コックさん 2





 ラウンジを出たゾロが階段を半ばまで降りたところで、頭の上から声が掛かった。

「サンジと喧嘩しねェのか」
「ルフィ」
「つまんねェだろ」

声のした方向を見上げると、見張り台には何故か全開で笑う船長の姿。目が合うとひょいと身体を翻して甲板に飛び降りてきた。

「…何だいきなり。クルー同士で喧嘩して欲しいのか船長?」
「うーん?」

自分で話を振っていながら首を傾げて考え込む。
 そんなルフィの態度にゾロこそ首を傾げるが、会話がかみ合わないのは対コックに限ることでもない。この船の船長ほど何を考えているのかサッパリ解らない人間はいないのだ。
 しばらく考えたルフィは、ぽんと手を打った。そして恨みがましくゾロを見る。

「―――いーよなぁゾロは。俺もサンジと喧嘩してェ」
「アァ?何寝惚けたこと云ってんだ、喧嘩でも何でも勝手にすりゃイイだろ」
「んん?そうか?」

でも喧嘩になんねェんだよな〜と嘯きながら、さっさと階段を登っていった。懲りずにまた朝食を狙うのだろう。
 ルフィの発言の真意は判りかねるが、少年の言葉はちょっとばかり剣士を苛つかせた。何故ならばここ暫くというもの、

(喧嘩にもなりゃしねェんだよ)

そうしてゾロは苛々した気分のまま真っ直ぐ倉庫へと向かう。
 乱暴にドアを開け、隅に置かれた鍛錬に使う錘を幾つかとスチールを軽々肩に担ぐと、のしのし甲板へと出た。準備運動とばかりに何度か肩を廻してシャツを脱ぎ捨て、徐に錘を取り付けた棒を振り上げる。

(クソコック、なんだってんだ)

錘の重量にかかるゾロの剛力で、ぶん、と空気が揺れた。二度、三度、四度と、呼吸よりも早いタイミングでそれを繰り返す。
 最近、コックは自分を避けている。
多分あの日から。





 つい先日立ち寄った島。他のクルーが船を降りてひとときの休息を得ている間、ゾロとサンジだけがG・M号に残ることになった。ゾロのそれは単なる気紛れで、サンジはその日の船番として。
 二人きりで過ごすうちいつもどおりの諍いが高じて、乱闘に至るはずみでゾロはサンジを押し倒した。少し前から凶暴コックに興味を抱いていたゾロなので、実際のところ初めからその場でサンジを抱くつもりでそうしたのだったが。

(いっそヤっちまえば良かったってのか)

ぶんぶんと串ダンゴ状のそれを振りながらゾロは思う。
 あの日はなんというか、自分もコックもちょっとおかしくなっていたのだ。
クソコックに対するトクベツっぽい感情に気付いてはいたが、焦るわけでもなくのんびり構えていたところに、メシの最中うっかりサンジが微笑んだりしたもんだから。
 今まで、他の人間にはあっさり向けられていたのにゾロにだけは向けられたことのなかったソレを初めて正面から見て―――受けたインパクトの大きさにゾロはあやうくピラフを喉に詰まらせて窒息死するところだった。
大剣豪を目指す男としてどうなのか。
 もやもやした気分を振り払うように鍛錬に集中していたら、いきなり当のコックから下らない挑発を受けた。
売り言葉に買い言葉でいっそヤっちまうか、と情動の赴くままに組み敷いて脱がせたまでは良かったが、今度はなんと世にも珍しい半泣きのコックなんてものを見てしまって。
 脳天から下半身まで集まりきった血液がすっと下がった。
それはなんというか、萎えた、というよりも。

(ありゃあ反則だ)

欲しいものはどうやってでも手に入れる主義の自分が、思わず強烈に、あのコックに優しくしたくなったりしてしまったのだ。
 どうにも参ってゾロ自身ワケの解らないままに冗談で済ませ、気持ちよく大喧嘩しといたが、その後はひどかった。





