20時からの恋人 2


2 サンジ


 おでん屋の朝は早い。
というかこのおでん屋、定休の日曜日以外、夜間は一切寝ないという生活をかれこれ1年続けている。
 午前0時きっかりに店じまいして屋台を片付け終わるのが、2時。近場の朝市が始まるのは5時ジャストだから、それまではコンビニの立ち読みで時間を潰したり、たまに残り物があるときは駅でヒッピーのおっちゃん達に配ったりして過ごす。
 生鮮市場で食材をしこたま仕入れたらアパートに戻って、一人で簡単な食事を取って。
 それからおでんの仕込み。大鍋のストックに出汁を追加したら、味が染みるのに時間のかかるものだけぶちこんで昼までとろ火でじっくり煮込む。
 煮込む間に軽くタネの下ごしらえをして、終わったら外で仕入れた新しいレシピにチャレンジ。屋台では出せないメニューの料理を作ってみたりする。
 料理には自信があるが、こうも毎日に同じものを作っていては流石に腕が鈍るのでは、との杞憂もある。場末のおでん屋でありながら、人並み以上にプライドの高い料理人は常に自己研鑽を怠らないものらしい。
 出来上がった料理はそのまま昼食へ。満足するものはその日の突き出しとしてアレンジ出来ないか考えて。その頃には鍋の具材には火が通っているので火を止めて、キレイサッパリ入浴タイム。
 おでんに味を馴染ませるため寝かせる間に、自分も寝る。

おでん屋の名はサンジという。





(やべえな)

目の前に並べられた領収書とレシートの束を睨みながら、サンジはううむ、と唸った。

(どー考えてもワリがあわねー。つか、大損だ)

材料費と月の売り上げが、それはもうあまりにも近すぎる。
 きちんと乾かさずに寝たお陰で幾分かさついてしまった金糸を乱雑に掻きあげながら、もう一度、と電卓をはじいて。
 しかし何度計算しても収益が上がるわけもなく。
家計簿兼売り上げ台帳は、ものの見事に真っ赤に染まっている。

(…単価上げっか。でも今のラインはキープしてえ…)

チェックのための赤ペンをくるくる廻して考え込む。
 おでん一種につき、80ベリーから100ベリー。気軽に飲める安酒に、後は客の好みや腹具合に合わせて作る料理。ある種の意地でもってそれらを原価ギリギリで出しているサンジなので、いかに店が繁盛しようとも高が知れている。
 腕には自信がある。値段以上の品を出している自負もある。
だが親父が気軽に飲み食いもできないような屋台では、自分がはじめた意味が無い。
 がり、とペンの尻を齧った。





 ふとしたいきさつで以前の職場をクビになり、どれだけ美味いものが作れても、結局は雇われコックでしかない自分の立場と店での人間関係にうんざりして。
 ならばいっそオーナーになってやると、なんの当ても無く始めた屋台稼業。
いつでもツブシが利くからと軽い気持ちで臨んだが、1年以上続けていたらそれなりに愛着が湧くもんだ、とサンジは思う。

 何よりも、厨房でただ闇雲に料理をしていたときとは違い、直接食べる客の顔を見ながら作れるのが溜まらない。

 こんなサンジのおでん屋は、本人の知らないところでは既に『隠れた名店』として、通の間では噂になっていたりもする。
 屋台に行列が出来る事を恐れた彼らが一様に固く口を閉ざしてしまうお陰で、客層が荒れることもなく、おかげさまでノンビリ商売を続けていられるのだが。
 夏場は焼き鳥冬はおでん、たとえ雨でも客が途切れることはなし。
充分成功した屋台といえるだろうが、サンジ生来のヒトの良さが災いし、ついつい掛売りに応じてしまう。
 これがこと月末、家計に響く。
ぐつぐつ煮えるおでん鍋、湯気のむこうに見える金はないけど気持ちのいい馴染みの酔客たち。その半数以上がツケで飲み食いしているのだから、アガリがなくて当然だ。

(まァ、常連があるだけでも有難ェんだけどな。―――マトモに毎晩金払うっつったら)

あいつくらいのもんだ。
 テーブルにコロリと赤ペンを転がして、今日もサンジは指定席に陣取る男の姿を思い浮かべた。






サンジが思い出す人間は、年齢は多分、30前後。客として出入りするようになって三ヶ月になるが、いまだ名前も知らない男だ。
 武道の心得でもあるのかなんだか隙のないがっしりとした体躯、そして眼の覚めるような緑色の短髪。キリっとした精悍な顔立ちで、かなりな男前…だとサンジは思う。なのに勿体無いことに、そりゃもう通りすがりのコドモが泣き出しそうなホド目つきが悪い。

