20時からの恋人 6 |
6 箸渡し ロロノア・ゾロの自宅は会社から電車で乗り換え無し20分で行けるかなり解りやすい場所にある。 右隣にはコンビニ、左隣には小さな公園、最寄り駅は目と鼻の先。大通りからちょっと中に入っただけの場所にどかんと建つそこは、都内に系列ビルを建てまくるオーナーの税金対策兼仕事場として建設された、完璧な立地条件を誇る分譲マンションである。 見た目どおり体育会系でストレートに云ってしまえば住まいなどには無頓着ぽいゾロとはいまいちかみ合わない上に、彼の収入から考えてもちょっとばかり不釣合いな印象を受けるそこに彼が住むようになったのは入社して三年目の春のこと。 現場監督として入っていた物件でオーナーと知り合い、それはもう気に入られまくったゾロは、このマンションの一部屋を破格の値段で買い取ることが出来たのだ。 当初この申し出を頑なに固辞していたゾロだったが、ご立派ながら実情はヤクザの組事務所がその半分を占有するマンションに一般人が住み着ける訳もなく、また建築業界に不景気の風が吹きまくる昨今である。 お得意様である施主の機嫌を損ねたくない会社の思惑とが絡み合い、義理と人情の板ばさみ状態で考えるのも断るのもめんどくさくなったゾロは「まーどーでもいいか」と結局住宅ローンを組んで購入することにした。 (この場所なら遅刻することもねェだろうし) 無口で一見無愛想ながら、現場の折衝においてはかなり有能な社員であると周囲から高い評価を得ていたゾロであるが、強面なその容姿にはなんとも不似合いなある欠点がある。 極度の方向音痴なのだ。 そのマンションから、小走りに飛び出した小柄な男がひとり。 背中にかるった黒い大きな筒状のケースに入ってるのは、春から取り掛かる予定の現場資料だ。入院前ゾロが自宅に持ち帰っていた図面に設計ミスが見つかり、至急訂正分と以前の図面を照らし合わせる必要があったため、急遽合鍵を預かっって上司の自宅まで足を伸ばすことになったコビーである。 (遅くなったけど、間に合うかなあ) ちらりとコビーは腕時計に目を遣った。 ゾロが入院する病院の面会時間は午後八時まで。 只今時刻は7時20分、この分では今日は顔出しだけで終わってしまいそうだとコビーは頭の後ろを掻いた。 (…長居してもお邪魔になるだけだろうから、丁度いいか) 先輩社員ゾロが入院以来、コビーは仕事が終わるとその足で毎日ゾロの入院先へと赴く日々を送っている。勿論そこまで頻繁に出入りする理由は、ゾロの負傷に責任を感じまくっているということがそのほとんどを占めていたが。 最近、病室に行きづらい。 仕事熱心な先輩社員は、両腕のギプスが外れてからというもの、一心不乱にリハビリに取り組む日々を送っていた。 それだけなら結構なことだが、その激しさがハンパじゃない。まさに鬼気迫る勢いで、担当看護婦にオーバーワークを咎められても気に介さずひたすらに動く部分を鍛えている。それまでじーっと寝てばかりだった入院生活が嘘のような張り切りぶり。 とにかく早く退院したいっぽいゾロは、ぶっちゃけ見舞いも鬱陶しがっている節が見え見えなのだ。 かろうじて業務上の用件には対応しはするが、見舞いにかこつけて『憧れのロロノアさん』に近づこうとする女性社員などまるきり無視…というか、痛みに耐えつつ物凄い形相で両腕を苛め抜くゾロの様子に、会社事務所での鷹揚とした男しか見たことのなかった彼女たちは、挨拶もそこそこに逃げ帰った。 長い付き合いになる自分ですら思わず引き攣る姿であるが、怖い顔にはスッカリ慣れているコビーにはなんてことはない。 しかしどちらにしても病院食では物足りず腹が減って仕方がないというゾロのために、毎日の差し入れは必須なのだ。 出来るだけ上司の邪魔をしたくないという気持ちと、何かの役に立ちたいとの気持ちが入り混じり、コビーとしてはなかなかに複雑な心境の最近なのだった。 (さて今日は何を…?) と。 