 あれ以来コックのアホみたいに笑った顔だとか、薄めで柔らかい唇だとか、白い太股だとか、縮こまったナニだとか、ピンク色のケツの穴だとか、ばっちり眼にしたそういう感触と映像が、ぐるぐるぐるぐるゾロの頭を廻ってしょうがない。毎夜のオカズに事欠かないとはこのことだ。





 それでも。
それでも仲間だ。相手が女だろうが男だろうがゾロは頓着する人間ではないが、無理矢理仲間を手込めにするのは流石にマズイだろう。冷えた頭でそう考えた。
 そう考えて、ゾロだってそれなりに慣れぬ遠慮なぞしてるのだが。

(何を警戒してやがる)

振り上げる腕は既に100を数えた。一度たりともスピードが緩まることはない。
 あの日までは、食事前には寝入るゾロを起こすのがサンジの日課だった。その驚異的な脚力でもって蹴り起こすという幾分乱暴なやり方だが、効率は良い。
 最近はウソップやチョッパーがオドオドと声を掛ける。当然食事の開始時間が遅れるわけだが、それを一番怒るハズのコックはようやく起きてラウンジにやって来るゾロと視線すら交わさない。
 苛々する。

(俺が襲い掛かるとでも思ってんのかあの野郎。…面白くねェ)

どういう訳かゾロにだけやたらつっかかってくるサンジと、ドカバキ一戦交えることで船の上で溜まるストレスを解消している節があるゾロなので、ここしばらくのシカトっぷりは、彼の機嫌を損ねるのに一役も二役も買っているのだ。

(いつからそんな臆病者に成り下がりやがった。らしくねェだろうが)

対等に喧嘩できる相手だからこそ興味を持ったのだ。―――拍子抜けにも程がある。
 と、怒りのままに振り降ろしたスチール棒から、錘がひとつ外れて飛んでいった。
同じタイミングで男部屋のハッチが開き。

「!ヤベ」
「…うおっ!」

飛ばされた錘推定100kgは丁度ハッチの真横18pの甲板に突き刺さり、間一髪ウソップの鼻をそぎ落とすに至らずに済んだ。

「…ゾロォッ!オオオオオメー俺を殺す気かァッ!」

蒼白かつ涙目になってゾロに駆け寄るウソップに、スチール棒を軽った剣士が「悪ィな」と不遜な態度で詫びる。当然猛省を促すために文句を連ねようとしたウソップだったが、ゾロと目があった途端ウッと詰まった。
 普段から目つきが悪く、顰められていることの方が多いその顔。今朝はいっそう磨きがかかってまさにオニのような形相の剣士である。
 慣れたとはいえ恐ろしい。懸命な狙撃手は、魔獣の機嫌を損ねぬよう一生懸命笑顔を取り繕って言った。

「イヤその、気をつけろよなー…ていうか後で甲板直してくれよ…?」
「おう」

微妙に震えながらラウンジへヨロヨロ向かうウソップに生返事を返しつつ、外れた錘を拾いにハッチへ向かう。
 甲板に半分まで埋まった錘に手を掛け、ギコッと外して棒に嵌め直したところで今度はチョッパーがハッチから顔を覗かせた。
 間近に屈みこんでいたゾロにきょろっと大きな眼を瞬かせる。

「あれ?ゾロもう起きてるのか?」
「おう」
「早いなあ…ってどうしたんだその顔―ッ!」

甲板によいしょと上がりかけたチョッパーが、ひえっと仰け反った。反動で男部屋に落ちかけるのを、咄嗟に片手でピンク色の帽子を掴んだゾロがゆっくりと引き揚げてやる。

「あ、ありがとう」
「―――顔?」
「凄い怖いぞ。何かあったのか?」

ゾロに吊り下げられた状態のままドキドキしつつ尋ねるチョッパーに、怖い顔の剣士がぶっきらぼうに答えた。

「コックに聞け」
「サンジに?お前たちまた喧嘩したのか?」
「………」

最近落ち着いてたのになあと首を傾げる小さなトナカイを甲板に降ろすと、ゾロは再び無言で棒を振り始めた。
 どうやら藪をつついたらしいと察したトナカイは、これ以上は危ないと慌ててたかたかラウンジに向かう階段を登る。
 パタンとドアの閉まる音と共に剣士の口がゆっくり開いて、

