かかる月 3 |
3 一人になったゾロは、また空を見上げた。月は変わらずにぽっかり浮いている。 気を取り直して一升瓶を傾けると。 タン!と軽い音と共に、見張り台にもうひとつ月が昇った。 (なんだ!?) なんだも何も、見てのとおりのひよこ頭である。梯子を使わず一息でここまで跳んできた男は、いつも通り半目でゾロを睨みつけるようにしながら、湯気の上がる皿をゾロにずいっと差し出す。 「あ?」 目の前には、香ばしい腸詰と茹で野菜のマリネ。 ぽかーんと皿を眺めるゾロにサンジが呆気に取られつつ、 「ツマミ。酒だけじゃ胃が痛くなんだろ」 「テメェ寝んじゃなかったのかよ!」 「なんでテメェの指図に従わなきゃいけねーんだアホ」 言い捨てると、その場にドガッと腰を降ろした。 「一人で美味そうに飲んでんじゃねぇ」 図々しくも握る一升瓶に伸ばしてきた白い手を、ゾロは容赦なくベシッと払う。 「いつ飲もうと俺の勝手だっつか触んな!飲みたけりゃテメェで持ってきやがれ」 「イテェじゃねーか!コックの手をなんだと思ってやがる!」 「自業自得だ」 払われてほんの僅か赤くなった手の甲に、大袈裟にフーフーと息を吐きつつ、横目でちらりとゾロを見るサンジ。 「へーぇ…いいのか?」 「あ?」 「なぁ。…テメェが持ってるソレ、ナミさんのとっときだろ?」 「………」 ビンゴである。返事をしないゾロにニヤリと哂うと、 「黙っててやっから俺にも飲ませろ」 ポケットからちゃっかりMYカップを出し、問答無用でゾロの前に突き出してくる。 (ダメだこいつは。話にならん) 休息させてやりたいなどと思った自分がバカだったとゾロはくらくらした。 見た目以上に疲れていようともやはりサンジはサンジ。大人しくゾロの云うことを聞くような男ではないのだ。 ハァ、とゾロは思わず肩を落とす。 そんなゾロの内心の落胆には気づかず「さっさとヨコセ」とにじり寄るサンジの金糸が、ゾロの片膝にさらりと触れた。 その感触は、ゾロにある出来事を思い出させて。 「…テメェは飲むな」 「はぁ?何すっトボけたこと言いやがるクソマリモ。ナミさんにチクるぞ」 「いーから、俺の前では飲むな!」 「…アホかテメェ?」 何故だか赤い顔をして必死に一升瓶を隠そうとする剣士に、サンジは不可解なものを感じながらも、滅多に見ない動揺したその姿に、それ以上の要求が出来ずにいる。 ゾロの脳内は、以前盛大に酔っ払ったサンジからモノスゴイ有難迷惑なサービスを受け、その場の勢いでモノスゴイことをしそうになったイタイ経験から、「コックと二人きりで飲むのは絶対にヤバイ」とさかんに警戒信号を発している。 ガッチリ一升瓶を抱き込むゾロに、サンジが大仰に 「あーあー」 とひっくり返った。 夜空に浮かぶ満月を見上げながら、 「こんないい月夜だってのによォ。剣士はパーになるし酒は飲めねェしで、俺ってカワイソー」 「………」 つまらなそうに云うサンジに多少良心が咎めたが、返答のしようもないので放っておく。 見張り台に大の字で寝転がるその視線はまっすぐ月に向けられたままだ。男部屋に戻るつもりはないらしい。実は部屋に戻るのも億劫なほど疲れているのかもしれない。 どっちにしろ意地っ張りなのには間違いねぇと、偉そうにひっくり返ったままの男から目を逸らした。 どの位の時間、そうしていたろうか。 珍しく静かだったコックが、突然口を開いた。 「食ってるか」 「おう」 「テメェが喰ってるそれは、ただの腸詰じゃねェぞ。チョリソっつーんだ」 「おう」 「ちょいと辛いのがクセになる。スモークした分風味も増す」 「おう」 「って言っても、違いなんざわかんねぇだろーな」 「おう」 チ、と舌打ちをひとつ。 「俺はバカだ」 「おう」 ガゴン、とサンジの右足がゾロの脳天に命中した。 「…痛ェな何しやがる!」 「そこは否定するとこだ。…俺の料理を美味いとも有難くも思わねェクソ剣士のために、貴重な食材をムダにしたのがバカだ」 「………」 美味いとも有難いとも思ってはいたが、口に出すような間柄でもない。ゾロは黙って酒を呷った。 「おいクソマリモ」 「なんだクソコック」 「テメェそんなに月が好きか」 「あぁ」 「モノ欲しそうな、ガキみてェなツラしてるぜ?」 「だろうな」 取れるもんなら取りたいと答えると、ふーん、とつまらなそうに返事をした。 「月もいいけどよ、俺ァやっぱオヒサマの方が好きだね」 「脈絡ねぇなお前は」 「熱くて、眩しくて、強くて。誰にも負けない強さみェなモンがあるからな」 「まぁな」 「月ってのは、どうもこう…光が弱くて消えちまいそうだろ。儚くていけねェ」 「そうか?」 「夜毎小さくなってく月を一人で夜見んのは…俺ァもうゴメンだ」 「大きくもなんだろうが」 そうだっけか、とぼんやり答えるので、そうだろう、と返した。 「なぁ」 「おう」 「全部食えよ?」 「おう」 それからもボソボソと何事か呟いていたコックの声は、段々と細くなりいつの間にやらすーすーと寝息に替わった。 やれやれ、とゾロは肩を竦める。 男部屋に投げ込んでやろうと思ったが、面倒くさいのでやめた。 『俺ァオヒサマの方が好きだ』 『熱くて、眩しくて、強くて』 ふと。 ニッカリ笑う、すごい男を思い出した。今頃は男部屋で大鼾に違いない。 あいつを何かに喩えるとしたら、やはり太陽だろうとゾロは思う。 己も、ナミも、ウソップも、コックも、トナカイも。強引で豪快なルフィに引き寄せられるようにして、いつのまにか集まったクルーたち。 呆気なく寝こける男を見下ろし、ならば、こいつは?と自問する。 (―――似てるかも、しんねぇ) 己の前でころころと姿を変える男を、そう思う。 空にあるそれは見ているだけで落ち着くのに対し、こっちは見ているだけで苛々する。 けれどそのどちらも自分をどうにも惹きつける。 (あっちにゃァ手が届かないが、こっちには届くな) 無意識に、寝入ってしまった金髪にそっと手を差し込んでいた。 見た目硬質なそれは思ったよりもずっと柔らかく。 さらり、と流れるような感触が心地好い。 手に入れたい。このもう一つの月を。 (俺のもんにしてぇ、な) いや、する。 意味もわからぬまま唐突に自覚したゾロの行動は、自分でも驚くほどストレートだった。 閉じられた瞼の上、デカイ手の平をひらひらさせてサンジが覚醒しそうにもないことを確かめると、ゾロは僅かに開かれたその唇にゆっくりと口付けた。 以前のように、ただ目の前の餌に欲情しただけの暴力的な衝動はない。 くぅくぅ寝入るサンジが、ゾロの危険な決意に気づくはずもなく。 「覚悟しとけ」 夜空にかかるは満月。 ゾロの傍らにもそれはいた。 おわり |
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