そして続く奇跡 3 |
3 ずんずん近づいてくる敵船の大きさに、遅れてラウンジから現れたウソップが息を呑んだ。 「こりゃあ…大海賊って言ってもイイくれえの船じゃねーか…?」 巨大なガレオン船の甲板にはいまどき沢山の松明が灯されている。 夜陰に乗じて奇襲をかける小物とは思えぬ威風堂々とした姿に、先ほどの砲撃は挨拶代わりで、どうやらわざと照準を外したらしいとウソップは鼻白んだ。 「随分余裕があるみたいね…面白くないわ」 そうは言うものの、荒事には慣れた筈のニコ・ロビンですら眉を顰める年季の入った海賊船だ。 「オイオイ、あっちじゃ鉤縄振り回してるぞ!乗り移ってくる気じゃねーか!?」 「えーと、じゅう、にじゅう、さん…ナミ〜!100人以上並んでる〜!」 「ちょっ…冗談じゃないわ!100人も乗ったらこんな船沈んじゃうわよ!」 自分を抱きかかえるナミが興奮して叫んだ声に、それまでぐっすり寝ていた赤ん坊の瞼がびっくりしたように見開かれた。 そして緊迫した空気を感じ取ったのか、くしゃっと顔を歪めてふぇぇと泣きはじめる。 その声に。 敵船を睨み据えながら刀の柄に手を掛け、迫る戦いに高揚していた剣士が、ハッと背後を振り返った。 その強い視線の先にあるのは、小さなまだ生まれたばかりの我が子。 「…この船に奴らは乗せねぇ」 低い、それこそ子供が裸足で逃げ出すような鬼気の籠った声を、ゾロは喉の奥から絞り出した。 ゆっくり赤ん坊に近づくとその太い腕を伸ばし、ふくよかな頬に無骨な指先を滑らせる。 盛大に泣き出すかと思われた赤ん坊は、くすぐったがって目を細め、小さな手を宙に伸ばしてゾロの腕をちょいちょいと触った。 暖かい、柔らかい、かけがえのないその感触―――。 (俺が守る) 恐らく初めて本気で、ゾロは何かに対して強くそう思った。 左腕の黒手拭を外し、きゅっと頭に巻きつける。 「すぐカタつけてくっから。坊主、おりこうにして待ってろ」 ニッと力強く笑ってみせるゾロのその表情は、まさに…父親の顔だった。 赤ん坊を抱いたままだったおかげで正面から一部始終を見ることになったナミは柄にもなく感動して思わず瞳を潤ませそうになったのだが、 「レディに向かって坊主たァなんだタコ。テメェのガキの性別くれぇ覚えときやがれっつうの」 同じく感動して当然な筈の奥さん(性別:男)の踵落としがものの見事にダンナの脳天に振り下ろされたのにそのまま目を丸くした。 「…何しやがるクソコック!」 「ん〜?よしよし泣き止んでるな。こんな凶悪な魔獣でもやっぱ親父だって解るのかねェ」 背後から容赦なく加えられた攻撃に剣士は一瞬床に膝を突きかけたものの根性で持ち直し、即座に飄々と満足げに赤ん坊を覗き込む青年に詰め寄った。 ここまでないがしろにされるいわれはない。 「お前、いい加減に―――」 「おい長ッ鼻。アレ持ってこい」 「え?」 ゾロの剣幕などどこ吹く風でサンジはウソップにひょいと顎をしゃくり、対してウソップは一瞬逡巡した後、 「アァ?!なんで今あんなもんが必要なんだよそれどころじゃねーだろサンジ!」 「今使わなくていつ使うっつーんだ!勿体つけてねェでさっさと出しやがれ!」 「カカかしこまりましたァ!」 口に昇らせた非難まじりの疑問はコックに一蹴され、慌ててラウンジに戻りあたふたときれいにラッピングされた包みを持ってきた。 「知らねーぞ俺ァ…」 「おう。ご苦労さん」 恐々差し出すウソップからサンジが受け取ったそれには、縦横にモスグリーンのリボンが掛けられている。 サンジはちらりとウソップに視線を投げ、 「強度の心配はねェんだろうな?」 「そりゃ、オメーに言われた通り万全だけどよ」 「だそーだ。安心して使え」 手渡された包みをそのままゾロに、そちらを見もせずにポイっと投げ寄越した。 慌てて手を伸ばして落下途中のそれを受け取ったゾロだが、あまりにもこの場に相応しくない平和そのものなその物体に首を傾げる。 「何だこりゃあ」 「んあ?…まさかテメェ、今日が何の日だか気付いてねェんじゃ」 「………?」 袋をためすすがめつして眺めていたゾロは、リボンの間に挟まれていたカードでようやくサンジのその言葉の意味を理解した。 曰く――― 『HAPPY BIRTHDAY "ZORO"』 しかし何故よりによって今―――? ためらう剣士は焦れたサンジから爪先で足元をこづかれ、訳も解らぬままビリビリと包装を引き裂いた。 「注文が細けぇからギリギリまでかかっちまったぜ。糸は最高級のテグス、背板には硬度の高え鉄板入れて、でも背骨を傷めるわけにゃいかねーからクッションはばっちりスノービーズ配合!グランドライン広しと雖もこんな贅沢なモン使えるのはウチの剣豪くれえだぜ。おっと、配色は勿論オメーらの髪の毛に合わせてやったぞ」 滔々と自分の作品の出来栄えを喋り続けるウソップの声は、残念ながら呆然と己の手の中を凝視するゾロの耳には届いていないようだった。 