コックさん 4





 かさりがさり、と落ち葉を踏みしめる音が深閑に響く。
ゆっくり自分に向かって近づいてくるその気配を、剣士は寝たままで受け止めた。
 殺気はない。おまけにそれが見知ったものであれば尚更起きる必要もない、と無視を決め込んだ矢先。
ガゴッ!とくぐもった音と共に頬に物凄い重量がぶち当たってきた。

「っだあッ!」
「よーおゾロおめェまた寝てたんだなー」
「…何しやがるルフィッ!」

突然の暴力に流石のゾロも飛び起きて抗議する。
 果たして5メートルばかり先から見慣れたゴム腕が伸びていた。突然安眠を妨害された剣士は血相を変えて船長に踊りかかったが、あっさり胸倉を掴ませて持上げられたルフィは、ゾロの鬼面を目の前にいつもの如くシシシと笑ってみせる。
 頬に喰らった一撃は、挨拶にしては度を超えていた。ゾロが怒って然るべきかなり本気のナイスパンチだ。
それなのに当の本人はケロリと普段どおりの態度である。リアクションに困った剣士が仕方なく無言でルフィを地面に降ろすと。
 うーん、と伸びをした少年はゾロに向かい、さらりと問う。

「痛かったか?」
「悪ふざけにしちゃあな」
「だろ。痛ェように殴ったんだ」
「…?」

そして満面に爽やかとしか表現できない笑みを浮かべたまま、

「ありがとよ」
「…なんだ…?」

頭ひとつばかり下方から、えらく挑戦的なその瞳を輝かせる。
 ワケが解らず首を傾げる青年に、

「ゾロの分の朝メシなァ、サンジが喰っていいっつーから、俺が全部貰っちまった」
「それがどうした」

食事を残すのを極端に嫌うコックのことだ。
 一人分浮いた食事を人並みでない胃袋を持つルフィに廻すのは当然のことだろう。
そんな事を言うためにわざわざ自分を追いかけてきたのか、とゾロは呆れたが。

「サンジ、俺がメシ喰うといっつもスゲエ嬉しそうな顔すんだ」
「知ってる」
「だけど」

さっきは違ったんだよなー、とルフィがつまらなそうに呟いた。
ゾロの眉がひくん、と動く。

「ちっとも嬉しそうじゃなかったぞ。ゾロおめェ、俺のコックを泣かすなよ」
「な」

(あのコックが、泣いただと?)

さしものゾロもビックリな爆弾発言である。幾らなんでもそこまでは、と驚愕に見開かれたゾロの目を、ルフィが面白そうに見返した。

「なーんてな。ゾロ、サンジに泣かれるのイヤなんだなあ」
「…アホか。俺にゃあ関係ねェ話だ。大体あのクソコックが、ンな事くれぇで泣くかよ?」
「そうだな、笑ってた」

でも泣くと思ったんだ、と。
 その時のサンジの様子でも思い出しているのだろうか。珍しくも陰鬱なルフィの声音に、う、とゾロが呻いた。

「おめェらは相手が絡むと急にガキに戻るんだよなー」
「アァ?なんだそりゃ」
「ゾロだって、解ってんだろ。なァ、ゾロとサンジ、どっちが逃げ出してんだ」
「お節介焼いてんじゃねェよ船長。俺に説教か?」
「いいや?文句云いに来たんだ」

きょとん、と己を見つめる少年の態度がゾロの額にいつもの青筋を浮かべさせる。

「…?ありがとう、つったじゃねェかよ」

するとルフィは、それとこれとは別だ、と大威張りで腕組みした。

「ゾロずりぃんだもんよ。船長より先に遊びに行くなんて俺は許さねェ!」

むう、と悪戯っ子の顔で見上げる少年。
 呆気に取られた剣士は次の瞬間爆笑した。この男にかかっては自分も降参するしかない。

(ガキに戻る、か。確かにそうだな)

手痛い指摘に苦笑しつつ三刀を拾い、さっさと腰に差す。

「悪かった、船長」
「シシシ。―――あー、腹減ったなあ。メシ喰いに行くぞゾロ、サンジのメシ!」
「おう…ってお前、俺のメシ喰っといてまだ喰う気かよ!」

ルフィに次ぐ食事量を誇る剣士だがこれには思わず目を剥いた。
いつも思うのだがこの少年は燃費が悪いことこの上ない。

「喰うぞ!なんせ俺は海賊王になる男だからな!」
「どんな繋がりだよ」

そして食い意地の張った二人は、唯一のコックがいるであろう羊船に向かって全力で疾走したらしい。








 広場を取り囲むように張られた簡易テントの一角で、サンジは所狭しと並べられた食材に目を輝かせていた。
ようやく巡り合えた露店はそれこそ市場の勢いで、あちらこちらで威勢良く取引が行われている。全く港の閑散が嘘のような賑わいだ。
 コックはうきうきと見たことのない野菜らしきものが盛られた籠を指差し、店主を手招きした。

