かかる月 2





 静かな夜だった。雲ひとつない空には、きれいに円を描いた月がぽかりと浮かんでいる。
波はさらりと穏やかで、時折船の明かりに釣られたか、小さな鱗をきらめかせた魚がぽちゃんと跳ねた。
 外で飲むに相応しい夜だ、とゾロはニンマリと笑う。

 ラウンジから失敬した一升瓶を片手に、甲板に腰を下ろし格納庫の扉に背を預けての月見酒。
 一見風流とはかけ離れたゾロとて、それなりに静寂を愛していたりもして。
 目の端で名月を愛でながら、ぐいぐいとコップを呷る。

「…ゾロぉ、起きとくつもりなら見張り替わってくんねーか?」

マストの上から、様子を伺うようなウソップの声が届いた。
 なんだかイイ気分をブチ壊されたような気がして、思わずジロリと睨み上げながら返す。

「アァ?今夜はテメェの番じゃねェか」
「わ!何だその凶悪な顔は!コエェじゃねーか!」
「生まれつきだ」
「いや、タバスコ星作りかけなんだよ。なぁ頼む、明後日にゃ終わるからよ」

見張り台から身を乗り出すようにして両手を合わせ、明後日の見張り番であるゾロに交代を申し入れるが、

「知ったこっちゃねぇよ」

冷てー!と叫ぶウソップは軽く無視して、また一口。
 米から作られた清酒は酒豪であるゾロのお気に入りの一つだが、値段もそれなりに高価で。

(こーゆー夜には、贅沢も許されるってモンだろ)

なんて自分勝手な理屈をこじつけて飲んでいたりする。吝嗇家のナミにバレたらさぞかし煩いだろうが、取り合えず今は気にしない。
 一人にやにやと飲み続けるゾロに半ば呆れ半ば薄気味の悪さを覚えつつ、ウソップは見張り台から体を引っ込める。下手に構い立てて抜刀でもされた日には溜まったもんではない。
 昼間好きなだけ寝てんだからちょっと位いいじゃねーかと思ったが、ウソップは賢明だったので勿論口には上らせないでおく。
 そしてまた心地よい静寂。

 しばらく飲み続けていたら、ガチャ、とラウンジのドアが音を立てた。

(もうそんな時間か)

出てきたのはもちろんムカつくクソコックである。
 どうやら今夜も不寝番に夜食を差し入れてやるつもりらしい。
 カップとポットを器用に指先に引っ掛けた手に、白布の下から何やら食欲をそそる匂いをさせた皿を載せて、呑気に鼻歌なんぞを歌いながらゆっくり歩いてくる。
 カツカツと軽快に靴音を響かせながら、マストの真下でピタリと足を止めた。

「オイ長ッパナ。スペシャルお夜食だぜ」
「おおサンキュー!これがあるから夜番は溜まんねェんだよなァ」

見張り台から大袈裟に手を振りながら喜びを表現するその姿に、

(さっきは替われっつってたじゃねェか)

心の中でツッコミを入れ、また一口酒を呷る。
 見るともなしにコックの痩身に目を遣ると、器用にポットと皿を持ったまま縄梯子を上っていく。自分が見張り番だった時はそんなまだるっこしいことはしなかったがな、とふとゾロは思った。

(飛んで来てんぞいつも)

それも助走ナシで。アイツはバケモンか?
 サンジに言わせれば、「じゃあ同じことが出来るテメェはどうなんだ」とでも言いたかったことだろう。
 マストの支柱に隠れて一旦見えなくなったコックはすぐに見張り台に現れ、恭しく大仰に皿に掛かった白いナプキンを取り去ると、ひょいとウソップの鼻先に突き出した。

「ほらよ、サンジ様特製お夜食・ウソップ仕様だ!」
(ばーん!)

自慢げに出す皿に、ウソップの視線が注がれる。
 小ぶりのバゲッドを縦半分に割った間に、レタスとピクルス、微塵切りのエシャロット。それをかなり大きめな腸詰が覆う。
 ケチャップとマスタード、ポテトフライの添えられた皿を眺め、大仰にバンザイしたウソップの鼻がヒクヒクと嬉しそうに動いた。

「今夜はホットドッグか!チープなもんにしちゃ美味そうだな〜」
「おうよクソ美味ェぞ?パンは焼き立て、腸詰は茹で立てってな。サッサと食え」
「おお!もしかして腸詰もお手製かよ!」
「たりめーだクソ野郎。ただの腸詰じゃねェぞ、俺がマル二晩掛けて処理したクソめんどくせェ代物だ」

