20時からの恋人 3 |
3 距離 ゾロがそれを見かけたのは、ほんの偶然だ。 現場へ向う途中たまたま通りがかった交差点、視界の端におさまった金色に気を引かれて目を遣った先に、見覚えのある痩身が佇んでいた。 (−−−おでん屋?) いつものラフな格好ではなく珍しくもスーツ姿で、歩道の隅っこで煙草を燻らせながらあたりを見回している。視力が弱いという様子もなかったし、今掛けている黒縁の眼鏡は恐らく伊達なんだろう。 まぁそれはともかく。 (珍しいな) こんな時間に、あんな格好で。 それでもラッキーな偶然だと嬉しくなり発作的に声を掛けようとして、ふとゾロは考えた。 (何て呼べばいいんだ。−−−おでん屋、じゃマズイよな) 普段のガラが悪く愛想のいい兄ちゃん然としたおでん屋と、せまい車道を挟んだ向こう側にいる男ではかなりな開きがある。 細身の黒ダブルとカラーのインナーに黒いネクタイ。軽そうなアイボリーのコートを手に掛けた若い男。 間違えようもない金髪とグルグル眉毛がなかったら、ゾロだってそれが彼だと解ったがどうか疑わしい。 ことファッションや流行というものに一切興味のないゾロはその姿を見ても、 (かろうじて喪服にゃ見えねぇな) ぐらいの感慨しか抱いていないが、きっちり身についた黒衣は豪奢な金髪をことさら引き立たせて、均整の取れたスレンダーな肢体とあいまって周囲の視線を集めまくっている。 あんな男を『おでん屋』呼ばわりしては流石に顰蹙だろう。 人ごみに隠れるようにして見つめているうち、なんだかゾロは不愉快になってきた。 (………) なんだお前、似合わないカッコしやがって、と冗談交じりにでも話し掛ければ良かったのだが、普段とのギャップがありすぎてなんだか気が引けたのかそれが出来ない。 そして声を掛けにくい理由がもうひとつ。 何か嫌なことでもあったのか、眼鏡の奥から覗くおでん屋の目つきが、只事でなく悪い。 それはもう喧嘩を売っているとしか思えないほどの迫力なのだ。 ここがもし赤暖簾のあの店だったら。 カウンターの向こう、おでん屋はいつもニコニコ、それはもう嬉しそうに客たちを見つめている。 それが今は、隠すことのない殺気を撒き散らしながら周りを睨みつけ、意味もなく牽制しまくっているのだからゾロが戸惑うのも無理はない。 (なんだってあんな顔してんだ。いつもはもっと) いつも、と考えて。 ゾロは屋台以外であの男を見るのは、これが初めてなのだと気が付いた。 (そういや、俺はあいつのことなんざ何一つ知らねぇ) なんだかもやもやと面白くない気持ちを抱えたところでおでん屋が動いた。片手を挙げて、視線の先にいる誰かに合図を送っている。 どうやら待ち合わせだったらしい、とはゾロにも解った。 おでん屋がそれはもう嬉しそうに破顔したからだ。 ほどなくしておでん屋に近づいてきたのは小柄な女性で、二言三言親しげに口を利いたかと思うと、ひとつ先の通りを指で示しておでん屋を促した。 女の指示に軽く頷くと、黒服の男は慣れた手付きで恭しく女性のバッグを受け取る。さりげなく車道側に回り込み、並んでゆっくり歩き出した。 先ほどまでの目つきの悪さが信じられない、紳士然としたその態度。 (−−−ありゃあ) もしかしなくともカノジョ、とかいうヤツだろうか。 立ち尽くすゾロの拳がぎゅっと握られた。 オレンジ色のショートカットの女性は、ゾロの好みからはハズれるものの(何せゾロはすっかりおでん屋限定なのだ)、勝気そうなはっきりした顔立ちで、『かなり美人』の部類に入るだろう。 この寒空にミニスカートから惜しげもなく晒した足はすらりと細く、出るとこは出ていてプロポーションも申し分ない。 並び立つサンジはと言えば、これまたいかにも女受けしそうなルックスである。 そんな二人が連れ立って歩く姿は、どこからどうみてもお似合いで。 スクリーンから抜け出してきたような見事なカップルだった。 