「その方がまだマシだ」

呟いた言葉は誰に向けられたものだったか。





 ニコ・ロビンがラウンジに入ると、既にクルーは揃って思い思いに寛いでいる。たちこめる焼き立てのパンと淹れたばかりのコーヒーの芳醇な香り。

「おはよう。おいしそうね」
「おっはようロビンちゃ〜ん!今朝の君もとびき…」
「コックさん、コーヒーを頂けるかしら」

長々と続きそうな口上をいつもどおりに簡潔に断ち切って、空いた椅子に腰掛ける。

「勿論ですともレディ。すぐに朝食にしてもイイかな?」
「えぇ、お願いするわ」

早速カップにコーヒーを移しながら、サンジはさらりとウソップに指示を出す。

「おう長ッ鼻、クソ剣士を呼んで来い」
「ってまた俺かよッ!すまねェがサンジ、今日はカンベンしてくれ〜」
「お待たせしましたレディ。…アァ?誰に向かって口利いてんだテメェ」

ロビンに対する態度とは打って変わってチンピラ風情のサンジが、哀れなウソップをギロリと睨みつけてくる。
 先程対峙したゾロの恐ろしさに比べればまだマシだが、男に容赦ないサンジはある意味ゾロより怖いことをウソップは思い出した。
 慌てて隣に座るトナカイ医師に、

「チョ、チョッパー!コックさんの命令だ!ゾロを連れて来い!」
「俺!?お、俺も今日はやだっ」

話を振られたチョッパーまでもがさかんに首を振る。

「なんだテメェら?寝てるワケじゃねェんだから、アホの一人連れてくるくれぇ簡単じゃねェか」
「イヤ今日のゾロはマズイ。まさに魔獣だ。バケモノ度五割増で半径三メートル以内に入ったら間違いなく斬られる。俺は決して臆病者じゃないが君子だからな、あんなアブネー生き物には近寄らねーぞッ」
「おおお俺だって怖いぞ!」
「俺の方が怖ぇ!」

ぎゃあぎゃあと自信満々に押し付けあう二人の態度を訝しく思いながら、サンジはレードル片手に寸銅鍋からスープをよそい始める。

「おかしなヤツラだな、クソマリモがどうしたってんだ…あ!早起きしてっからか?」
「―――ゾロなあ。そういやいじけてたぞ、サンジ!」

テーブル中央の籠に積まれたパンを狙っていた船長がぽろっと口に出した言葉に、ウソップががぼーんと口を開けた。

「ルフィ〜…アレをいじけてるって表現すんのは、お前くらいだぜ…」
「そういえば様子が変だったわよね?サンジ君」
「そうでした?ナミさん」

内心ぎくりとしながら平静を取り繕った声でサンジが答える。そこで「あっ!」とチョッパーが声をあげた。

「そういえば、『サンジに聞け』ってゾロが…サンジ、ゾロと何かあったのか?」
「あるわけねェだろこのクソトナカイッ!いーからさっさと呼んで来いッ」

振り返って一喝し、いつの間にか全員の視線が自分に集中していたことに気付いてサンジはぎょっと目を剥いた。しかし不自然ながらも敢えてその視線を無視し、再びコンロに向き直り新たな皿にスープを注ぐ。
 当たり前だが今日の出来も素晴らしい。黄金色に輝くスープはどこまでも透明で、全員に配り終える頃にはぴたり適温になるように計算済みだ。女性陣はともかく野郎共は気にもしないに違いないが、自己満足とはいえ気持ちがいい。
 などと意識をムリヤリ料理に向けたサンジを、ロビンの一言がついっと現実に引き戻す。

「あら忘れてたわ、剣士さんから伝言。『メシはいらねェ。散歩してくる』ですって」

汲み損なったコンソメが、ぴしゃんと手の甲に跳ねた。

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