ゆく年、くる年。 1 |
1 サンジはレストランという場所をこよなく愛しているし、コックという職業をこよなく愛している。 けれど時おり、因果な商売を選んじまったよなァ、と思うこともあった。 例えば――― 「弐の重三台、上がりました!」 「オーナー!平台の問い合わせです、今からでも四台いけますか?」 「誰だァ今頃?」 「交番のスモーカーさんっす、…あーハイ、五千のほうで、あ、ちょっと待ってください」 「チビナス!グリルに帆立足しとけ。オイお廻りには除夜の鐘までって伝えろ。配達はナシ一時までしか待たねェからな」 「チビナスって呼ぶなつってんだろ!」 「お待たせしました、0時きっかりにご用意致します。ハイ、あー、引き取りは警邏の帰りで構いませんけど、午前一時迄ってコトでお願いします」 「おいこっちオマールが入ってねェぞ!?」 「スイマセン今入れるッす!」 「オーブンあと五分!」 もうもうと立ち込める湯気のせいで誰が誰と会話してるのかも定かでない、けたたましいの一言に尽きる厨房では、バラティエのコック総動員で仕出しの準備に大童だ。 去年まで学生バイトでしかなかったサンジは、オーナーシェフである祖父の主義により深夜に及ぶ業務はこれまでずっと蚊帳の外だったから、今夜は初めて迎える修羅場である。 繁華街とはお世辞にも呼べぬ立地とオーナーが高齢であることから、普段のラストオーダーはレストランにしては早めの午後八時だ。客がギリギリまで粘っても閉店はその一時間後で、遅番ですら日付が変わる前に家に着ける。 所帯持ちスタッフにはたいそう有難いこのシステムが崩れるのは、クリスマス前からはじまるご予約ラッシュと引き続いての『御得意様あてデリバリー』。 古株コックからは、中でも特に三十一日までの三日間がとんでもなく忙しいと聞いていた。 一服どころか一息つく暇もない、猫の手も借りたい、ありゃあ地獄だ気が狂う、とも。 けれど大袈裟に聞いていたからこそ、 (ったく身内なんだからナンボでも手伝ってやんのによー水臭ェったら) なんてかつてはお留守番を不満にすら感じていたくらいだったサンジだが、晴れて高校を卒業し、本格的に店で働くようになって初めての年末商戦を迎えた今となっては、既にのんびり過ごせた当時が懐かしい。 とにかく作業量がハンパじゃないのだ。 一昨年から常連に乞われて作り始めた『バラティエ洋風おせち』は、ご町内限定でのサーヴィスなのにも拘らず、物珍しさが受けたかお陰様でありえない量のご注文を頂いている。 ぶっちゃけ(イヤそりゃ無理だろ)と思ってしまうほどなのだが、客が日頃お世話になってるご近所ともなれば融通を利かせてしまうのは当たり前、駆け込み受注にだって愛想良く(※当社比)OKサインを出してしまうのもダイジな営業活動のひとつ。 とは言え時刻は大晦日の午後八時、けれどまだまだ終わりは見えそうにもなくて。 間違いなくここで新年を迎えるのだろうと思ったら、流石のワーカホリックも少々へこたれ気味になる。 (年越し蕎麦は、俺が作ってやるつもりだったのにな) サンジは休みなく腕を動かしながら、頭の隅っこで幼馴染のことを―――多分冬のゾロ定位置であるコタツに入ってミカンなんか齧りながら紅白…いや間違いなく格闘系のナマ中継なんか見てるだろう『お隣さん』の姿を思い浮かべた。 仕込みの都合で今夜の夕食は早めに済ませざるを得なかったから、そろそろ小腹を空かせている頃合だと思うけれど、こんな状態ではとてもじゃないが「ちょっと抜け出して恋人のお世話」なんて顰蹙、出来そうにない。 年末も年末、大晦日ギリギリまで頑張っているバラティエとは違って、商売熱心でない隣の酒屋は二十八日にとっとと御用納めして、以来シャッターを降ろしたままだ。 「年末年始くれぇはゆっくりするもんだ」 満足そうに『年内のご愛顧有難うございました』のポスターをでかでか貼り付けた男は、それからちらっと思わせぶりにサンジを見た。 『お前と』ゆっくりするぞ、という解りやすい意思表示に、さぞかし乱れた妄想を働かせてるんだろうと赤面しながらゾロの尻を蹴り上げたサンジだったが、内心ではちょっとだけ、 (それもいーよな) なんて思ってはいたのだ。 