20時からの恋人 5


5 ストレッサー


「ああもうロロノアさん!必要以上に動いたらダメだって言ったじゃないですかあ!」

信じられないスピードで先週個室から大部屋へ移されたばかりのゾロは、今日も担当看護婦に盛大に怒られていた。

「…煩ェな、周りの迷惑だろ」
「迷惑なのはこっちの方です!どうしてじっとしててくれないんですかッ」

両手を腰に当てて偉そうにハキハキ命令する眼鏡の看護婦を、隠しそこなった鉄アレイを握るゾロが煩わしそうに睨む。

「寝てるだけじゃ体がナマっちまうんだよ。腕はもうギプスが取れたんだからいーだろ」
「そういう問題じゃありません!リハビリは計画的にやってもらわないと困るんです。その鉄アレイ、6キロって書いてあるじゃないですかッ!普通はもっとゆっくり重さを上げていくんです。っていうか、ホントならまだ指の曲げ伸ばし段階なんですよッ」
「俺にはこれくらいが丁度イイんだ」
「かかか勝手なこと言わないでください!」

きゃんきゃんわめく看護婦の名は、たしぎと言うらしい。
 彼女を無視したままゾロは両手に持った鉄アレイを交互に肩まで持ち上げはじめた。かろうじて繋がったばかりの骨は、ホントはちょっと動かすだけでも芯からギシギシ痛むが、手っ取り早く元の状態に戻すにはさんざん痛めつけるしかないと解っている。
 感覚もない足の牽引が終わるまでに、両腕を使い物にするのが現在のゾロの目標だ。
額に脂汗を浮かべながら無茶を続ける患者に、使命感に燃える看護婦が噛み付いた。

「ちょっと、私が新米だからって馬鹿にしてるんですか!くれは先生に言いつけますよッ、ロロノアさんがまた無茶なことしてるって」
「アンタ小学生かよ。いいからほっといてくれつってんだ、俺ァ早く退院してェんだよ!」

元々マイペースで飄々としたところのあるゾロだが、しつこく食い下がるたしぎには流石にキレてしまうことが多い。
どんなにあしらっても果敢に向かってくるこの看護婦がうざったくてしょうがないのだ。

「な、なんですかその言い方!退院したかったらちゃんと」
「アンタらのやり方じゃまだるっこしくていけねェんだ。てめぇの体のことはてめぇが一番良く解ってる」
「マニュアルに従って貰わないと私が困るんです!」

とうとうこの日もお互い廊下にまで響く大声での言い争いとなった。







 どうもこの女とは相性が合わない。
ゾロはチッと舌打ちしてギロリと看護婦を睨み付けた。

(アンタと喧嘩してる時間だって惜しいんだよ)

 思えば青年がICUで意識を回復した際あっさりベッドから転落したのは、この担当者が患者の見守りを怠ったためらしい。
 まさか動けるとは思っていなかったというのが病院側の弁だが、それにしたって患者ほったらかしで新しく入荷した医療器具に夢中だったというのはどうかと思う。
 医療器具オタクだというこの看護婦、それだけでもちょっとアレじゃねぇかとゾロは思うのだが、加えてかなり度を越したうっかり者なのである。
 ゾロの点滴を取り替える際にチューブをつなぎ忘れること数回、医療用ワゴンに足を引っ掛けて転ぶこと数回、血管に注射針を刺し損ねること数十回、とにかく迷惑極まりないおた○こナースなのだ。
 一日も早く退院してどこぞのおでん屋に駆け込みたいゾロとしては、もうちょっとマシな看護人を希望したいところなのだが、なんとおかしなところで度胸のある(ある意味熱心な)たしぎ以外、誰もゾロの担当になりたがらなかったのだという。
 瀕死の重症からたった二ヶ月でケロリとした顔をしているゾロは、病人慣れした看護婦にもかなり不気味に映っているらしい。既にナースセンターでは「和製ター○ネーター」の異名を頂戴しているらしいがそれはゾロの与り知らぬこと。

