でもねえ!」と返す。
 俺と違って母ちゃんは『こういうの』に滅法弱いひとだから、コイツを見られでもしたら大騒ぎになっちまうのは想像に難くなかったし、どうもそんときの俺は、もっとお化けと話をしていたかったように思う。
 まあ、滅多にない経験だったから。

「じゃ、そーいうワケでしばらくヨロシクなゾロ」
「!?」

 けれどそんな俺の思惑とは裏腹に、告げてもいない名前を口に出されて振り返った桜の木の上には、誰もいなかった。

「消えやがった。つうことはやっぱ、ホンモノか」

なるほどお化けというのは便利なものだ、と感心したもんだ。








 翌日、久しぶりに学校に行った俺は朝ッパラからクラスメイトたちに取り囲まれ、大層冷やかされて閉口した。

「バカは風邪引かないっての、嘘だったんだな」
「バカって言うな」
「インフルエンザだから、風邪とは違うんじゃねえの」
「歌のテストが嫌でサボってたんだろ?残念だったな、ゾロだけ今日やるって言ってたぜ」
「うー」

 そんなことは覚悟の上で登校したんだが、お化けにまで「調子外れ」の烙印を押されたばかりの俺はちっとばかし不機嫌な顔になっていたのかもしれない。
 クラスメイトは慌てて話を変えた。

「そういえばゾロが休んでる間、転校生が来たんだぜ」
「てんこうせい」
「うん。丁度ゾロがいねぇからって、先生ゾロの机貸してた」
「あぁ?何だよそれ」
「次の日には新しいの運んでたけど、結局用ナシになった」
「それがさ、三学期ももうすぐ終わるってのに変だと思ったら、タマゴ公園の向こうにレストランが出来たじゃんか」
「そういやなんか工事してたっけ。あれ食いもん屋か」
「そこの子だったってよ」

 ともだちが悪気のまるでねぇ顔で転校生について語る言葉はどれも、へんなかんじに過去形だったことから、俺にはそれがどういう意味を持つのかなんとなく判った。
 因みにタマゴ公園はここらじゃ一番大きい公園で、俺らの区のガキは放課後や休みの日、ほとんどがそこで遊ぶようなメジャーな場所だ。
 本当の名前はナントカ児童公園だったけど、難しい漢字で読めないから、ガキの間じゃそのタマゴ型からまんま『タマゴ公園』で通っている。
 そのタマゴ公園の近くでは去年の夏休みあたりから空き地だった場所で工事をやっていて、確かについ先日そこが完成したようではあった。
 カラフルでおもちゃみたいな外観に、この町にもついにゲーセンとかいうのが出来たのかとなんとなく思い込んでたせいか、レストランだとは気付かなかったけど。
 どちらにせよ、

(そこんちに同い年のガキがいて、そいつがお化けになってることに比べりゃ)

驚くほどのことでもない。
 そう思いながらぼんやり相槌を打った俺に、

「ナマイキそうなヤツだったよな。男の癖になんか女子にちやほやしまくってさあ」
「ゾロが会ってたら絶対ケンカしてたと思う。えっらい口が悪いし、顔に似合わずとんでもねぇゴンタってかんじ?」
「でもさ、もう学校には来ないんだぜそいつ。挨拶した次の日から休んでると思ったら」
「学校来る途中で交通事故に遭ったんだってよ。皆も車に気をつけろって、全校生徒で臨時集会」
「やめなさいよ!」

脇からさえぎった声は、級長やってる女子のもんだ。

「サンジ君が可哀想でしょ!先生も、事故の話はするなって」
「うるせーよお前。つか名前とか覚えてんのお前だけだろ」
「アンタばかじゃないの。一日だけだったけど、サンジ君、同じこの組にいたんだよ…?」

 級長がそう漏らしたら、途端に教室の隅から泣き声が聞こえてきて、俺を含めた男連中はちょっとびっくりした。
 ロクに喋ってもいない上、たった一日しか顔を合わせてないヤツのためによく泣けるもんだと呆れてるのがほとんどだったと思う。
 一気に場が白けたのと、そろそろ担任がやってくる頃だってのもあって、その話はそれきりになった。
 散り散りに自分の席に着く悪友どもを見ながら、俺は昨夜の幽霊のことを思い出した。

(あいつ、サンジって言うのか)

 まあ確かにナマイキそうなヤツだったけど、別にケンカはしなかったなあ、なんて思った。
 もし俺がちゃんと学校に行ってる時に『サンジ』と出会ってたら、幽霊になって俺んとこに出てきたことに、悲しんだりとかもっともっと驚いたりとか、下手したらビビったりとかしてたかも知んねぇけど、俺が会ったのは、

『もう幽霊になったサンジ』

だったから。
 だから生きてた頃のあいつの話をされても別になんとも思いはしなかったけど、その後の歌のテストで、教壇の前に立たされて『さくらさくら』を歌ってるとき、サンジがここに居たらきっと昨日みたいに遠慮なく悪態をつかれてたんだろうなあ、あいつ幽霊になっててよかった、とちょっとだけ思った。
 俺は歌は苦手なのだ。




NEXT

 (初出2005.03.06/WEB2010.03.04)

Template by ネットマニア