コックさん 5





 ゾロがターゲットを視認した、その少し前。
ナミに後押しされる形で、サンジはひょっこり舞台脇に設置されたテントの下に居た。
 見るからに余所者である青年をじろじろ遠慮なく見つめる視線に少々居心地の悪さを感じたが、愛するレディのお望みとあらば、どんなサーヴィスでもやってのけるのが男である。
 そんなサンジがうっかり参加するハメになったのは。

『第10回林檎皮むきコンテスト』

プログラムに大きく書かれたその文字を見て、サンジはふむ、とグル眉を上げた。
 "コックなら"とあの店主が薦めたのは恐らくこの催しだろう。決してその後に続く『甘味大食い選手権』だとか『樽ビール早飲み競争』だとか『ミニスカ女装コンテスト』だとかでなく。

(俺の腕は見せモンじゃねェんだけど…ナミさんのリクエストとあらば仕方ねェか)

煙草をふかしながらぼんやりプログラムを見上げる黒衣の青年。
それに気付いた受付と思しき女性が、

「ミニスカートの準備されてます?なんでしたらこちらでご用意いたしますけど」
「…可愛らしいお嬢さん、出来ましたらゼヒ林檎の方でヨロシク…」

それはもうステキな笑顔を振りまいたのに、かろうじて愛想笑いで答えた。
 相手が女性でなかったら、即座に黄金の右足が活躍していたことだろう。









 皮むきイベント開始までの僅かな時間、サンジは参加者を集めた一角に案内された。
そこで手渡されたのは使い古しのシェフコート。年に一度の島を挙げてのカーニバル、例年の慣習として参加者は全員この上着を着用してコンテストに臨むらしい。
 ジャケットを脱ぎ、久しぶりのそれに袖を通す。揃いのスラックスとコック帽がないのが少々物足りないが、G・M号ではエプロン位しか使わないコックさんには、なかなかに感慨深いものがある一瞬である。
気合が入る、とでも言うべきか。
 おまけに客席で見るというナミから「応援してるから頑張ってお土産持ってきてねー」などと語尾にハートマークつきで言われれば、サンジだって俄然やる気が出るというものだ。
 元々負けず嫌いの感のあるサンジ、しかもネタが料理関係とあれば、余興とは云え負けるワケにもいかない。

(まーこの俺が負けるハズねェけどなー)

なんとも図々しい考えだが、あのバラティエできっちり仕込まれた己の腕、それを謙遜なぞするのは即ちゼフへの冒涜だとサンジは思っている。
そして自分に自信がなければ最初から麦わらの船になど乗っていない。
 余裕の態度で同じくエントリーするという女性を口説きにかかっていたら。

「見かけねェ顔だが、お前さん旅行者かよ」

背後から耳障りな声が掛かった。

「そうだが…ヨソモノは出ちゃいけねェ決まりでもあんのかい?」
「んな事ァねェさ!折角の観光客に、赤っ恥かかせちゃ悪ィと思ってなあ」

振り向いた先ではなんともいけすかないタイプの中年男が、太い腹を揺らして豪快に哂っている。
 青年が怪訝そうに眉を顰めると、男はサンジの興味を引いたと思ったか、訊かれてもいないことをべらべらと捲し立て始めた。

「俺はこの大会の7連続チャンプだ。この島で唯一のレストランをやってる。田舎だからじゃねぇぞ?俺が店を持ってるから、他の連中にまで客が廻らないんだ。そろって閉店よ」
「………」
「コレに出るってこたァお前さんもコックかなんかだろ。見たとこ随分とナヨっちいが、そんな細腕で鍋が持てるのかい?」
「セイユさん、もうそのくらいで」

侮蔑を交えたその物言いに、サンジが話しかけていた女性が見かねて宥めに入った。
 しかしセイユと呼ばれた男は「うるせえな」と女性を軽く一喝し、一向に青年への威嚇まがいな台詞を止めようとはしなかった。その粗暴な態度にサンジの眉が一瞬ピクリと反応する。