「毎日飽きないねぇあの二人は」
「まー仲がイイってことなんだろーなあ」

しかし実のところ、このやたら元気な重症患者とウッカリ者の看護婦との応酬は、退屈な病院生活の数少ない刺激物として一部でケッコウ好意的に受け止められていた。
 当初は迷惑を被っていた相部屋の患者たちも、連日繰り返されるこのやり取りにすっかり慣れ、今では面白がって傍観する始末である。
 本人達は決して仲良くも楽しんでいるわけでもないのだが。







 さてこの日、奇しくもゾロと同じ病院を一人の男が訪れていた。
奥方の忠告を無視して深酒し続けた結果とうとう検査入院する羽目になったその男は、検査までの長い時間潰しに院内をうろつきまわることにする。
 そして通りすがりの居室から洩れる派手な言い争いに興味を引かれ、騒音の元であるその部屋を覗き込んで目を丸くした。
 威勢のいいナースとベッド上で口論する、青筋立てた包帯まみれの緑髪に見覚えがあったのだ。

「…ありゃあ、ミドリアタマの兄ちゃんじゃねぇか。見かけねェと思ったら怪我してたんだなァー」

足繁く通う屋台での顔馴染みを意外な場所で発見した男は、ふんふんと合点の言った顔で頷きつつ、最近とみに元気のない店主との話のネタにでもしようと考えた。








 同じ頃。
今週末までとの指定でナミから手渡された書類の束を見て、サンジはうげッと唸った。心の中で。
 厚み1センチはあろうかというそれには、すっかり見慣れた入力待ちのデータがずらり並んでいる。
所謂ブラインドタッチでキーボードを叩ける程度の腕前を誇るサンジだが、流石にこの量の打ち込みを短期間でこなすとなると分が悪い。
 しかし誰にでも出来る仕事をわざわざ自分にマワして貰っている以上、中途半端な事は出来ない。この仕事を自分に与えてくれたのが、大事な大事な麗しいレディであるなら尚更だ。

「打てそう?無理なら他をあたるけど…」
「や、大丈夫。他ならぬナミさんからのお仕事、俺が他に流せるワケないじゃ〜ん」
「そうよね。サンジ君なら大丈夫か」

ワザとらしいほどにニッコリ微笑まれても、弱弱しく微笑み返すしかないサンジである。

 金策に困ったおでん屋が最終手段として頼ったのが、今サンジの目の前で微笑む美女―――大学時代の後輩兼友人、ナミだ。
 ひとつ年下のやり手経営者である彼女なら、不況かつ就職難の昨今でもパートの一つは紹介してくれるのではと見込んでの相談に、ナミはふたつ返事で仕事を斡旋してくれた。
 それが今サンジが請け負っているデータ入力。商品名と品番価格数量、アルファベットと数字の羅列で構成されたそれを、ひたすらノートパソコンに落とし込むルーティンワーク。
 単調で気の遠くなる作業だが、自宅でおでんの仕込みをしながら出来る上、時間的に拘束されないのが何より有難い。
 雀の涙に近いお手当てでもこなせばこなすほど金になるというのだから、今のサンジにはもってこいのサイドビジネスである。

 在学当初から人目を惹くルックスで、常に株やネットビジネスで荒稼ぎしているという噂が付きまとっていたナミ。
自他共に認める女好きであったサンジが何度アプローチしてもすげなくかわされる緊張感が堪らなくて、それはもう大学時代は下僕のように尽くしたものだ。
 いつのまにか色恋とは無縁の友人関係に落ち着きはしたが、キレイで強い彼女はいまだにサンジには女神にも等しい存在なのである。

「ねぇ」

女神は早速書類の枚数を確認するサンジの様子を見守りつつ、

「私が言うことじゃないかもしれないけど」
「何?ナミさん」
「サンジ君にならさあ、もっと実入りのイイ仕事紹介出来るんだけどな」
「おミズ?あーダメだよ夜の仕事は。俺おでん屋があるし」
「違うわよ。サンジ君みたいにイミもなく女の子に尽くしちゃうタイプは、ホストには向かないもの。―――またレストランで働く気はないの?」

