剣豪の受難 3





 「…うわっちちちち!」

一同呆然。

「ゾロ!」
「クソマリモ!」
「ゾロ!」
「ゾロ!」
「ゾロ!」
「ミスターブシドー!」
「クエエエ!」

一部人間のものでない叫びが含まれていたが、恐らく剣豪を指すものであろう。

「クッ…」

両手先から伝わる熱量に眉をしかめながら、ガコン、とテーブルに鍋を置いた。
 その音で皆がはっと覚醒する。最初に声を発したのは挑発上手なコックであった。

 「…アホかテメェは!何度あると思ってんだ!」
「…知らねェよ」
「剣士が腕を粗末にしてんじゃねェよ!」
「勝手に手が出ちまったんだから仕方ねェだろうが!」

いがみ合う場合ではなかったが、ゾロを生贄に手の負傷を免れたサンジが大汗を流しながら短慮を責め、ゾロも負けじと言いかえす。
 頭の天辺にはメインディッシュが載ったままである。余程動揺しているのであろう。
 剣豪は一滴のスープも零すことはなかったが、鍋から外したその両手は真っ赤に腫れ上がり…。

「ヒデェな、どんどん膨れて来てるぜ。あ〜水ぶくれになるなこりゃ…痛いぞ〜夜がまた痛いんだよな〜うお〜うなされるぞ〜」
「ウソップさん、詳しいんですね」
「おうビビ、俺はこう見えても村で一番火傷には詳しかったんだ。まだ俺がイーストブルー消防団の隊長を勤めていたとき海軍本部が海賊の攻撃を受けて炎上したことがあってな。誰も手のつけられない過酷な状況となった。だがそのとき勇敢な海の戦士ウソップは炎の戦士と化し…まぁとにかく火傷は後からクルからな。ダイジョブかぁゾロ?」

ぺらぺらと喋り続けるウソップは、その発言がほんのちょっぴり剣士の眉を顰めさせたのには気づいていないらしい。

「スゲー!ゾロ、手がでかくなってるぞ!」
「…アホかァ!」

またしてもキラキラと瞳を輝かせるルフィの後頭部をナミの拳骨がガン!と殴打した。

「なにやってるんだよみんな!…サンジ、水!」
「お?おう!」

さて冷静なのはチョッパーだけであった。ボンヤリ自分の両手を見つめるゾロに、調理用のボウルになみなみと注がれた冷水に浸すよう促す。

「火傷は早期治療が肝心なんだ。冷やして、落ち着いたら軟膏を用意するから」

それまでのちびっ子ぬいぐるみ然とした態度とはうらはらに、突然医師としての使命感に目覚めたチョッパーに、正直戸惑いを隠せないゾロ。
 その腕をはっしと捕まえ、ちゃぽん、とボウルに浸からせる。
…その甲斐甲斐しい姿が何故だか嬉々として見えるのは気のせいだろうか。

「取り合えずしばらくそのままで」
「………」

両手をボウルに突っ込んだまま憮然とする剣豪の姿は、ちょっと見かなりナサケないものだった。
 勿論そんなナサケないゾロの姿をナサケ容赦のないクソコックが放っておく筈もなく。

「しばらくそのまま、だってよ」

ププッと噴出しながら剣豪の仏頂面を覗き込む。ニヤニヤする白い顔をギロリと睨めつけ、愛刀に手を伸ばそうとした途端、

「そのままにしてろって、言っただろうー!」

使命に目覚めたトナカイ医師からストップがかかり、コックは両断されずに至った。
 出端を挫かれた剣豪は当然イライラ増加。青筋が、また一本増えた。
それを見てまた「イヒヒヒ」とコックが嗤う。癪に障ることこの上ない。

(クソコック、後で殺す!)

ギリギリ歯を食いしばっていると、心配そうに見上げる小さなトナカイに気がついた。

「おいチョッパー」
「何だゾロ?痛いか?!」
「いや…」
「もう少し冷やしたら薬を塗るから、それまで我慢しろ」
「いや、だからな」
「俺の薬は効くぞ!だから、大丈夫だ!」

小さいひづめがグーを握って?、小さい胸をどん、と叩いてみせた。

「や、大丈夫…っつーか…」

なんかもうとっくに大丈夫なんですけど。
 そう、剣豪はとっくに痛みなど忘れていた。
現在の大剣豪である鷹の目の男―――ジュラキュール・ミホークに袈裟懸けに斬り下ろされた傷でさえ、ロクな治療もせずほったらかしたままだった男である。
 鍋に触れた瞬間は熱と同時に自分の行動に驚いて思わず条件反射的に声が出てしまったが、考えてみればリトルガーデンでは哀れ丸焼き一歩手前まで行った男。
 たかだか手の平の火傷くらい、蚊に刺されたくらいなんともないのであった。