「オッサン、これァなんだ」
「クヌイかね。この島の特産さ。そうさな、甘くてでかい芋だと思ってくれ」
「日持ちするのかい?船旅なんだ」
「丁度いいよ。芽が出にくい品種なんだ、日陰で二十日ってとこだな。持ってくかね?」
「ああ。30キロばかり貰うよ」
「ありがとよ!…兄ちゃん見かけない顔だが、どっから来た?」
「イーストからだ。しかしココはイイ野菜が揃ってるな、艶が違う」
「若いのに良く解るねえ!この島は土がいいからな、良く育つのさ。―――東か、随分な遠出だが旅行かい」
「いや?実は海賊なんだ。アァ、こっちの玉葱と人参も同じだけくれ。葉物はこんだけでいい」

山と詰まれた野菜の代金を払いながら冗談めかしてサンジがそう云うと、人の良さそうな男は豪快に笑い飛ばした。

「そりゃまた優男な海賊もあったもんだ!ヤツらが金払うなんて聞いたことねぇよ」
「本職はあちらにいらっしゃるお嬢さま専属のコックでね」

少し離れた場所でサンジ同様民芸品を覗き込むナミに片手を振って合図を送りながら言う。

「あんた、コックさんかい」
「腕のいい、な。陸に店持ったらオッサンも食いに来てくれよ。サービスするぜ」
「ハハ、そりゃありがてぇ!―――じゃあ先払いだ、コレも持って行きな」

くだけた青年を気に入ったらしい店主は、並べられた商品からごっそり果物を紙袋に詰めて寄越してきた。
 ありがとうよ、とサンジが晴れやかに微笑んでみせるとそれにまた林檎が3個ばかり追加される。
なかなか買い物上手なコックさんなのだった。
 大荷物をトナカイ姿のチョッパーにくくりつけ、さて次は、と顔を上げたところで店主から呼び止められた。

「兄ちゃんコックなら、アレに出てみたらどーだ」
「んあ?」

男が指差したのは、中央に設置された舞台。先程から子供たちの踊りやら奥さん連中のコーラスが立て続けに披露されている。
 サンジはんん?と首を傾げ、

「この島じゃコックが舞台で芸をするのかい?」
「違うが…いや似たようなモンだな。優勝すると景品が出るぞ、話のタネにどうだい」
「イヤ俺は」
「面白そうね。乗ったわ」
「…ナミさァん?」

いつの間に背後に忍び寄ったか、儲け話に目のない航海士がサンジの肩に手を置いてニッコリ微笑んだ。








 さてG・M号もといメシもといコックさんめがけ走る船長と剣士であったが。
あいにく二人揃って帰巣本能に欠けるドーブツであった。森を抜け小川を越え、船のある港へと一路向かったはずが、いつの間にかそこは閑静な住宅街。
 森を挟んで港とはまるきり反対方向という素晴らしい場所であった。

「どこだここァ。やけに遠いが港はどっちだ」
「俺もーダメだ、腹減って動けねェ」

それぞれお約束の台詞を吐きながらそれでもスピードを緩めない男が二人。それがまた迷子を助長するのだが、残念なことに少々アホな男たちは一生それに気付きそうにもなかった。
 しかし二人の思惑をヨソに、目指すコックは只今船上ならぬ陸の上である。実はある意味最短コースを辿ってきているのだ。…勿論その幸運にも気付けそうにない二人だったが。
 そうこうするうち突然ルフィがおお!と飛び上がり、同時に隣を走る剣士もん?と片眉を上げた。

「なんかあっちからイイ匂いがすっぞゾロ!」
「人がいるな。それも大勢」

果たしてドーブツどもはその人間離れした嗅覚と聴覚で、カーニバルの気配を敏感に察知したようである。
 住民に道を尋ねようにも人っ子一人いないのにイイ加減焦れてきていた所なので、二人は本能に従い真っ直ぐその気配へと進んでいく。距離にしてチョッパーに匹敵する超感覚であった。
 ほどなくして到着したのは件の広場である。出来立ての惣菜や菓子の並ぶ露店を一目見るなり、食い意地の張った船長がだらしなく涎を垂らした。
 うほ〜!っと声を上げ、

「スッゲー!メシ屋がたくさ―――うお!?」

興奮し今にも駆け出そうとしたところで突然地面に縫いとめられた。

「―――ッ!」

咄嗟に抜刀した剣士は、ルフィを押さえつけるのが地面と少年の背中から生やされた六本の細い腕だと見て取ると、ゆっくりその刃を鞘に戻す。

「…お前か。何の真似だ」
「航海士さんから頼まれたのよ。船長さんが来たら無駄遣いしないように捕まえてって」
「離せロビーン!」

首だけ伸ばして苦情を言い立てる少年に、人込みからするりと現れた特技は暗殺の考古学者が妖しく微笑んだ。
 問答無用で拘束とはなんつう女だとゾロは眉を顰めたが、確かにここでルフィを放置するよりは面倒が少ないだろう。
 それよりも今は恥を忍んで船までの道を尋ねておくべきかと逡巡するうちに、ロビンの細い指が広場の中央へと向けられた。

「丁度良かったわ、ほらあそこ」

彼女に促されるまま見た光景に、男二人の目が点になる。

「ありゃあまさか…」
「サンジだな。何やってんだ?」

ちゃちな舞台の上に、年齢様々な男女が七名ばかり。
 それぞれナイフと林檎を手にした彼らのもう一つの共通点は、皆一様に真っ白なコックコートを身に纏っているということだろうか。

 横並びするその端っこには確かに、見慣れた金髪の痩身が立っていた。

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