ハリケーン 3





 グランドラインは滅法広いが、そこに乗り出す船だって滅多やたらに多い。
点在する島々の磁力に従って航海する船同士が、同じ航路を辿る事だって珍しいことではなく。
 それがこれまたうっかり海賊船同士だったりしたら、どうなるのかなんて火を見るよりも明らかだ。

「―――来るわよ!チョッパー、左に舵を切って!」

三本マストに三角帆、マストの天辺には髑髏を模した海賊旗。
 どこかで見たようなキャラベルだが、大きさはふた周りほどにも違う。黒金の砲門は左右に五つ、それはぴたりとこちらに狙いをつけ、甲板の上ではそれぞれの得物を持った屈強な男たちが値踏みしながら小さなGM号を嘲笑っていた。
 突如ドゥン!と轟音を響かせて海上に水飛沫が上がる。
ナミの飛ばした指示は素早く的確で寸でのところで操船が間に合ったが、船体の脇ギリギリを掠めた砲弾は威嚇射撃にしては大仰だ。
 振動で揺れる頼りない羊船に、敵はオールを巧みに動かしてじりじりと近づいた。

「随分とショボくれた船だなァオイ!命ばかりは見逃してやるから、お宝有り金、ぜーんぶ置いてとっととずらかりな!」

 呵々と笑う耳障りなドラ声は相手の船長が発したものだろう。
 既に臨戦態勢を取っていたクルー全員の耳にそれは届き、NGワードを拾い上げた航海士は眉を吊り上げて我らが船長を振り返った。

「ちょっとルフィ!アンタもなんか言い返しなさい!」
「おう!―――てめえら!悪いがお宝なんぞこれっぽっちもねぇぞ!全部ナミが使い込」
「アホかぁッ!」

 言い終わる前にナミのクリマタクトがくるりと一旋して、延髄をしこたまブチのめされた船長は顔面から甲板に突っ込んで敵船からやんやの喝采を受ける羽目になる。

「面白ぇねえちゃんだ、お宝がねぇならアンタとそっちの黒髪を貰うとすっかい。散々可愛がってから娼館にでも流してやるよ。…後の雑魚どもはとっとと死にやがれ!」

 右手を振り下ろすお約束の合図で、敵船から盛大な鬨の声が上がった。
 びゅんびゅん鎖鎌を振る音が空気を裂き、男たちは橋桁を持ち出してGM号へ乗り移るための準備を始めるが、

「ナミさんとロビンちゃんを娼館にだと?」
「雑魚たぁ言ってくれる」
「―――行くぜゾロ、サンジッ!」

 麦わら海賊団のドンパチ大好き戦闘要員がヤル気になる方がほんの少し早かった。
 ぐんっと伸びたルフィの右腕は船縁に集まった海賊達を左に薙ぎ払い、返すそのまま手摺にかかる。もう片方はゾロとサンジの襟首を纏めて引っつかみ、ゴム人間はその身ごと敵船へと飛び移った。
 ばちん!と腕を縮めて鼻息も荒くぶんぶん腕を振り回すルフィに、乱暴に放り出されて甲板に全身を打ちつけたゾロとサンジが揃って苦情を申し立てる。

「テメェにゃ学習能力がねェってのかクソゴム!」
「毎度毎度ちったぁ考えろ!」
「いやー悪ィ悪ィ」

 なんて呑気にシシシと笑う船長と激昂する二人を取り囲むように、あっという間にぐるりと海賊の輪が出来た。
 とんでもない闖入者に驚きはしたが、そこはグランドラインを往く海賊団だ。目前にした悪魔の実の能力に怯むことなく次々に攻撃を仕掛けてくる。
 中央に向かい一斉に振り下ろされた刃はしかし、三本の煌きにその全てを受け止められた。
 黒い手拭を頭に巻いた剣士の両腕がぴくり、と震え、

「―――鬼・斬り!」

気合一閃、その刀ごと男たちを海の彼方へ弾き飛ばす。
 三刀を自在に操りながらゾロは船首へと斬り込みを掛け、ぽかりと空いた包囲網をすり抜ける黒衣の痩身は真っ直ぐ船尾へと向かった。
 サンジは両腕をポケットに突っ込んだままひょいひょいと海賊たちの攻撃を躱し、ターンを刻みながら大男たちを海へと蹴り入れて行く。
 好き勝手に暴れまくる三人にマストの上からライフルで狙いをつけた撃ち方たちは、己の背中から突如咲き乱れた女の細腕に関節技を極められてぐらりと海中へ落下した。
 自船の見張り台から遺憾なくその能力を発揮するロビンの荒業だ。
 GM号へと向けられた大砲は、発射直前にたった一台の砲門から矢継ぎ早に撃ち込まれた砲弾に次々に破壊され見る影もない。