子供を諭すように声を掛けた。
 プリントを数える細い指の動きが止まり、青年は気持ちだけちょこんと生えた顎髭を弄りながらうーん、と目を泳がせる。

「勿体無いわよその腕。いつか自分の店を持ちたいって言ってたじゃない。無理して屋台牽くより名店の下働きにでもなった方が、余程纏まったお金になるわ」
「ナミさん、俺ァ」
「イイお店があるの、ちょっと遠いけど、いまどき住み込みでも大丈夫なトコ」

返答に詰まるサンジに駄目押しとばかりにもう一度微笑んでみせ、さて、とナミはゆっくり事務所のドアを開けた。

「考えてみて。返事は急がないし」
「―――ありがとう」

頭ひとつ分低い位置からはサンジを見上げるナミだけれど、その瞳は本当に強くて、いつも青年を揺らがせる。
 サンジは促されるままドアを潜り、おざなりに別れの言葉を述べてビルを出た。
どんより立ち込める冬雲。見上げるそれは彼の心情をそのまま顕しているようで気に障る。

(レストラン、ねェ)

ナミから勧められた話を、サンジとて考えなかったわけではない。
 普段誰に対してもクールなナミがしきりに転職を勧めてくれるのは、そんなサンジの迷いに気がついて心配してくれているからこそだ。それがわかるから彼女の申し出をキッパリ断ることができない。
 日曜以外、天気に拘わらず昼夜逆転で続けている屋台家業。売り上げだけで足りない収入を補うため、こうしてバイトを入れるようになってもう二ヶ月を数える。
 好きで始めたことなれど、そろそろ潮時か、と思うことも多くなった。

 今まで。
自分の作る料理はステイタスや享楽のためにあるのではなくて、ただおいしいと感じてもらえればそれでいい、生活のために自分のスタイルを変えるのなんて真っ平だと、サンジはずっと思っていたけれど。
 実際の問題として金を貯めるどころか、もうしばらくこの状態が続けばマチ金のお世話になるしかないのも確かなのだ。
 屋台の仕事は今も変わらず面白いが、それがボランティアではどうしようもない。そして少しの自由と引き換えに雇われコックにでもなれば、売り上げに悩む必要もなくなり、毎月決まった額だって手に入るだろう。
 店の人間関係がどうとか、プライドがどうとか。そんな偉そうなことを云う余裕は今のサンジにはないのだ。





 自分はただの料理人だ。
料理をして、代価として金を貰う。それだけでいいのではないか。
おでん屋に拘らずとも、料理をする場所さえあればいい。
どこでだって料理さえ出来ればいい―――。





 けれど、もう少しだけ。

(バカみてぇでも)

ギリギリまで、今のまま続けていたいと思ってしまう。
 ゆっくり最寄駅に向かいながらサンジは密かに溜息を落とした。
このまま続けたいと思うのも、いっそ逃げ出したいと思うのも、どちらも自分。踏ん切りがつかないのは、ヒトのせいにしたい訳ではないけれど―――どう考えてもあの男のせいだ。
 あいつが来ないから店を開けるのが辛い。でも店を閉めたら多分もう二度と会えない。

(俺ァ、弱くなった)

毎日欠かさず来る男は自分の腕への自信になっていた。それが姿を見せなくなった途端、こんなに足元がぐらつくなんて。…こんな情けない自分は嫌だ、とサンジは眉を顰める。
 最近どーも胃が痛くてしょうがないおでん屋は、これがヒトサマの言うストレスってヤツかーと、自嘲気味に唇の端を上げた。

  「生活に潤いがねェのがいけねーやな、うん」

潤いがあの仏頂面だなんて、ヒトが聞いたら笑うだろうが。
 いつでも堂々巡りに終わるしかない思考を断ち切るために、サンジは金髪をぶんぶん左右に振る。





…じき屋台を開ける時間だ。




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 (2003.05.27)

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