ついでだから色々試してみた、これはハーブ入りだがプレーンなのもチーズ入りやサラミもあるからと喋り捲るその顔は、面倒どころか楽しくてしょうがなかったと言外に語っている。

「ホントお前が作るモンはいちいち手が凝ってるぜ!ありがてぇ〜」

うんうんと相槌を打ちながらさも美味そうにかぶりつくウソップを、サンジが目を細めて眺めた。
 昼間でも目立つ金色の頭と白い肌は、こんな夜半でも月明かりに照らされて―――闇の中では一層映える。
 対象には解らぬようにコッソリと至福とも言える表情で微笑むのを見逃すゾロではなかった。

(………の野郎)

俺にはそんなツラ死んでも向けねェくせに。
 まったくもってイイ気分がぶち壊しだぜとゾロは思い、何故かムカつく気持ちのまま又、ぐい、と杯を呷る。

「で、何でコレが俺仕様?」

モグモグと端っこを頬張りながらウソップが尋ねた。
 サンジはポットから湯気の立つ紅茶を注いでやりながら、

「?似てッだろーが」

アッサリと返した。

「………?」
「…ぶッ…!」

怪訝そうに首を傾げるウソップの替わりに、甲板で会話を聞いていたゾロが思わず酒を噴く。
 思いがけない場所から聞こえたその音に、サンジが見張り台から甲板を見下ろし、口元を二の腕で拭う剣士を発見した。

「ア?なんだマリモマン、そんなとこで何してやがる」
「…テメェいい加減その下らない駄洒落はやめろ」

声を掛けられて初めてゾロに気づいたらしいサンジに、憮然として言い返す。
 その表情にからかいの種を見つけたか、サンジがにやりと笑った。

「ハハ〜ン?盗み聞きたァイイ趣味してんなクソ剣豪」
「誰が盗み聞きだ!狭ェ船なんだからイヤでも声が聞こえんだよアホか」
「イヤなら聞くなっつーんだよ!」
「イヤでも聞こえるつってんだ!」
「っとにムカつく野郎だぜテメェは…」
「こっちの台詞だ」

互いの性格は水と油ほどにも合わないと自負する二人だが、沸点が低いのはどちらも同じであった。
 ほんの一瞬で火花を散らせる二人に挟まれたウソップは溜まったもんではない。

「あー…なァお前ら、皆寝てんだから喧嘩はやめとけ。な?」
「「まだヤってねェ!」」

早すぎるウソップの仲裁に、ゾロとサンジの大声がカブった。こんな所だけは息もバッチリである。

「ヤる気満々じゃねーか…」

二方向からギロリと睨みつけられ矛先を向けられて思わずビクビクとたじろぐウソップ。
ゾロはそれに、フン!と鼻息も荒く返してやった。
 それきり無視を決め込んで飲酒に没頭することにする。こんないい夜に、あんなアホを相手に時間を喰われるのは勿体無い。
 
「…ケッ…」

小さなサンジの呟きがゾロの耳に届いた。やはりやる気満々だったらしい。

(ワリーな、俺はテメェほどガキじゃねェんだ)

見張り台からガコッと景気のいい音がした。サンジが爪先で柵を蹴り上げた音だ。

(?まだいるのか。メシはもう渡したんだから、さっさと部屋に帰って寝ろ)

悪気無く、そう思うゾロ。実はこれでもコックを心配していたりする。

(大体テメェの睡眠時間は少なすぎんだよ)

睡眠どころか、ゾロはサンジがじっとしているところをほとんど見たことが無い。
 早朝から深夜まで、とにかく四六時中キッチンでごそごそしている。
かと思うと、着替えに入った男部屋で「こんな汚い部屋使えるか」と逆ギレして掃除をはじめ、貯蔵庫の検品も欠かさず行い(これは船長その他のツマミ食いチェックであるらしいのだが)、合間にナミやビビにおべっかを遣い、ルフィやチョッパーを甘やかし、ウソップと世間話をし、気持ちよく寝ているゾロを蹴り起こす。
  その後はお定まりの乱闘突入だ。一体いつ休んでいるのかと問いかけたくなる。
 それに。

(あんな細ェカラダで良く動けるもんだ)

それはまぁ、感心していることではあったのだが。
 戦闘状態にないG・M号ほど平和なものはない。そこでコックが活躍するのは、船の上では当たり前のことかもしれない。
 だがサンジは、自分と隣合わせで闘うことすらしてのける。

(実際ヤツの蹴りはハンパじゃねェし)