 というか、確かに軽い火傷は負ったのだけれど。

ゾロ自身不思議なことに、ちょっと冷やしたら完治していた。丈夫もここまでくれば一種のバケモノであるが、それでいいのだ。
 何故ならばゾロは未来の大剣豪なのだから。


 当然剣豪に医師の治療は必要なかった。だから、

(もう治ってんだよ。薬はいらねえ)

そう言う筈が。

「…頼む」

 チョッパーの真摯な瞳にほだされて、気づけばポロリと心にもない台詞が出てしまっていた。
 ゾロの不死身加減を熟知しており思わず目を剥く他のクルーを尻目に、チョッパーは大張り切りで軟膏を取りに船室へと向かい、ゾロはボウルに浸かったままの己の両手を凝視する。

「…アホだろお前…」

煙草を口の端に咥えたコックがゾロの現状などお見通しでボソリと呟いた言葉は、そのまま剣豪が自分に向けた言葉でもあった。
 半時間後剣豪の両手には、グルグル巻かれた真っ白な包帯が。




「…で、夕飯は欠席、と」

ナミが一つだけ空いた椅子に向かい誰にともなく呟く。

「こんなに美味ェのになぁ。勿体ねえ〜」
「イヤだから言うソバからお前が食ってんじゃねぇよ!」

ゴム船長の腕がひゅるりと伸び、ゾロが座るべき椅子の前に用意された皿からあっという間に中身が消える。
 ウソップは気づかなかったが、咎める彼の皿からもラムが一切れ消えていた。

「お昼も、食べなかったのに」
「強情っ張りっていうか、見栄っ張りなのよねぇ」

ビビの心配混じりの声に、ナミがあっけらかんとした口調で返す。

「手、痛むのかなあ」
「ないない。ゾロはフツーなら死ぬって位斬られても、寝るだけで治すバケモノなんだから」
「あの傷も、俺だったらもっとちゃんと手当てできたのに」

ミホークにつけられた傷を思い浮かべながら、ゾロは自分の体に無頓着がすぎる、とチョッパーが溜息を落とす。内心その通りだと思いつつ、いつもの調子でコックが言う。

「出会う前の事は気にすんな。大体あんな無神経な腹巻ヤローにお前のナイスな医術が必要たァ思えねェよ。…?どうしましたナミさん」

半目で自分を眺めるナミに気づき、サンジは少々ビビりつつ声を掛けた。

「サンジ君もさぁ、アレはやりすぎでしょー」
「…俺を咎めるナミさんも素敵だ〜!」

瞬時に瞳をハートマークに変えるサンジに、「だめだこりゃ」とナミは天を仰いだ。



 ゾロの軽症で中断したランチは、チョッパーが特製の軟膏をゾロの両手に塗りたくり、包帯を巻き終えた後無事に仕切りなおしとなった。
 何事もなかったかのようにテーブルに広げられた料理に舌鼓を打つクルーたち。
しかし普段なら無言でガツガツ貪り食う剣豪に動きがない。

『なんだテメェ、俺のメシが食えねぇってのか?』

皆が食事に没頭する中。唯一人、フォークに手を伸ばさない剣豪に気づいたのは、コックとしてのプライドだったろうか。

『………』

苦虫を噛み潰したような顔で、ちらりと両手に目を遣るゾロ。
 曲げないようにとご丁寧に副木まで添えられて巻かれた包帯が邪魔で、カトラリーを握ることが出来ないらしい。

『あー…その手じゃ持てねぇか。未来の大剣豪さまともあろうお方がとんだお姿で。…しょうがねぇな食わせてやっから、アーンしてみろアーン』
『…メシはいらねぇ』

コックがふざけて突き出したフォークを一瞥し、席を立つ。
 そのままスタスタ歩いて、剣豪はみかん畑に寝転がった。戻る気配もない。



なんてことがあって。そしてランチに引き続きディナーに欠席者が一人。

「…ほっときゃァいいんですよあんなクソッタレは」
「ふぅん?」
「腹が減ったらイヤでも食いますって。ハ、食糧が減らなくて大助かりだねこっちは」
「目が泳いでるわよサンジ君」
「………」

剣豪がこの場にいないことに一番ショックを受けていたのは、実はこのコックかもしれない。

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