さくら 2





 学校が終わったら、俺はいつも剣道の道場へ行く。
道場は学校とは反対側、俺の家を挟んでタマゴ公園のまだずっと先にあるんだけど、通りすがりにサンジの家だとかいうレストランを見た。
 タマゴ公園を囲うようにして生えてる木々の間から覗く、 サカナの形をした変てこな店の入り口は固く閉ざされていて、『オープン延期いたします』みたいな張り紙がくっついている。

(サンジが死んだからだろうな)

 この店が開くことはあるんだろうか。あったとしても多分、俺みてぇなガキはこんなとこには来ないだろうけど。
 それからいつも通り夕方まで竹刀を振って、家に帰って晩ごはんを食べて風呂に入って、俺はとっとと自分の部屋に戻った。
 友達が夢中になってるテレビとかゲームにはあんまり興味がない俺だったけど、お化けはまた別だ。
 昨日みたいに窓を開けたら、そこには思ったとおりお化けの『サンジ』がいて、

「よう」

昨日みたいにニヤっと笑って、俺に手を振った。

「学校行ったら、お前の話された」
「へえ」
「あっお前、俺の机使いやがったってマジか」
「別に好きで使ったワケじゃねェよ。先生がとりあえず今日は、つって座らせただけ」
「なんか自分のもん触られんのって面白くねぇんだよ」
「………。文句があんなら明日先生に言え」
「おうそうする」
「なぁ、他にはなんか言ってた?」
「特になんも…あ、女がなんか泣き出してウザかった」
「えっマジ?うわー、なんか感動するなあ」
「俺んトコじゃなくてあいつらのとこに出てやれよ。キャーッて悲鳴上げて逃げまくるぜ」
「そらなァ、いくら俺がハンサムでも女の子は怖がっちゃうかもなあ」
「言ってろ」

 自称ハンサムなお化けは確かに俺とおんなじ男にしては小奇麗な顔をしていたけど、金色の長い前髪の間から見える右の眉毛が、よくよく見たらなんだか内側に向かって渦を巻いている。

「…お化けって、眉毛巻くもんなのか?」
「こら生まれつきだアホ!てめェのマリモみたいなミドリ頭だって相当個性的だろうが!」

 クワッと青い目を見開いて威嚇してくるのがおかしくて爆笑したら、サンジは不思議そうな顔で「ヘンなやつ。てめェちっとも怖がらねェんだな」なんて言ってきた。

「お前のうちの人とか、怖がったりしたのか」
「いんや?なんか俺、ここにしか出れないみてェなんだ。ついでに言うと、俺が見えるのもてめェだけっぽい?」
「出るのは俺んとこだけで、お前に会ったのも俺だけか」
「うん。…ジジイとかどうしてんのかな、って思うんだけど。でもそれこそ泣かれたりとかしてたら嫌だから、丁度よかったかも。一人息子…じゃねェ一人孫がアッサリ死んじまって、さすがにあのクソジジイもガックリ来てるだろうからなー」

 他人事のようにそう話すサンジの顔は、なんだか奇妙に歪んでいて、俺は急に自分が恥ずかしくなった。
こいつがあんまり普通にしてるから気づけなかったけど、サンジは俺とおんなじ四年生で。
 なのにもう死んでしまって、家族とも友達とも会えないのだ。

「…悪い」
「んん?」
「お前、ホントに死んでるんだな」
「おーおー。あ、同情とかいらねェから俺。女の子からならともかく、ヤローに情けかけられてもぜんっぜん嬉しくねェもん」

 俺がとっくに情けをかけてやってることに気づいてないお化けはちょっと頬っぺたを赤くして、そんな風に吐き捨てた。
 それから自分が陣取ってる木をぐるりと見回して、

「ここの桜が見れたらそれでいいんだ。他には別に、てめェに期待することなんざねェの。騒がれて霊媒師とか呼ばれたら流石にヤベーかもだから、ちっとコトワリ入れただけで」
「…ふーん」
「白っぽくてピンクの花ががつんて咲いてるのも好きだけど、葉桜も結構好きだ。ほらあの、花と一緒に緑の葉っぱが」
「あー、俺もあれはキレイだと思う」
「だろ?あとアレな、風に花びらがばーって散るやつもいいよな。―――だから」

