コックさん 10 |
10 路地裏から不意に出現した二人組に、男たちは一瞬息を呑まれた。 もう一人の若い剣士には見覚えがなかったが、そこに立つ青年の一人は確かに、先ほど舞台の上で見た軽薄そうなコックだ。 まばゆく太陽光を弾く見事な金髪も、がりがりに近い痩身も、生ッ白いその肌も、おかしな具合に巻いた眉毛も、挑戦的なその切れ長の蒼眼も。 何より身に纏ったままの白いシェフコートが、目指すターゲットはこの男だとはっきり告げている。 しかし。 (コイツは本当に、さっきのあの男か…?) 戦斧を手にしたセイユは、訝しげにその眉根を寄せた。 格好はまるきり同じなのに、身に纏う雰囲気がどこか違う。目の前の青年が醸し出すしなやかで危険なその空気はなんというか、まるで。 野生の豹を目の前にしたような緊迫感が男に走った。 迂闊に手を出すと噛みつかれそうな予感がする。 その印象は他の仲間も同等に感じ取ったようで、多勢でたった二人と対峙する集団に、さっと動揺と緊張の色が走る。 カーニバルでの8連続優勝を横から掻っ攫われた意趣返しとして、生意気な青二才をとっちめるつもりで子飼いの三下を引き連れて追いかけて来たまでは良かったが、流石に短気が過ぎたかと彼は遅まきながら後悔し始めた。 勿論それは、遅すぎる後悔だったが。 「よーお豚野郎。ンなトコで会うたァ奇遇じゃねェか」 青年は片手を上げ、失敬な呼びかけとは裏腹にやたら明るくセイユへと話し掛けた。太ったコックと背後を守る一団に不躾な視線を投げつけながら、 「どうした大勢で?不細工なツラが揃って物騒なモン持ってんじゃねェか。…まさかたァ思うが、誰か闇討ちにでもしようってんじゃねェだろうな?」 例えば俺を、と親指を返して己をくいっと指差す。 その言葉に当初の目的を思い出したか、ざっと男たちが動いた。二人を中心に円を描いてぐるりを取り囲むのに、ヒュウッとサンジが口笛を吹き揶揄する。 そんなあからさまなサンジの挑発に、横に立つ男がふっと笑みを漏らした。 気付いた青年はちらりと横目で剣士を睨みやり、 「…んだクソ腹巻。何がおかしい」 「どんな敵かと思やまるきりの素人じゃねェか。―――中断するんじゃなかったぜ」 「アァ?テメェみてぇな戦闘フェチのお相手がそうゴロゴロ転がってるわきゃねェだろ。俺ァ売られた喧嘩は残さずお買い上げする主義なんでね」 「どっちが戦闘フェチなんだよ。俺はムダな喧嘩はしねぇだけだ」 「ハ!テメェの腰の三本はナマクラか?随分と弱気な剣士様じゃねェかよ」 「…んだと?」 「やんのかテメェ」 いきなり額をがちんとくっつけあって互いを威嚇しはじめたゾロとサンジを、周囲の男たちは呆気に取られて眺めるしかない。 「雑魚相手じゃ物足りねェとこだ。おいクソ剣士、テメェあっちに入ってやれ」 「お前こそコック仲間に手助けして貰って構わねェぜ?」 「あの豚のドコがコックだってんだ!テメェイイ加減に」 「―――いい加減にするのはお前らだ!」 周りそっちのけで仲間割れを始めたゾロとサンジに、キれたセイユの恫喝が響いた。 「ガキ共が舐めやがって…おい若僧、五体満足で船に戻れると思うなよ?そっちの大仰な剣士もだ」 数を頼みの男がニヤリと哂う。 「この島じゃあな、俺に逆らうヤツは半殺しなんだよ。ちっと芸当が出来るくれぇでイイ気になりやがって…二人纏めて仲良く沈んじまえ!」 セイユが顎をしゃくって合図を送ると、男たちは手にした獲物を構えてじり、とその包囲網を狭めたが。 「…二人、」 「纏めてだと?」 それまで互いを口汚く罵り合っていた二人が、その顔を同時に哀れなコックに向けた。 射殺す勢いのその視線に、セイユは戦斧を取り落としそうになり、慌てて指先に力を込めた。隠すことない殺気に、その場にいた全員が背筋に冷たい怖気を感じる。 