そして続く奇跡 2 |
2 そのころ噂の旦那さんはというと。 例に洩れずやはり後方甲板に大の字になって寝転がっていた。 一見のどかで平和そうに見える光景だが、若い剣士のその秀麗な面は鬼神もかくやというほどに歪められている。とても今日誕生日を迎えた、宴の主役とは思えない凶悪顔だ。 (面白くねェ) ごろん、と寝返りをうつが寝付けない。 時間帯を考えれば当たり前だが、寝腐れマリモの異名を取るゾロにこれはかなり珍しいことである。 トナカイあたりにバレたら即行で医者を呼ばれそうだ。 さてゾロが寝付けないのにはワケがあった。 どうにもイライラが納まらないのだ。 (イライラっつうか、こりゃ、) ムラムラだな、とゾロは他人事のように思った。 赤ん坊が生まれて以来の三ヶ月というもの、まだ一度もコックとヤっていない。 確かチョッパーは、「母体の負担を考えて、一ヶ月はガマンするんだぞ」とかなんとか云ってなかったか。 それから既に二ヶ月が過ぎたが、サンジは生まれたばかりの赤ん坊に夢中でゾロを振り返りもしないときている。 そりゃあサンジが大変なのは、いかに鈍感なゾロだとて見ていれば解ることで。 体調だって万全だとは言えないだろうに、クルーの食事や掃除やら、少しは休めばいいものをコマネズミのように毎日変わらず動きまくっているし、今ではそれに慣れぬ育児が加わって、まさに寝る間を惜しんで働いている。 何時間かおきに与えるミルクのためにラウンジに設置されたベッドで赤ん坊と二人きりで寝るようになったサンジは、赤ん坊が寝たからといってゾロを呼びにくるわけでもなく添い寝したまま朝を迎えているようで、ここしばらくゾロはゆっくりサンジと会話することすらしていない。 繰り返して言うが、大変なのは、ゾロにだって解っているのだ。 何せこの自分が、おいしそーなコックに手を出すのを躊躇ってしまうほどなのだから。 ゾロが不満なのは、大変そーだからアレコレ出来ないことも含めて―――何故サンジがそれを、一人で背負おうとしているのかということであって。 無骨な自分ではあるが、子守のひとつでも任せてもらえればそれなりになんとかするだろうに。 そうして、たまにはゆっくりサンジを休ませてやることだって出来るだろうに。 あの意地っ張りともいえるコックは、最低限度の手伝い以外、全く他の人間の手を借りようとしない。サンジが赤ん坊から離れるのは昼の片付けとかちあう日光浴のときくらいで、後はつきっきりという溺愛ぶりでもってあの赤ん坊に接している。 (種馬たァ、良く云ってくれたもんだぜ) 出産後すぐにサンジが自分に向かって言った言葉をゾロは思い出し、ムッと眉根を寄せる。 そりゃあれか、種付けが済んだら用なしってことかよ、と、育児に全く参加させてもらえないゾロが自棄になるのも無理からぬことだとは言えた。 (俺はそんなに頼りにならねえか) 一人で産んだ子供を、一人で育てようとしている。 ゾロの目には今のサンジがそう見えた。 そこには多分意地だとかプライドだとかそういうものも含まれているのだろうが、サンジが頑なに一人でする育児に拘る理由に、ゾロには心当たりがないでもない。 サンジは恐らく、自分と子供がゾロの足枷になるのを恐れている。 (ふざけんな―――こっちだって覚悟の上だ) 突然予定外にも人の親になってしまった自分だが、それと野望を追うことはまた別の話だ。 目指す頂上はまだ遥か遠く、今の自分ではどう足掻いても届きそうにはないけれど。 それでもいつか自分は大剣豪の称号を手にするだろう。 それくらいの自信がなくて何故世界一なぞ狙えるか。 もし誰かに「戦いながら家族を守るつもりか」と問われたとしても、ゾロは返事に窮することはない。 母親は普通の女じゃない。あのコックなのだ。 自分たちが二人揃って、守れないものがあるかとすら思う。 (さっさと解れクソコック。―――俺にだって我慢の限界ってもんがあんだ) とかなんとかいうようなことを。 我が子に触るのでさえ未だにおっかなびっくりの剣豪が、両目を瞑ったまま偉そうに腕組みして思った。 ゾロにとってどうもあの生き物は、柔らかすぎる。ちょっと力を込めたらあっけなく指先で潰してしまいそうなほどにくにゃくにゃだ。 そして四六時中700キロの錘を振り回す剣士には、体重いまだ3キロほどの肉塊はどうにも軽すぎて、抱き上げてもちっとも実感が湧かない。 極めつけはあの、泣き声。 女どもにアレは庇護欲をそそる声に聞こえるらしいが、自分にはやかましいだけで「泣いてないでどうして欲しいのか言え」とムリな注文をつけてしまいたくなる。 それくらい耳障りというか、聞くに堪えない悲痛な響きだ。 けれど情けないことに、自分にはどうしたら泣き止むのかサッパリ解らない。 現在の状況に不満たらたらな癖して、ゾロがサンジにいまいち強く出れないのには実はこうしたワケがあった。 未来の大剣豪は実は、我が子を壊してしまいそうでヒヤヒヤしているのだ。 と、ラウンジから何やら甘ったるい匂いがしてきて、ゾロは目を閉じたまま鼻をひくん、と動かした。 どうやらコックは菓子みたいなもんを作っているらしい。 (そろそろオヤツの時間ってところか。