ゾロが食い入るように見つめているのは特注のバースデイプレゼントの中身であるそれ。 奇しくも包んでいたリボンと同じモスグリーンと黒のツートンで成り立った、それはもう丈夫そうな――― 子守帯。 サンジがヒュウッと感嘆の口笛を吹いた。 「イイ出来だぜウソップ。ああ、ナミさんありがとう。オラクソ剣士、さっさと広げろ」 「…あ?」 「ボンヤリしてる場合か。敵さんが乗り込んで来ちまうだろ」 オラ、と言われるままゾロがだらりと伸ばされた帯の部分を広げると、サンジはさっさとその中にナミの腕にいた我が子を入れ込んでしまう。 小さな胸元でパチンと安全ベルトを止め、それから我が子ごとそれをゾロの背によいしょと乗せ掛けたので、流石のゾロも度肝を抜かれた。 「おいクソコック!俺ァ今からあの船に―――」 「乗り込むんだろ?当たり前なコト云ってんじゃねェよ」 「解ってるならガキはラウンジにでも寝かせてろ!」 激昂してそう一喝した途端ばちん!と頬を張られて、ゾロは目を点にした。 世にも珍しいコックの平手に、周囲も唖然と口を開く。 「解ってねェのはどっちだクソ剣士。たった7人しかいねェ弱小海賊団に、のんびり子守出来るヒマな人間がいるとでも思ってんのか!」 サンジの言葉に真っ先に我に返ったのは呆然とその光景を見詰めていた航海士。 即座に狙撃手に砲門へ向かう指示を出し、自身は船を敵船の的から外すためにチョッパーを連れて操舵室へと向かった。 ロビンの姿は既になく、細いシルエットが見張り台の上から戦況を測っている。船端やマストにかけられるだろう鉤縄を、自在に咲くその腕で振り落とすためだ。 「うーっし!船は任せた。ゾロ、サンジ、先行くぞ!」 既に欄干に両足を乗せ飛び移る体勢の船長が、麦わらを押さえながら振り返った。 「後で引っ張ってやるからな〜〜〜〜〜」と叫びながら伸びたゴムはすぐに視界から消え、同時に敵船からワアっと悲鳴が上がる。早速ルフィに落とされたらしい海賊がぼちゃんぼちゃんと水飛沫を上げて次々に海に落ちた。 まさに対岸の火事だが、今からそれに自分たちも参加するのだ。 「いつでもどこでも楽しそうで参るね船長殿は…さて、俺らも行こうぜ」 ほれほれ、と子守帯(コドモ入り)を目の前で揺らす恋人に、ゾロはハァ、と呆れたように背を向けた。 「よりによって一番危ねぇとこに連れてってどうすんだよ…」 子守に人手を割けないのは解る。 だがこの船で唯一『戦闘員』でしかない自分が赴くのは常に最前線だと言うのに、仮にも母親がなんつう暴挙だと言い募ろうとしたゾロは。 「テメェの背中より安全なところがドコにあるってんだ?」 ゾロの背中に子供を括りつけ自分は正面に廻ったサンジから、心底不思議そうにまっすぐ見つめられて言葉を失った。 「背中の傷は剣士の恥、つったよな。―――それにもし、テメェがヤられちまうようじゃ…どの道この船はオワリだ」 「…!」 「絶対被害を受けねェところがあるってのに、大事なレディを任さないってなァ損すぎンだろ?…おう、お迎えだぜ」 促す先の敵船からぐいんと伸びたゴム腕が二本ギリギリまで伸ばされて、ぐっと手摺を引っ掴む。 サンジは幾分グル眉を顰めながら嫌そうにその簡易ロープに近づいた。 「ったく、この方法だけは慣れねェぜ…クソ剣士、お宝落とすなよ!」 「―――当り前だ!」 気合十分な剣士が和道一文字を咥える前に、サンジはゾロの襟元を引っ張るとそっとその唇に口付けた。 「返り血の一滴でも浴びせやがったら、後でコッソリ反行儀キックコースだぜ?」 言い捨てるとニヤリと笑ってゴム腕の一本を掴む。 ゾロは同じくもう片方の腕を掴みながら、 (普通こういうときはせめて掠り傷なんじゃねぇか?) 高すぎる信頼に苦笑で返した。 その夜の魔獣の戦いぶりはもう、物凄かったらしい。 這う這うの体で逃げ帰った海賊団はグランドラインでもなかなかに名の売れたファミリーだったようで、麦わらの一味はその名をまた海に轟かせた。 数日後、噂好きの好事家のために発行されているゴシップ紙は、情報源は不明としながらこの新進気鋭の麦わら海賊団で特集まで組んだという。 『小さな海賊団の戦闘主力となるのは麦わらを被った悪魔の実能力者である船長、それからかつて暴れた赫足を髣髴とさせる蹴り技を駆使する金髪痩身の黒衣の男。加えて三本の名刀を自在に扱う、鬼神のごとき強さの剣士』 剣士の背中に子守帯がくくりつけられていたのは記者の温情により割愛されたようだが、どの道G・M号クルーの知るところではなかった。 |
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(2003.11.18) |
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