「あと半分よウソップ!チョッパー、右舷に回り込んで船を寄せて!」

 いつでも我先に最前線へ飛び出してしまう船長の代わりに戦況を見極めるのはナミの役目だ。
 操船にもすっかり慣れたチョッパーは指示通りに舵を動かし、ほどなく高精度なスコープを嵌めた狙撃手によって全ての砲台が鉄屑と化した。
 後方で待ち構えた海賊たちを文字通り一蹴したサンジは、胸ポケットから取り出した煙草に火をつけながら、ゆっくり背後を振り返る。
 ゾロにより悉く峰打ちされた男たちの苦鳴が恨みがましく響く中、

「船長!とっととアタマを落としてオヤツにすんぞ!」
「おう!」

 船ごとぶち壊すイキオイで壁を崩しながらキャビンに殴り込みをかけたルフィは、偉そうに高みの見物を決め込んでいた男を側近ともどもゴムゴムの機関銃であっという間にノックアウト。
 たった七人だが少数精鋭。
間抜けな羊頭のキャラベルにはためくどこかコミカルな麦わら着用の海賊旗は、またひとつ星を増やした。











「というわけで船長さん、慰謝料を請求させて頂くわ」

にっかり微笑む守銭奴の笑顔は意地が悪く容赦がない。
 乗り込んだ敵船の甲板ド真ん中で大の男相手に金勘定を始めたナミを、サンジは「さすがだぁ〜!」と大袈裟に褒め称え、ゾロはその縛り上げっぷりに密かに感嘆していた。
教えを乞うておけばそのうち金髪相手に役立つかもしれない。

「さーて、海賊らしく略奪に勤しむわよ!…っと、」
「どーしたナミ?」

 不意に上空に視線を上げた航海士に釣られてルフィもひょいと天を仰いだ。海面近くに薄く雲が浮いてはいるが、概ね爽やかな快晴だ。
 しかしご機嫌だった航海士の眉はぐっと寄せられる。

「―――急いで!潮の匂いがおかしい…ハリケーンが来るわ!」

ナミの一喝にGM号クルーは顔色を変え、囚われの海賊たちは自分たちの境遇も忘れて笑い転げた。

「とことんまで面白い姉ちゃんだな、幾らグランドラ」

 嘲弄を浴びせる声は、ビュウッと頬を叩いた強風にかき消される。
俄かに掻き曇った蒼天と響き始めた風鳴が、その場の全員を凍りつかせた。
穏やかだった海面が次第に高低を変えていき、あちこちで白波が上がり始める。
 何が起こるか解らないグランドラインの本領発揮だ。

「…ルフィ、ゾロ、チョッパー!こいつら纏めて船倉にでも放り込んで。サンジ君とウソップはお宝の回収、ロビンは―――」
「ナミさんやベェ伏せろ!」
「!?」

 てきぱき指図するナミの背後にきらりと光る刃。
気絶したフリで隙を伺っていた賊が一矢報いるために投げた細身のナイフは、寸前で報復に気がついたサンジに宙高く蹴り上げられた。
 しかし鋭い刃は一拍逃げ遅れたナミの左手首をしゅんっと掠め、航海指針を取り付けたベルトを断ち切る。

「―――嘘!ログポースが!」

いよいよ吹き荒れ始めた突風に乗り、半透明の球体は成す術もなく海面へと落下していく。

「やだ、あれがないと…!」
「しっかり立ってナミさん!すぐ俺が…ってゾロ!?」

しかし愕然とよろけたナミを支えたサンジの脇をすり抜けて、追うように海へと飛び込む影がひとつ。
同時に上がる鋭いアルトの響き。

「―――十二輪咲き!」

 数珠繋ぎになった腕は先に飛び込んだゾロを追い越して海面すれすれで球体をキャッチし、目の前で獲物を攫われた剣士はぎょっと目を剥いたままざぶんと荒波に呑み込まれた。

(あの女がいたか…)

 ゴポゴポと気泡にまみれながらゾロは水中で体勢を立て直し、両腕で水をかいて海面にぴょこんと顔を出す。
 顔に被った水気を振って見上げた先では、真っ青な顔をしたコックがジャケットを脱ぎ捨てるところだった。
 波間に浮かぶゾロに向かって、

「そこ動くなよマリモ!」
「?―――おいッ!?」

怒りも露に叫ぶなりネクタイを口に咥えて飛び込んできたのだから驚きだ。

「…っぷあ!」
「何やってんだてめェ!」

 すぐ隣に浮き上がってきた金髪頭は、訝しげなゾロの問いには答えずに、トレードマークの黒ネクタイで自分とゾロの手首をきつく結びつけた。

「…?…」
「アホったれが。テメェみてェな迷子野郎がこんな海に飛び込んでどーするってんだ」
「アァ?メリーは目と鼻の先じゃねぇか」
「そこを迷うのがテメェだろうが!」

 やたらぷんすかと怒りまくりつつ、サンジはGM号へと手を振る。
合図に応えてウソップが非常用の浮き輪を海へ投げ入れようと抱え上げ―――

「「!!」」

 激しい横波を受けたGM号が、がくんと揺れた。
船を倒しかけた大波は、側舷に跳ね返されてそのまま海中の二人に襲い掛かる。
 もはや目を開けることもままならぬ暴風―――
ハリケーンの到来だ。

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