働き始めてからは季節ごとに長期休暇を与えられた学生時代がウソみたいに忙しい毎日を送っている。 毎日欠かさず顔を合わせているとは言え、では『ゆっくり』二人っきりで過ごせているかといえば答えはノーだ。 料理すること自体が三度の食事より大好きなサンジだから、どれだけ働いてもそれ自体はちっとも苦だとは感じない。 寧ろ料理人としては、ぺーぺーの駆け出しコックが名店バラティエの厨房でみっちり修行できることを喜んですらいる。 引っ掛かるのはひとつだけ。 やきもち焼きの恋人が、仕事重視なサンジに愛想を尽かしたりしないだろうか…それだけだ。 晩飯はいつも以上に豪勢だった。 魚貝のたっぷり入ったグラタンと、魚と鶏肉のフライ、ローストビーフのスライスを少々、鮭と鮪になんか酸っぱい味がついたサラダみたいなの、焦げ目のついてないほうの焼き飯にそれからこれは定番の、バラティエ特製コンソメスープ。 日暮れ前にコックコートを纏ったまま現れたサンジは、挨拶もそこそこ両手一杯に抱えたビニールやらタッパやらの中身を大急ぎで皿に引っ繰り返し、勝手知ったる台所でさっさか持ち寄った料理を温めなおした。 ほぼ毎食世話になっておいてアレだが、脇目も振らず作業に没頭する料理人の姿には少々鬼気迫るものがあって、ゾロは一瞬うお、と鼻白んだ。 まさに声を掛けるのも躊躇われる風情だったサンジは、炬燵の中から応援するしかないゾロの目の前にとんとんとん!と瞬く間に料理を並べ、 「悪ィ今日は全部まかないだ。後は好きに食え!」 登場と同様、風のごとく去って行った。 ありがとうを告げさせるスキも見せなかった幼馴染に、ゾロは半ば呆れ半ば感心したものだ。 ―――無理してまでするこっちゃねェだろうに、と。 隣の洋食屋が山ほど正月料理の注文を受けているのはゾロだって承知の上。晦日、大晦日が山場だとも聞いているし、実際ここしばらく、サンジが部屋に戻ってきたのは賑やかな商店街もすっかり寝静まった深夜だったのだ。 思えば昨晩もそうで――― 「ただいまー。…ううー、クソ寒ィ」 ゾロの体温でぬくもったベッドにごそごそと潜り込み猫の子のように身を寄せてきた青年は、普段の元気が嘘のようにかなりくたびれた様子を見せていた。 「お疲れさん。おい、ヒトリで寝たほうが良くねェか」 「冷え切ってんだもんあっち。って何か、てめェ俺様と同衾したくねェってのか」 「そーいうワケじゃねェ」 むうっと唇を尖らせて引きかけた痩身を、慌てて腕の中に仕舞いこむ。 ゾロとしては自分の狭いシングルじゃちゃんとした休養が取れないだろうという思いやりから発した台詞だったのだが、それで拗ねられては堪ったもんじゃない。 きついくらいにぎゅうぎゅう抱きしめて、布団からはみ出した金色頭をよしよしと撫でてやったら、サンジはすぐに機嫌を直して、はふーと大きく息をついた。 口に出したら間違いなく当の本人から白い目で見られてしまうだろうから言わないけれど、むしろサンジだったら四六時中でもくっつかれていたい、と思うほどアレなゾロなのだ。 「てめェほんと体温高ェよなァ。ニンゲン湯たんぽ〜」 ふにゃっと笑ってちゅっちゅっとおふざけめいた軽いキスを繰り返したサンジは、恋人の体温に安心したのかはたまた疲れ切っていたのかすぐに寝息を立て始め、ゾロは微妙な気分を味わいながら自らも瞼を下ろした。 懐かれるのは嬉しいが、思いっきり密着していて、なのに不埒なちょっかいを出せないのはある種拷問に近いのだ。 あと少しの辛抱だ、と自らに言い聞かせたのはクリスマス直後あたりだろうか。それからもうじき一週間になる。 たった一週間と侮ることなかれ、ゾロにとってはストレスやら何やら溜まりまくりの一週間なのだ。 初体験では秘所をこじ開けられる激痛に泣きの入った幼馴染は、双方の歩み寄りと弛みない努力の甲斐あって、今じゃ別の意味でよく啼くようになった。そろそろ開発も完了で、セックスを愉しむ術を覚えた二人の行為は激しくなりこそすれ一向に衰えを見せぬ。 