ったく、女子供にサービスするヒマがあったら、ちったあ休みやがれ) そんでついでに、ちこっと自分も構え、とか頭の隅で思ってるのは勿論内緒だ。 そしてゆっくりと日が暮れて。 「―――っうぐ!」 腹筋の真ん中に誰かの足をめり込ませた状態で、ゾロは覚醒した。 不貞腐れていた間にいつのまにか寝入っていたらしい。 意識があったときまだ太陽は空の上にあったはずだが、今は代わりに下弦の月と星々が瞬いている。 「よー起きたかクソ剣士。ディナータイムだぜ?」 「クソコック…いい加減にその起こし方はやめやがれ」 辺りはすっかり暗くなっていたが、腹部をぐりぐり踏みにじる踵が誰のものかなんて解りきっている。 足癖の悪いコック以外にありえない。 ジロリと睨み上げると、夜目にも眩い金髪がきらきら闇を弾いていた。 苦虫を噛み潰したような顔をした自分を見下ろしながらニヤニヤと嘯くサンジの指に、以前なら必ず挟まれていた煙草はない。 (―――チッ) 青年の過剰なまでの喫煙を止めたことはなかったが、自分がサンジのその習慣を気に入ってはいなかったこと位気付いていただろうに、一向に本数の減ることのなかった悪癖。 けれど妊娠が発覚したと同時にその悪癖はピタリと鳴りを潜め――― 思い出したそれがふと、ゾロの気に触った。 「メシの時間になるまで寝てるテメェが悪…―――!?」 腹巻の上に載せられたままだった片足を持上げて思い切りよく引っ張ると、不意を突かれたコックの体がふらりとよろめいた。 そのまま体勢を崩して背中から倒れこんでくる痩身を、逞しい両腕でもってがしっと受け止める。 「テ、テメェッ!いきなり何しやがる!」 「いきなり攻撃してきたのはお前だろうが」 「アホか、俺ァ親切にメシを」 「メシよりこっちを喰いてぇ」 「は、ハァ?…んあッ!」 慌てふためくのを無視して目の前に晒された白い項にガブリと噛み付くと、きつく抱きこんだ細い体がびくんと跳ねた。 相変わらず感度がイイ、とゾロはほくそえむ。 半分寝惚けていたこともあり、また欲求不満もピークに達しつつあったゾロなので、久しぶりのチャンスにもういっそこのまま甲板で犯すか、とうきうきサンジのネクタイに指を掛けた。 「ま、待て待て待てッ!」 「アァ?そう言われて大人しく俺が待つとでも思ってんのかアホ」 「メシだつってんだろ!みんな揃ってテメェを待ってんだよ!」 「待たせときゃいいじゃねえか。…そのうち、勝手に喰うだろ」 そう言って再びサンジの襟足に舌を這わせた途端、金色のまん丸頭が物凄い勢いで後ろに振られた。 ごつん、と鈍い音がして、サンジは後頭部を、ゾロは口元を押さえて同時に呻く。 「いてててて、こ、この、石頭!」 「ク、クソコックが…舌噛んじまったじゃねぇか!」 「けっ、天罰だこのエロ魔獣」 激突のショックで舌先を噛み切ったらしいゾロが血のついた舌をべーっと出して被害状況を確認している隙に、サンジはするりとゾロの腕の中から抜け難を逃れた。 何事もなかったように立ち上がるとスーツについた埃を手の平で払って、ゾロを誘う。 「オラさっさと立て。ラウンジに行くぞ」 その態度がカチーン、とゾロをまた刺激した。 「…行かねー」 「あん?」 「メシはいらねー、つったんだ。ヒトリでさっさと行きゃあいいだろ」 「…ッ…」 「俺ンことなんざほっといてくれて構わねぇから、女とガキの御機嫌でも取ってろ」 ふん、と視線を逸らそうとしたゾロは、次の瞬間うおっと両目を見開いた。 自分の言った言葉はどうやらとんでもなくサンジを傷つけたらしい。 どうにも面白くなくてつい口から出た言葉だったが。 むしろ女とガキはほっといて俺を構え、との意味合いを込めた言葉だったのだが。 まさかこんな―――今にも泣き出しそうな顔をされるとは思っていなかった。 「クソコッ―――」 慌てて立ち上がり伸ばした指が青年の頬に触れる寸前。 ドゥン!と辺りに鳴り響く轟音と共に海面に何かが落下し、そこから起こった強い波紋が船を襲った。 ぐらりと船が傾ぎ、ラウンジから皿の割れる音と悲鳴とが響く。 ハッと甲板の二人は顔を見合わせた。 「今のは―――」 「砲撃…?―――敵襲か!」 着弾場所から相手の位置を読みながら船首へ向かう途中で、ラウンジから飛び出したルフィとぶつかった。 「あっおせーぞゾロ!待ちくたびれちまった〜」 「メシどころの騒ぎじゃねぇだろ!」 「おう。ったく、どうせなら喰った後に来てくれりゃあなあ〜」 そしたらサンジがまたメシ作ってくれたのに、と幾分不満げに唇を突き出す船長だが、不意打ちの攻撃をそれなりに面白がっているのか、やる気満々でゴムの腕を振り回している。 「折角のご馳走だってのに残念だなァゾロ。…メシの前に軽い運動と行くか!」 不敵に笑う瞳は既に真っ直ぐ海上の敵船を捕らえており、今にも駆け出しそうでゾロは思わず苦笑した。 距離を詰めG・M号に迫る大型船の帆影が、たくさんの松明に照らされてゆらりと海上に浮き上がる。 白い帆布に大きく乱雑に描かれているのは黒い髑髏…紛うことなき、海賊船だ。 |
BACK← →NEXT |
(2003/11/17) |
Template by ネットマニア |