コックさん 6





『ルールは先程説明したとおり、林檎の皮を一番長く剥き終えた人が優勝となりまぁす!…それでは皆さん、準備はよろしいですかー?』

マイク片手にやたら明るい司会者の合図で、舞台上の参加者が一斉にナイフを構えた。
 左端に位置する我らが戦うコックさんもそれまでのへらへらとした愛想笑いを仕舞い込み、じっと手の中の真っ赤な林檎を見つめる。
 真剣な、でもどこか楽しそうなその表情を、客席のずっと後ろに立ったままのゾロは人間離れした視力で見つめまくっていた。

(イイ顔、してやがる)

料理する間は常にキッチンに向けられる蒼い瞳。その真摯な眼差しを正面から見ることは、そういえばほとんど無いことにゾロは気付く。

口汚く自分を罵る可愛気のカケラもない顔、
女に向けるしまりのないニヤケ顔、
戦う時の不敵な男の顔、
料理を供するときの幸せそうな顔、
そのどれとも違う、新しいサンジのその表情。

 高価な宝石に見惚れる女の如くそれに釘付けになる自分を自覚して、ゾロはかすかに苦笑した。
やはりどうにも自分はアレに惹きつけられずにはいられないらしい。

『―――3、2、1、…スタート!』

ピーッ!とホイッスルが鳴らされ、途端に流れる軽快なBGMとともに、いまいち緊迫感に欠ける勝負が始まった。
 他の参加者と同様ナイフに添えられたサンジの白い指先が小刻みに動き、林檎を持つ左手がくるくると食材を回転させる。
 立ち並ぶ参加者の手の平から、揃って紅白のリボン状になった皮がするすると下に伸ばされた。小さな島ながらわざわざコンテストに参加するだけあって、皆なかなかの包丁さばきである。
 特に少々太めの暫定チャンピオンからは、その体格に似合わずテンポ良く林檎のリボンが伸びていた。

「やっぱ本命は違うね」
「面白くないが今年もセイユに決まりだなア」
「性格は最悪だが腕は確かだ」
「性格は最悪なんだがな」

などと島民から出るコメントでも既に彼の8連続優勝は確実かと思われたが。
 コンテスト開始からしばらく経ち、ついに刃を滑らせ皮を切り落とした最初の脱落者が出た頃、不意にそれまでの声援とは違う不穏な空気が会場に流れた。
 舞台を見守る観客たちが痩身のコックを指差しながらぼそぼそと会話を始め、それは段々と大きくなり、仕舞いには「やる気がないなら降りろ」と野次を飛ばす者まで出る始末である。
 他の料理人が一心不乱に林檎の皮むきに取り掛かる中、サンジの手に握られた林檎だけが赤いまま―――ただ、くるくるとその手の中を廻るだけだったのだ。









「サンジ君、どうしちゃったの…?」

信じられないその光景にナミが呆然と呟く。
 遠目に見えるサンジは皮を剥くフリをするだけで、何故だか一向に競技に加わろうとしていないのだ。
 馬鹿にされていると思ったか島民たちからはブーイングが起こり始めるし、これでは祭りに水を差すも同然である。

「んもう、何やってんのよあいつ…!」
「見えねェならもっと前に行けよナミ。スゲーから」
「はぁ?」

イライラと爪を噛む航海士に、にんまり笑ったルフィがのほほんと言った。

「器用ね彼、あれでお裁縫が出来そう」
「ったく、ンなお遊びに本気出してんじゃねェよ」

ロビンとゾロは面白い芸でも見るように舞台を眺めつつ、そんな感想を漏らす。
 さっぱり彼らの発言の意味が解らずに仲間たちを凝視していると、さっさと行け、とゾロが舞台へ顎をしゃくった。

(どうなってんの?)

人込みを掻き分け掻き分け舞台にずんずん近づいたナミがようやくたどり着いた最前列。舞台では丁度困り顔の司会者がサンジに近づき話しかけるところだった。
 ここは一発やる気のないコックに喝を入れてやろうと息を吸い込むナミの目の前で何かが揺れ―――。

(………!)