車道の向こう側から食い入るように見つめるゾロに気づく気配もなく、二人は狭い路地を曲がる。 おでん屋の後姿がだんだんと小さくなり、とうとうその姿が見えなくなっても、ゾロは路地の奥から目が離せない。 「………」 「ロロノアさん、どうかしたんですか?」 「………ん?」 ぼんやりとおでん屋の後姿を見送っていたら、同行していたコビーから声を掛けられた。 そういえば俺は現場に行く途中だったんだ、と今更ながらゾロは気づく。 何故だか妙に胡乱な目つきで自分を見上げる後輩に、 「…悪ィ。知り合いの姿が見えたもんだから」 「あ、そうなんですか!」 理由を話すと、途端にコビーはちょっと赤い顔をしてすみません、と詫びてきた。 「?ぼんやりしてたのは俺の方だろう」 「いえ、えーとあの僕、ヘンな誤解しちゃって」 「誤解?」 なんの事だ、と本人にはその自覚はないものの普段どおり恐ろしい顔で詰め寄るゾロに、云いにくそうにコビーはおでん屋が消えた路地を指差した。 「ロロノアさんが見てるあそこ、そっち専門の通りなんですよ」 「…そっち?」 「えーと、ホモ?じゃなくて、ゲイストリートって云うんですか。その手の店が集まってるとこで」 「ホ」 そういったきりあんぐりと口を開けるゾロに、少々耳年増なきらいのあるコビーは猶も続ける。 「いわゆるゲイバーがあったりとか」 「ゲ」 「昔だったらハッテン場ていうんですかねえ…」 「ハ」 「同じ趣味の人間が集まって、相手を探したりするみたいです」 「……探す…」 「えへへ、てっきりロロノアさんもそうなのかと思っちゃいましたよう」 (あいつが?あのおでん屋がホモで、昼間っから相手を探しにゲイバーへだと?) とてもそうは見えなかったが、ではおでん屋と共に去ったあの女、アレはもしやニューハーフとかいうヤツなのだろうか。 ゾロの頭の中で、コビーの台詞と先程見たおでん屋と女がぐるぐると回転した。誤魔化すようにへらへら笑うコビーの顔が、ぐにゃりと歪んで見え。 「…んなワケあるかよ!」 いきなり凄い形相で激昂したゾロに驚いて、哀れなコビーは思わずその場にぺたんと尻餅を付いた。 「ロ、ロロノア、さん…?」 その声にハッとして、ゾロは無駄に脅してしまった後輩に頭を下げた。 「―――悪ィ」 「いえ、僕のほうこそ。ヘンな疑いかけちゃったみたいで、すみませんでした!」 慌てて詫びる彼の言葉など、色んな想像で頭をグルグルさせたまんまのゾロの耳には全く入っていなかった。 おでん屋が消えた場所までは、たった100メートル足らず。 それがものすごく遠い。 さてその頃おでん屋は。 路地の一角にある古ぼけたビルの中で、待ち合わせた女性とのんびりエレベーターを待っていた。 「こりゃまたスゲェとこだなァナミさん」 壁一面にべたべた貼られた風俗系のチラシ、その合間を縫うように埋め尽くされた下品な落書きを面白そうに眺めながら、サンジが漏らす。 「そう?慣れたらたいしたことないわ。ここより安いとこ他にないし」 「幾ら安いったって、危なくねェ?」 気遣わしげに眉根を寄せる青年に、ナミがあははと手を振った。 「それがねえ、これ以上ないくらい安全なのよ。ここらへん一帯ホモの巣窟でさ。こんな美人が歩いてたって、声も掛けてきやしないわよ」 むしろ危ないのはサンジ君の方、とナミが指差すと、サンジはうへえと舌を出した。 「どーりでやたら男共がジロジロ見やがると思ったぜ…ナミさん、なんつートコに俺を呼び出すのさ〜」 情けない声を出すサンジに、ナミは平然と言い放つ。 「面白いかと思って」 「…そんなナミさんも、ステキだ……」 おんなのこだいすき、な友人がそれでもかなりへたれた顔で笑う。 そんなサンジにナミはアレ?と微かな違和感を覚えた。 「…ねぇサンジ君、ちょっと思ったんだけど」 「なんです、ナミさん?」 「さっき一人でいたときのさぁ、あの目つき。どうしちゃったのかと思ったわよ?」 「あー、ハハ、アブナイ人ッポかった?」 