「降りるんなら今のうちだぜ?俺ァおのぼりさんに手加減する気はねぇか―――」
「…レディ、豚肉料理はお好きで?」
「は?え、ええ」

不意にサンジはくるりと身体の向きを変え、困り顔の女性にニッコリと微笑んだ。

「そりゃア良かった!ここはイイ島だが躾の悪い豚がウザくてしょうがねェ。宜しかったらこの後、俺のディナーにご招待させて頂けますか?―――一頭、シメる必要がありそうだ」

最後の言葉は当然、セイユへ向けた挑発である。無視された上に豚扱いされた男は怒りも露にサンジの胸倉を掴もうと一歩踏み出すが、スッと目前に突きつけられた靴裏にそれを阻まれた。
 振り上げた足をゆっくり下ろしたサンジの底冷えする蒼眼が、男を一瞬で凍りつかせる。

「ギャーギャーギャーギャー煩ェんだよクソ豚野郎。テメェも料理人なら口じゃなくて腕で勝負したらどうだ?つってもその肥えた指じゃ包丁も挟めねェッポイが、宜しかったら俺が一回りお剥きして差し上げましょうかだこのエセコック」
「お、お前、」
「海のコックさんを舐めんじゃねェぞ?―――世間知らずに海の広さを教えたらァ!」

なんとも殺伐とした『林檎皮むきコンテスト』宣戦布告であった。








「なぁ、サンジどうしてあんなとこにいんだ?」
「林檎の皮を剥くんですって」
「ふーん。なんでだ?」
「林檎の皮を剥くためかしら」

のんびりとしたルフィの質問に、おっとりとロビンが答える。微妙に会話が成立していないのはいつものことだ。
 舞台上ではマイク片手の司会者が、参加者それぞれに名前を聞いたりコメントを取ったりと忙しい。
最後にマイクを向けられたサンジは、観客に向かって大きくその手の包丁を振りまわしながら「ナミさん見てるー?」と少々オツムの足りなそうな笑顔を披露し、ギャラリーをどっと笑わせた。

「…あのアホコック、ンな目立ってどうすんだ」

仮にも自分達はれっきとした賞金首である。立場も忘れて浮かれるコックの姿に、どうにも呆れたゾロの口からそんな言葉が洩らされたが、当然サンジには聞こえない。
 ちっと舌打ちして視線を逸らすと、観客の間をするすると泳ぐオレンジが目に付いた。その両手が抱えるのはベリーが山と詰まれた籠。
 舞台そっちのけでいつもの営業スマイルを浮かべ、手当たり次第に観客を捕まえてはボソボソ話し込む少女はどうやら、コンテスト優勝者をネタに善良な島民に賭けを持ちかけているらしい。
 ゾロはずかずかと人込みを掻き分け、商売真っ最中の守銭奴の肩をぐっと掴んだ。辺りを憚りつつ小声で耳打ちする。

「オイお前の差し金かありゃあ。海賊が何やってんだよ」

もっともなゾロの台詞に、ナミは「やぁね、気分転換じゃないの」と嘯く。

「気分転換だと?アイツをまんまと舞台に上げといて自分はちゃっかり胴元たァいいご身分だな」
「…だってねえ、サンジ君たら、一流コックとしてのアイデンティティが崩壊してるみたいだったのよ」
「アァ?なんだそりゃ」
「結構落ち込んでたのよー彼?早起きして一生懸命作った朝食を、どっかの誰かさんがほったらかしちゃったから」

ぐ、と思わず言葉に詰まるゾロの顔を、ナミが悪戯っぽく覗き込んだ。
 最近様子のおかしいコックを一番心配していたのは実にこの少女なのだ。
その原因だとしか思えない男にはこの位の嫌味、当然許されて然るべきだろう。

「ちーさな島のちーさなコンテストだけど。コレに一発サクっと優勝でもしたら、ちょっとは元気になるかなあって。ま、アンタが夕飯まで逃げ出しちゃったら、私の気遣いも無駄に終わるんでしょうけどね」
「逃げねェよ」

やけにキッパリ言い切った剣士に、ナミはへえ!と大きな瞳をきらめかせた。船を降りた短い時間、無骨な剣士なりに考えるところがあったらしい。

「…ゾロ、あんたも賭ける?ダントツの一番人気は目下8連勝を賭けたあの太っちょ、この島唯一の料理人なんですって。二番人気は右端のおばあちゃん。今なら大穴が狙えるわよ?」
「―――左端のクソコックに、全財産だ」

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