剣士が無言でちゃきり、と鯉口を外した。そして両手をシェフコートに突っ込んだ青年がゆらりと一歩を踏み出す。 「悪ィが半殺しなんて生温い真似は性に合わねェ。…オイタが出来ねェように、きっちりシメさせて頂くぜ?」 きぃん!と澄んだ音と共に、サンジに背後から襲い掛かった男の刃が弾かれた。それは大きく弧を描きそのままセイユの足元へと突き刺さる。 雪走を抜刀したゾロがその黒太刀を鞘に収めると同時に、ばたばたと幾人かがその場に倒れ伏した。 左右から踊りかかった男たちはサンジが身を翻しつつ放った回し蹴りであっけなく地に沈む。 その手応えのなさにゾロとサンジはチッと舌打ちすらしてみせた。 「…なッ…!」 セイユの目は二人の動きすら捉えることが出来ず、それなのに目の前では仲間が次々に呻き声すら上げず倒されていく。 ほんの数秒で立っているのは自分だけという状況に追い込まれた男は、次いで信じがたい言葉を耳にした。 「あーあ、軽い運動にもなりゃしねェ。どうせ連れて来るんなら海軍でも連れて来いってんだ」 「同感だ」 二人の短いやり取りから不穏な空気を感じた男が恐怖に後ずさりながら呟く。 「―――海軍だと…!お、お前ら、何者だ…?」 脅えも隠さぬその声音にサンジはふ、と小さく笑ってずかずかコック姿の男に近づくと、長い足を伸ばしてこん、と男の踵を掬い上げた。 ずでんと尻餅をついたセイユの前で、サンジはゆっくりシェフコートの前を外す。てかてか光る額にばさりとそれを脱ぎ捨てると、弛んだ腹にぺたりと右足を当て、体重をかけてぎりり、と踏みにじった。 「…っぐぁ!」 「あのクソッタレはヘボ剣士、俺はただのコックさ。―――但し」 サンジは一旦言葉を切り、にいっと薄い唇を吊り上げる。 「海賊だ」 凶悪な微笑みを浮かべた青年に、脂汗を滴らせた男は涙目で命乞いをしたと言う。 両腕に持ちきれないほどのワインを抱えたサンジと両肩にひとつずつでかい酒樽を乗せたゾロがG・M号に戻ったのは夕暮れ間近。 船端に掛かった梯子を器用に爪先を引っ掛け、瓶のひとつも取り落とすことなく甲板に登ったサンジは、夕飯を待ちかね抱きついてきた船長を煩わしげに足で追い払った。 そして真っ直ぐ、中央に出したテーブルでなにやら計算中の女神たちへと向かう。 「たっだいまあ〜ナミさんロビンちゃん!」 「サンジ君お帰りなさい!いいお酒あった?」 「勿論さナミさんッ!島で唯一のレストランから、最高級のワインを残らずガッポリ頂いて来たぜ?」 「ふうん?」 にっかり笑うサンジに、ナミはん?と小首を傾げたが、差し出された瓶のラベルを確認した途端、ぱあっとその大きな瞳を輝かせた。それを覗き込んだロビンも、「あら」と珍しく感嘆の声を漏らす。 「…嘘!ちょっと凄いじゃない20年モノの名品よこれ?」 「こっちも…買おうと思ってもなかなか手に入るものじゃないわ」 「あのオカイモノ券で良くこれだけ揃えたもんねえ…さっすがサンジ君ッ!」 「いやもう人徳ですカラァッ」 背中をばしばし叩かれ、サンジは満足げにえへへ〜、とだらしなく身をくねらせた。 (脅して巻き上げてきたくせに何が人徳だクソコック) 遅れて甲板に到着したゾロはそのやり取りにこっそり呆れる。 乱闘後サンジはゾロとともに首謀者の屋敷へ乗り込み、「コックは料理だけしてりゃいいんだ」と不動産の有価証券借用書その他諸々の財産を焼き払った。 ついでに金庫のベリーを残さず祭り会場にバラまいて、島民からやんやの喝采を受けてきたのだ。 財力に物を言わせて島を牛耳っていた男らしいので、もうあそこで大きな顔は出来ないだろう。 そこまでしておいてセイユの腕に傷もつけずにおいたのはサンジらしい。 土産がわりに男のレストランを"龍巻き"で吹き飛ばしておこうとしたゾロに対しても、その場所へは一切の手出しを許さなかった。 