「男避けってのは解るけど、あれじゃサンジ君のだーい好きな女の子だって、寄ってこれなくなっちゃうと思うけど」 いいの?と言外に聞いてくる友人に、サンジは困ったように薄く微笑んだ。 「や、なんかもう今はそれどころじゃなくって…」 それに何を感じ取ったのか、ははーあ、とナミは人の悪い笑みを浮かべる。 「イイ人が、出来たんだ?」 「ナナナナミさんッ!?」 「照れない照れない。良かったじゃない、サンジ君にもとうとう春かー」 「違いますって!俺ァただ、生活が苦しくって精一杯だって意味で」 「あら、私に言い訳するの?」 う、とサンジが言葉に詰まった。微かに赤面する友人をナミは面白いものを見るように眺める。 「まぁいいわ。そういうことにしといてあげる」 ナミの言葉と共にチン、と軽い音がしてエレベーターのドアが開いた。 先導して乗り込むナミに従い狭い箱に乗り込むと、余程空気が悪いのか埃っぽいすえた臭いがサンジの鼻を衝く。 思わず顔を顰めそうになるのをぐっと堪えつつ、 「でもサンジ君、ホントに大丈夫なの?結構ハードよノルマ」 こちらは異臭にも慣れたものなのか、平気な顔で聞いてくるのに苦笑いで答えた。 「作業自体は打ち込みだけだけど…夜はお店、続けるんでしょ?寝る時間なくなっちゃわないかな」 「や、俺がお願いしたことだし。それに家で出来るんなら、仕込みしながらでも出来るだろ?」 「それもそうか。あ、ノーパのレンタル料は、給料天引きしてあげるからね」 「レンタル料、取るんだ…」 目指すナミの職場へと向かいながら、(大丈夫かオイ)とちょっとだけ思った。 (そろそろだな) 屋台に据え付けた安物の壁掛け時計にちらりと目を遣って、サンジはサイドテーブル代わりにしていた丸イスから野菜籠をそっと降ろした。 午後7時58分ジャスト。 イスに残った水滴を布巾でさっと拭き取ると、さりげなく屋台の右脇に並べる。 そうして先客の相手をしながら、8時きっかりに現れる常連を待った。いつものように息を切らして駆け込む男を想像すると、思わず頬が緩むおでん屋である。 ところが。 (…あれ?) 駅から零れる人波が落ち着いても、10分経ち、30分が過ぎても、いつもならとっくに現れる筈の緑頭が暖簾をくぐってこない。 (んだ、まさか風邪でも引きやがったのかクソマリモめ。だらしねェ) 勝手にそう結論付け、苛々とおでん鍋に菜箸を突っ込んだところでカウンターの客から熱燗の注文が入った。 毎度〜!、とカラ元気で答えながら銚子に酒を注ぎ込む。 (―――明日来たら、何か精のつくモンでも喰わせてやるか) そう心に決めると、なんだか少し楽になった。気持ちを切り替えて接客に集中する。 「兄ちゃん、あとタマゴとガンモ」 「あいよッ」 「ココ空いてる?」 暖簾を上げて入ってきた新顔の視線の先には、いつもならゾロが座っているはずの丸イスがひとつ、ぽつんと置かれている。 躊躇いつつ、答えた。 「あ―――、…すんません、そっち予約席なもんで」 「こっち詰めたらもう一人くらい入れるぞお」 ベンチ席の常連の気遣いに、もういちど「すいません」と頭を下げる。幸い新たな客も気を悪くすることもなく、大人しく空けられた場所に腰掛けておでん鍋を物色し始めたのに安心しつつ、 (何やってんだろ俺) お絞りと突き出しを用意しながら、バカなことをしてしまったとサンジは後悔した。 もう今夜はあいつが来ることもないだろうと思っていたのに。 けれど、その席に座っていいのはあの男だけなのだ。 そんなおでん屋の心も知らず。 それ以来ぱったりと、ゾロがおでん屋を訪れることはなくなった。 |
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(2003.04.04) |
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