エスカレートしたのは内容だけじゃなくて回数も同様だ。 自慢になるかどうかはさておき、ゾロは自他(それを知るのはサンジだけではあったが)共に認める絶倫なのだ。 もちろん恋人が忙しいのは年が明けるまで、ほんのわずかの禁欲だとは判っている。 判ってはいるが、サンジが慣れてからというもの、二人の夜の営みはだいたい隔日がお約束。興が乗れば連日でイタすことだってしばしば。 文字通り本腰入れて頑張り続けているような生活は、ある意味ゾロを贅沢にしてしまったようだ。 しかし少々ユルいところのある恋人は、サンジが隣にいるだけで催してしまうゾロの状態にさっぱり気づいてはおらず、無防備にその身を投げ出してくるのだから堪らない。 (―――アイツにゃあ『自覚』ってもんがねェからな) どれだけ忙しくてもほんの少しの合間を縫っては様子を窺いに来るサンジが何を考えているのかぐらい、長い付き合いのゾロには御見通しだ。 米も研げなかった子供の頃はともかく、成り行きで家業を継いだ形ではあるがゾロだって社会人の端くれである。 わざわざ自炊しようとまでは思わぬものの、ちょっと表に出れば食べる場所は幾らだってあるし、ひとこと「勝手に食え」と言ってくれたら夕食くらい自力で何とでも出来るのに、幼馴染はそれが自分の使命であり義務だと言わんばかりにゾロの世話を焼いている。 おせっかいに等しい親切心の影に見え隠れするのは、サンジ生来の構いたがりと、もうひとつ。 ほったらかしでゾロに嫌われることこそを、サンジは恐れているのだろう。 頼まれたってあれから離れる気など毛頭ないゾロにしてみれば、馬鹿らしいの一言に尽きる。 しかしだからといって「余計な気を遣うな」とでも言えば、即座に「迷惑だってのか!?」などとキレるのがサンジである。 蹴りの一発で済めば僥倖、下手をすれば落ち込ませてしまう。 ―――ので結局は彼の好きにさせるしかないゾロなのだった。 いったいどっちが気を遣ってるんだかという話だ。 (まァそれも今夜限りだし) 御節料理の仕出しが終わればいよいよバラティエも遅めの正月休みに入る。元旦にはサンジも解放されるはず。 新年は六日からのスタートだと言うから、ゾロの酒屋とは少々ズレてしまったけれど、少なくとも四日間はお互いまるっきりフリーとなって過ごすことが出来るのだ。 (爺さんにゃ悪ィが、正月はまるごと俺が貰う) ゾロは下半身をコタツに突っ込んだまま、色褪せた畳へ背中からひっくり返った。 埃も掃っていない薄汚れた天井を睨み付ける視線は、はっきりとした決意を湛えていつも以上に鋭く尖っている。 隣家の主であるゼフは孫のサンジと二人暮らしだ。 娘夫婦が海外に腰を落ち着け、滅多に日本に帰って来ないことを考えたら、名目上はただの幼馴染でしかない自分がサンジを独占するのはとんでもないことだと内心思わないでもなかったが、年末はあの年寄りに奪われた形になったワケだし、 (だいたいありゃあ、とっくに全部俺のもんなんだし) おあずけを食らう見返りに、ちょっとくらい孫を拝借しても文句を言われる筋合いはないだろう―――そう考えた末、ゾロは思い切って休みいっぱいサンジと小旅行に出かけることにしたのである。 「正月いっぱいアンタの孫と出かけるけどいいか」 はてなマークも付けぬ断定的かつ不遜な言い草になったのは、ゾロの中にゼフへの対抗意識がアリアリだったからだが、相手は一枚上手だった。 目を細めて「ふん」と鼻で笑ったのち、 「チビナスを連れ出すのは構わんが…野郎が連れ立って何が面白ェってんだか。その年になって一緒にシケ込んでくれるオンナの一人もいねぇたァ情けねェな剣豪。ミホークはてめェの年にゃあ上のを孕ませてたぞ?」 言外に『まだまだ親父には勝てない』ことを匂わせた、思わずカチンと来る嫌味を寄越したが、まさか「オンナよりアンタの孫のほうがずっと具合がいい」とは口に出せぬ。 ひとまず許しを得たことにだけ満足して、ゾロは無言でぺこりと頭を下げた。 師走の半ば、バラティエが怒涛の戦場と化す直前の話だ。 (ちと億劫じゃあるが邪魔が入るよりゃマシだ) 小旅行の目的は無論のこと『二人でゆっくり』だ。 目指す温泉地は電車とバスを何度か乗り継いで四時間ほどの場所にある…らしい。 デートらしいデートもしたことがなく、二人で遊ぶといえば駅前のゲーセンくらいしか思いつかないゾロに「格安チケットがあるんだけど買わない?」と勧めてきたのはこちらも幼馴染である二つばかり年下の女子高生、不動産屋の次女だ。 どうしてか彼女に逆らえないゾロは普段なんだかんだと面倒を押し付けられてばかりいるが、大通り町すべての動産に精通するナミは同時に情報通でもあり、お礼と称してたまに有益なネタを投下することもある。 とは言え元来が出不精なゾロだからして、最近のすれ違い生活がなければ、彼女の誘いに乗ることもなかっただろう。 (―――まあ、冬休みみてェなもんだし) たまにはいいだろ、とゾロは流儀を翻した自分に、心中で折り合いをつけた。 それにしたってわざわざ遠出しなくても良さそうなものだが、互いの家にはそれぞれ身内がいて、家族同然の付き合いとは雖もいざとなるとどうしたってそちらが優先になってしまうから。 放任と個人主義の手本のような家庭に育ち、血縁と呼べるのは放蕩親父とマイペースな姉しかいないゾロはともかく、ジジコンなサンジがここぞとばかりに暇を得た祖父にまとわりつくのは想像に難くなかった。 口では「クソジジイ」を連呼しているが、サンジにとってゼフは血の繋がった祖父だということに加え、世界で最も尊敬する師でもあるのだ。 しかも似たもの同士の爺孫はこと料理のこととなるとたいそう勤勉になる。「新しいメニューの考案」を理由に、盆休みをまるごと技術の研鑽に当てたのは記憶に新しい。 (あん時は出遅れたが今度は俺の勝ちだ) 本人の祖父と競うような話でもないが、ともかくも保護者の了承を得たことだし、旅行じゃ存分に可愛がってやれるだろうし、それを思えばちょっとくらいの放置は(既にかなり限界に近いけれども)プレイの一環と考えて辛抱することも出来る。 ゾロの計画に問題があるとしたらサンジ本人だろうか。 あの素直じゃない青年が大人しく「わーい」とゾロについてくるとは恋人である自分ですら思い難い…が、そこは得意の寝技でクリアする予定。素直じゃないならスナオな部分に承諾させればいい、というわけだ。 赤ん坊の頃からの幼馴染関係を恋人に昇格させたくらいの二人だから、互いの性格はイヤになるほど熟知している。 無理を通すつもりはないが、口ではいつだって「ガキっぽいこたやってらんねェ」などと気のないフリをするくせに実はイベントごとが大好きなサンジが相手だし、糅てて加えて自らの誘いとあらば嬉しがらないわけがない。 なんてまあ、サンジの心配とは裏腹に身勝手かつ自己中なウインター・ヴァカンスを組み込んだゾロだったが。 残念ながら物事とはそう上手く行かないものなのだ。 「―――帰ったぞ息子よ。おお、息災そうでなにより」 店舗へと続く土間から突然掛けられたしゃがれ声に、ゾロはがばっと身を起こした。 まさかと思いつつ首を捻じ曲げて目を遣った先に立っていたのは、今どきどこのチンドン屋だとツッコミを入れたくなるような羽根つき帽を被った不審人物だ。 原色を重ねまくったトンデモな柄シャツの腕に挟んだ真っ黒なロングコートには真紅のサテンが裏打ちされている。 「…てめェ…!」 忘れようにも忘れられない奇抜すぎるファッションセンス。そりゃもう個性豊かな人材の揃う大通り町ではあるが、こんな格好で外をうろつきまわる男は一人しかいやしない。 ふらりと出かけたきり半年以上電話はおろかハガキのひとつも寄越さなかった父親が、そこにいた。 珍しくも浮かれ気味だったゾロのテンションが一気に下降し、別方向に急上昇した瞬間である。 |
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(2009.5.29) |
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