そんなサンジをその場で押し倒したくなったゾロだったが、流石に蹴り飛ばされるだろうと自制心のありったけを総動員してガマンしてきたのはまた別の話。 サンジから受け取った瓶をしげしげ眺めたナミが、 「なんだか飲むのが勿体ないわ…これいっそ、オークションに流しちゃおうかな。コンテストの掛け金も私の独り勝ちだし、なんだかスッゴク得しちゃった!」 そう嘯くのに、ゾロは「あ」とある事を思い出した。担いだままだった酒樽をドカンと甲板に降ろすと、ナミに向かって右手を差し出す。 「おい胴元、金寄越せ」 「あら。なんのことかしら」 「とぼけんな。あのクソコックに掛けたなァ俺だけだろ。お前じゃなくて俺の独り勝ちじゃねェか」 「アンタ、肝心の掛け金払ってないじゃないの」 「『全財産』を掛けたんだ。よう、俺の首は幾らだっけなァ?」 ニヤリと哂ってそう言ってやると、ナミは真剣な目でじいっとゾロの瞳を見つめた。 「ねぇゾロ」 「誤魔化されねェぞ守銭奴。せめて借金チャラにしろ」 「サンジ君のご機嫌、治ったみたいね。…何かいいことでもあったのかしら?」 「ッ、―――さあな」 (…この女どこまで知ってやがる!) 声を潜めて悪人顔で目配せしたナミにゾロは内心ギクリとしたが、かろうじて表情を変えず何事もなかったかのように返すことに成功した。しかし当せん金の請求を続ける気力はすっかり萎えてしまったので、ゾロの借金は未来永劫減りそうにない。 さて、と戦果を披露し終えた青年が、いそいそとシャツの袖口を捲り上げた。 「そろそろ欠食児童どもにクソ美味いメシでも作ってやっかなあ!…おいクソゾロ、テメェさっさと樽仕舞ってこい。そんでキッチンだ」 「?」 「ボサっとしてんじゃねェよ。―――腹、減ってんだろ?」 言い捨てたサンジはさっさと階段を上がって行く。 サンジに言われて初めて、ゾロは自分が朝からほとんど何も口にしていなかったことに気がついた。コンテスト後に会場をうろつきまわった際もサンジの作る食事で頭が一杯で酒くらいしか口にしなかったのだ。 思い出した途端猛烈な空腹感に襲われて、ゾロは大人しく言われたとおり倉庫へと樽を運び込む。 「すっかり餌付けされてるのねぇ」 その後姿にロビンがくすくすと笑みを漏らしたのは幸いゾロの耳には届かなかった。 ラウンジのドアを開けると、いつもと同じくコトコト鍋の煮える音と暖かい湯気。 お気に入りのピンクのエプロンをつけてシンクの前に立つコックは、咥え煙草で器用に包丁を動かしている。 ゾロは黙ってサンジに近づくと、後ろからそのウェストに片手を廻してむき出しの襟足にがぶりと噛みついた。 「…俺は喰いモンじゃねェぞ」 「腹が減った」 「アホか、ルフィじゃあるめェし。大人しく座って待ってやがれ」 「お前を喰わせろ。―――もう待てねェ」 サンジははあ、と大仰に溜息をつくと、やれやれ、とシンクに煙草を投げ落とした。 「とんだケダモノに懐かれちまったもんだぜ…なぁゾロ」 「なんだ」 「テメェさっき、『俺のメシを他の誰かに喰わすな』って言ったな」 「…あぁ」 「俺の台詞だぜそりゃ。―――今度俺のメシを他の誰かに喰わせやがったら、」 サンジはくるりと振り返り、包丁を握ったままゾロの太い首にその両腕を廻した。 ほぼ同じ高さの目線で、普段と変わらぬ仏頂面に息が掛かるほど顔を近づける。 「"受付"からスタートして"反行儀キックコース"、落ちたところに"仔牛肉ショット"、息があったら"羊肉ショット"。…セットメニューで大サービスだぜOK?」 「…望むところだ」 そうしてゆっくり瞼を閉じた。 おわり |
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