 花が散るまでは、ここに居ていいか。
ちょっとだけ震えた声に、俺は勿論「いいぞ」と返した。
 サンジは眉毛の端っこだけを器用に下げた顔で笑って、目の前からいきなりふっと掻き消える。
テレビで見る超魔術とかCGとかメじゃない芸当を今度こそ目の当たりにしたけれど、やっぱり怖いとかは思わなかった。
 だってサンジだし。











 俺とサンジの付き合いはそれからも毎晩続いて、俺はやっぱ夜は眠くなっちまうから一日あたりの時間は短かったけど、毎晩飽きることなく言葉を交わし続けた。
 桜の花は少しずつ咲いて、五分になって八分になって、やがて満開になって、俺は五年生になったりして、たまにひそひそとサンジの話をすることもあったクラスの奴らはいつのまにかすっかりサンジのことを忘れちまったようだが、その頃には反対に、毎晩サンジと遊んでる俺だけがどんどんサンジに詳しくなっていた。
 勉強は好きじゃないけど、五年生になったらはじまる家庭科で調理を習うのを楽しみにしていたことだとか。
なんでかって言ったら、将来は爺さんの跡をついでコックになるつもりだったからだとか。
 越してくる前はなんと外国に住んだこともあって、日本の勉強のために観ていた映画で桜の木をみかけて、それからずっとナマで見たいと憧れてたことだとか。
 誰も知らないサンジのことを俺だけが知っているのは、どこか優越感に似たものを俺に覚えさせていたと思う。

 夜になったらお化けのサンジと少しだけ会う。

そんなのが当たり前みたいな生活になれた頃、俺はだんだんサンジが薄くなっていくのに気がついた。
 いつもみたいに枝をまたいでるサンジを透かしてうっすらと、その後ろの枝や花が見えるのだ。
 桜はもう半分以上が葉っぱに取って変わられてて、

(これが全部散ったら、こいつは居なくなるんだろう)

ってのは鈍い俺にもなんとなく判った。
 やがて四月も終わりかけたある日の昼間、やけに強い風が吹いて。
道場での練習をすっぽかしてまっすぐ家に帰った俺は、庭の桜から白っぽいピンクが一切合財消えているのを確認した。
 もしかしたら、と思ったその晩を境にぱったりとお化けは出なくなり。

(いなくなりやがった)

 約束した通り、桜の花が全部散ってしまったから。

(葉桜も、散るところも全部見れたから)

 満足して、いってしまった。
二日どころかほぼ二ヶ月サンジと過ごした俺は、クラスの女子なんかよりずっとずっと本気で泣けてしまって参った。
 一度くらいタマゴ公園でサンジと遊びたかったと今更ながらに思ったけれど、当然ながら遅すぎたのだ。
 だってサンジはお化けなんだから。
俺ん家の桜に満足して、ミレンを失くしてジョウブツしちまったら、二度と会えない幽霊なんだから。
 タマゴ公園にはサンジの好きな桜の木だって沢山植えてあるし、折角サンジの家の傍にあったのに。
 俺は一度もサンジとそこへは行けなかったと思ったら、涙が止まらなくなって、本気で困って悔しくてまた泣いた。












 いきなり現れていきなり消えた人騒がせな幽霊は、しかし俺の予想を大きく裏切るとんでもないヤツだった。
それから夏が来て、秋が来て、冬が来て。
 ようやく俺は夜になってもサンジのことを思い出さなくなってたったってのに、庭の桜が蕾をつけ始めたのと同時に、サンジはまた、唐突に俺の前にその姿を見せたのだ。
 前の年そうしていたのと同じように、俺の部屋の真ん前の枝に跨って「よう」と。
とっくに死んでるのが不思議なくらい、明るく元気に手を振ってみせたのだから驚きだ。
 ぽかーんと口を開けた俺に、お化けのサンジはちょっと照れくさそうに、

「俺、まだジョーブツ出来てねェみたい」

と真っ白な歯を見せて健康的に笑った。
 サンジはなんと季節限定の幽霊だったのである。




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 (初出2005.03.06/WEB2010.03.06)

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