(−−−あいつ、昨日もちゃんと来た)

初めて会った日から、毎晩決まった時間に訪れる不思議な客。
 昨夜も息を弾ませて屋台に飛び込んできた男を思い出すと、カラ財布を嘆いてぐぐっと中央に寄せられていた眉も自然に緩んだ。





男がサンジの店を訪ねてきた最初の晩。
 おでん屋ははじめ、ただの冷やかしだと思ったのだ。
店仕舞いしようと下ろしかけた暖簾をいきなりがしっと掴まれ、なんだ?と振り返ってみたら、ハァハァと息も荒い若い男がひとり。
 すわ強盗かという位の凶悪な目つきで、目の前の(、、、、)駅までの道筋を訊かれたのには物凄く驚いた。
 因みにサンジの屋台は開店して今に至るまでの1年間、前後左右1メートルたりとも移動していない。
目の前も目の前、改札からわずか徒歩3分の場所にあるのだ。
 ここで商売を始めてからこっち、出来すぎた容姿と口の悪さが災いしたか、チンピラ筋者酔っ払い、大小取り揃え絡まれ慣れたサンジである。

 いつもの如く、相手は屋台を牽くには若すぎる自分を揶揄っているのだとスナオに理解して。

 テメェの眼は節穴か正面に見えるのが駅でなくてドコだってんだと啖呵を切ったら、「あ?」とそれはもう不思議な顔をして緑頭を傾げた。
 突如男はハッとして暖簾から首を引っ込め、「おーおーおー」と何だか満足げに頷いている。目当ての"駅"を発見出来たらしい。
 その様子があまりにも自然だったので、まさか本気だったのかと呆気に取られつつ聞いてみれば。

『寝過ごしてひとつ先の駅で降りちまって…そこからここまで歩いて来たんだが』

線路沿いに歩けば半時足らずで着くところを、どこをどう道を外したか、なんと4時間かけて歩いて来たらしい。
 そりゃまたなんちゅう方向音痴だと思わず口に出したら、「うるせえ」と言い返す男の腹の虫がぐう、と鳴いた。
夕飯を喰っていないのかと聞けば、そうだと言う。
 時刻は既に0時を廻っており、辺りに開いている店もない。
しょうがねぇからなんか食わせてやると言えば、サンジが思わず吹き出すほど嬉しそうな顔になった。
 そのくせぶんぶん首を振り、

『そりゃいけねえ。あんたもう店仕舞いだろ。邪魔して、スミマセンでした』

なんて殊勝なことを言って立ち去ろうとする。
 サンジは咄嗟にその太い腕を掴んだ。

『あぁ。だから残りモンの始末に困ってんだ』

男の態度が気に入ったので、サンジは半ば押し切るようにして食事を勧めた。腹が減った人間を放り出すなど、料理人がしていいわけがない。
 普段客を座らせるベンチはもう畳んだあとだったので、自分用の小さな丸椅子をカウンターの端に置いた。
躊躇いがちにようやく腰掛けた男の前に、さっさとおでんを並べてやる。幸い火を落としたばかりだったので、まだまだ十分に暖かい。

『いーから喰えよ。そんかし、俺のおでんは病みつきになるぜ?明日からアンタは常連決定だ』

ニヤリとサンジが嘯くと、男はなんだか驚いた顔をした。
 ひどく慌てて、今の今まで遠慮してたのが嘘のような勢いでがむしゃらに食べ始める。その喰いっぷりがあまりにも見事だったので、おかわりついでに白飯やら、即席の野菜炒めやらを出してやり。
 男は無言のまま、次々追加してやった皿をどんどん空にしていって、とうとう全部の食材を喰い尽くした。
そうして咥え煙草で見守っていたサンジに向かい、

『すげえ旨かった』

たったひとことの感想と、満足そうなその笑顔。

(うわ)

その瞬間、サンジの中で何かがはじけて。
 もしもこの世にヒトメボレというものがあるのなら、ヒトコトボレっつーのがあってもおかしくねぇよな、なんて思ってしまった。





 相手はそんなことがあったことすら覚えちゃいないだろうけど、サンジの中にはその夜は強烈な印象として残っている。
 毎日まいにち、不意にこうして思い出してしまうくらいに。





 サンジの作る料理を口にする男が見せるあの笑顔。
それを見るためなら、多少家計がキツくても我慢するしかない。
 そう家計、と考えて。
再びサンジの顔が暗くなった。

「家賃貯めんのもそろそろ潮時だよなあ。ええと、10、11、…げ、三ヶ月滞納?」

(流石に払わねェと、いー加減追い出されちまうよなー)

そりゃもうサッパリ払える金などないのだが。

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 (2003.03.21)

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