痛覚に鈍感で睡眠に貪欲な自分を一撃で起こすことが出来る人間はそうはいない。
 サンジとの立会いはすべからく面白い。仲間同士で何を、とルフィを除くクルーは呆れるが、しなやかな躰と強靭なバネから繰り出される攻撃は、予測不可能でワクワクする。止められる訳が無い。
 それに、何だかんだ言ってもコックであるサンジの作る飯は旨いのだ。悔しいことに。
サンジが乗船する前と今では、いろんな意味で充実していることは間違いない。ムカつくことまで倍化したが…。

 なんてコックについて色々と考えを巡らせていたら、見張り台から強い視線を感じた。
 顔を上げてみればまっすぐサンジがゾロを見ている。それも、何だかすごく人を憐れんだ表情で。

「…んだ?」
「…前からアホだとは思ってたが、とうとうホンモノになっちまったか…」
「アァ?」
「仏頂面かと思えばイキナリ犯罪者まるだしの凶悪なツラんなって、んでいつん間にかニヤニヤしてっし。テメェそれは危険すぎだろ人として」
「うるせぇッ!」

暗がりでサンジは気づかなかったが、ゾロは思わずちょっぴり赤面してしまった。
 ふと、そこにあるはずの狙撃手の姿がないことを訝しく思う。

「オイ、ウソップはどうした」
「当番変わってくれっつっから」
「あぁ?」
「ナントカ星ってのを作りかけなんだと。俺は仕込みも終わってっし」

親指を立て背中越しにラウンジを指す。明かりのついたそこでウソップはとっくに作業に入っているようだ。

「………」
「っつかテメェの目の前で梯子降りてんじゃねェか。気づけよウッカリ剣豪」

ゾロが一人色々考え込んでいる傍で、いつのまにかそういう話がついていたようだ。
 ウソップが立ち去る気配にも気がつかないとは、大剣豪を目指す男としてはちょっとばかり問題があるんじゃないのか、と一瞬悩んだが。
 そんなことよりも。

「なんでスナオに替わってやってんだ」
「?別に対したこッちゃねェだろ、次が今夜になったっつーだけで」
「…そうか?」
「そうだろ?」

そうなんだろうか。ならば何故自分はちょっぴりムカついたりしているのか。
 なにやらまたしても考え込む体勢のゾロに、サンジが呆れた口調で言う。

「当番替わるのは構わねェんだが、取り敢えず目障りだからテメーはもう寝ろ」
「んだとこの野郎?」
「マリモがんなトコロにいちゃあ、どっちが海だか解んなくなんだろ?テメェのミドリ頭は夜でも目立ってしょうがねェ」
「目立ってんのはテメェのひよこ頭じゃねーか」
「だッ…誰がひよこだァ!んな愛くるしいモンに喩えてんじゃねー気持ちワリィ!」
「や、愛くるしいとか云ってねェし」

そう云うとゾロは一升瓶をひっ掴むとそのままマストへと向かい、腰に差した三本刀をカチャカチャ言わせながら梯子をよじ登った。若草色の頭がぬっと見張り台に現れる。
 近づいてきた男に戦闘態勢を取りながらサンジが据わった声を出した。

「んだテメェ、やっぱやる気か…?」
「いや」
あ?とサンジが間抜けな顔で間抜けな声を出した。次いで、あからさまに残念そうな顔。
 どうやらこいつは喧嘩したくて堪らなかったらしいとゾロは心の中で溜息を落とした。
どこまで凶暴なのかこのコックは。

「当番なら俺が替わる」
「……んあ?」
「おめェはさっさとクソして寝ろクソコック」
「…イキナリ何だヨッパ剣豪」
「あれくらいで酔えるか。俺は元々朝まで飲むつもりだったから、丁度イイし」
「テメェには断られたって、長ッパナが」
「気が変わった」
「?ふーん」

まぁ俺ァどうでもいいけど、と拍子抜けした調子でサンジが言う。それに満足そうに頷くゾロを見、その殊勝な態度に首をかしげながらウソップに給仕した皿を片付け始める。
 皿やポットを手際良く重ねると、「じゃあ俺ァ寝るかなー」なんて聞こえよがしな独り言を残し、ひょいっと見張り台から飛び降りた。キッチンに向かうのは片付けのためだろう。
 一人になったゾロは、歩みに合わせてひょこひょこ動く金髪を横目で見下ろしながら、「やっぱりひよこじゃねーか」なんて思った。

(なんとかを作るのに、二晩掛けたとか言ってたな)

 普段のサンジなら、当番を替わるなどと告げても意地を張って言い返してくるだろうに、そうしないということは、それだけ疲労が溜まっているのかもしれない。

(さっさと寝ちまえ)

…気になってしょうがねぇ。

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