『あのお、7番さん、そろそろ皮むきの方を…え?』

ぼとッ、と鈍い音がスピーカーから響いた。女性がマイクを取り落としたためだ。

「うっそぉ…」

その呟きはナミのものだったか、司会者のものだったか、はたまたギャラリー全ての口から洩れたものだったか。







 相変わらずサンジの手の中をくるくる廻る林檎の、上から三分の一ばかりが白い果肉を見せていた。そしてそこから垂らされた一本の糸。
 赤と白が螺旋を描くそれは、ナミの目にはきれいなピンク色の糸に見える。
糸は今も途切れることなく物凄いスピードでどんどん伸びてサンジの足元にぐるぐると渦を巻き、そのままピンク色の山をこんもりと形成していた。
 野次る客席はぐっと黙り込み、舞台上の他の参加者も林檎を剥くその手を止める。
 その場にいた全ての人間があんぐりと口をあけ、呆気にとられたままサンジの指先に見入っていた。
 いつの間にかテープの最後まで進んだらしいBGMも止まり、しいん、と静まり返った会場。
そこに動くものはサンジの両手、ただそれだけとなった。
 するすると林檎の糸は続き、青年の手に包まれた林檎はどんどん白い肌を曝していく。
誰の目にも優勝者は明白だった。
 そしてパチ、パチ…とまばらな拍手が聞こえ始め―――それは大きな波となり、ただ一人の凄腕コックへと注がれる。
 客席にいる少女に気付いたサンジが、こっそりとナミにウィンクと微笑を寄越した。

「…もう、ヒヤヒヤさせないでよねッ!」

同じく笑顔でサンジに拍手を送りながら、ナミがほう、と一息ついたその時。

「―――やってられっかァ!」

怒声とともにサンジの足元に勢い良く何かが投げつけられた。ほぼ剥き終えられた白い林檎が舞台を跳ね、二、三度バウンドしてそこらに果汁を散らす。
 靴先にぶつかってきたその林檎にぴたりとサンジの指が止まり、青年はゆっくりとその白い顔を上げた。

「オイなんのインチキだそりゃあ!イナカのお祭りに偉い仕込みじゃねえか」
「…仕込み、だと?」

手にした包丁の切っ先を向けて言いがかりをつけるセイユに、サンジが静かに聞き返す。

「そうだろう?たかがコックにンな神業が出来るわきゃァねえ。お前どこの手品師だ!」

男は言いながら足早にサンジに近づき、強引にその左手を引っ張った。
 セイユの剣幕に押された格好の観客は固唾を飲んでその光景に見入るしかない。

「ちょっくら調べさせて貰………」

しかし男はそれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。
 青年に握られたままの林檎からは間違いなく糸状になった皮が続いており、それを認めたセイユの顔が赤から青へと目まぐるしく変化する。
 男はゆっくりと掴んでいた細い手首を離すと、己の腕を下ろすこともせずそのままの姿で固まった。

「満足したかい?ココで唯一のコックさんとやら」

静かな青眼に見据えられたセイユの喉がゴクリ、と鳴った。

「俺ァ確かに"たかが"コックだが。豚野郎とは出来が違うんだよ」

サンジは硬直した男にニッと哂うと、ピッとナイフを滑らせて糸を切り落とした。
 そのままゆっくりと身を屈め、先程投げつけられて憐れにも半分潰れてしまった林檎を拾い上げる。

「それに食材を無駄にするような奴ァコックじゃねェ…テメェ、向いてねェよ」

ふうっと林檎に息を吹きかけ、おざなりに汚れを落としたそれにしゃり、と歯を当てた。
 そしてオタオタしつつも成り行きを見守っていた司会者に向けて一言。

「申し訳ねェ、場が白けちまったな。…レディ、そろそろお開きにしては如何です?」
『―――ゆ、優勝は7番、G・M号代表のサンジさん!』

慌ててマイクを拾い上げた司会者がそう宣言すると、今度こそ会場は大きな歓声と拍手に包まれた。

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