小走りで駅まで向かうコビーの目に、今しがた開店したばかりらしいらしい屋台が目に入った。そしてガード下にかすかに流れる食欲をそそる香り。 店主と思しき金髪の男が軒にひっかけた暖簾の文字を見たコビーは、これ幸いと声を掛ける。 「あの―――、おでんって持ち帰り用に出来ますか?」 ちょっとなおどおどしたその声にくるりと振り返った金髪はまだ若い痩身の青年だ。 すっと通った鼻筋と切れ長の蒼い眼が印象的な思いがけずきれいな顔立ちだったが、あいにくコビーにそっちの趣味はなかったので、一番特徴のあるその一点に視線が釘付けになったらしい。 (わ、ヘンな眉毛) 口に出していたら即座に蹴っ飛ばされていただろうが、コビーは勿論そんな迂闊な真似はしなかったのでその日も五体満足で病院に到着した。 かつてリクエストに答えて最初に差し入れたコンビニのおでんを見たゾロは、一瞬怪訝な表情をしたあとで、「ありがとうよ」とそれを受け取った。 どーもあれは思惑と違っていたようだ、と敏いコビーは感じ取り、その後は母親の手作りやらデパ地下の持ち帰りやらとあらゆるおでんを調達してみたが、ゾロの反応はいつも同じ。余程おでんが好きなのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。 けれどその日は。 頼まれた書類に目を通しながらおざなりにおでんに齧りついた男は、いきなりあんぐりと口を開けて、病院から借りた皿に移し変えられたそれをまじまじと見つめ、 「おいお前これをドコで…いや、」 少々言いにくそうに「無理は言わないが頼みがある」と切り出した。 「…ェラッシャーイ!…っと、またアンタか」 その日最初に暖簾をくぐったのは、目下五日間連続でおでんの持ち帰りを希望しているぼっちゃん刈りの丸めがねだった。 咥え煙草のサンジと目があうと、満面の笑顔で頭を下げる。 「こんばんは、へへ、また来ちゃいました」 「毎度!…えぇと、今日も持ち帰りで?」 「あ、はい。またなんか適当にお願いできますか?あの、傷みにくいもので」 「見舞いだっけな。でもいいのかい、俺のはおでんはそりゃあ美味ェけどよ、こうも続けておでんばっかじゃさすがに色気がなくないか?」 一回くれぇならインパクトあるだろーけど?と揶揄するようにサンジがニッと口角を上げるたので、客は慌てて首をぶんぶん振った。 「そそそんなんじゃないです!あの、入院してるのは会社の先輩で、男の人ですから」 「…ふうん?」 そうだっけ、とサンジはちんまり生やした顎鬚に触れる。 「もう二ヶ月になるんですけどね。病院のご飯じゃモノ足りないから、おでんが食べたいって」 「おでんかよ」 ぷッとサンジは噴出した。それはまた変わったリクエストだ。 初見で訪れた屋台に「お見舞いにおでんを持って行きたいから持ち帰りにしてくれ」と頼んだ男はかなりなお喋りらしく、おでんをビニールに詰める間、頼んでもいないのにべらべらと届け先について話をする。 最初はちんぴら然としたサンジの風体に?怪訝な顔をしていたくせに、思いがけずもサンジのおでんは大絶賛されたらしい。調子付いてかそれ以後毎夜訪れているのだから、現金なものである。 「それがですね、なんか、ここのじゃないとダメみたいなんです」 「…?」 サンジは男の言葉に僅かにひっかかるものを感じて僅かにその青眼を見開いた。 「僕、先輩があんなにびっくりしたの初めて見ました」 見舞い相手におでんを渡した瞬間を、サンジは毎日聞かされている。相手に喜ばれたことが余程嬉しかったのだろう。 慕われているのだろうと思った。 「すごいここのおでんのファンみたいで。『無理は言わないがもしこれからも差し入れしてくれる気があるんなら、ここのメシ以外俺は喰わねーから』なんて…無理は言わないって二回も言われたら、無理しなきゃって思いますよねえ」 「そりゃまた無理な野郎だなァ」 呆れつつも満更でもなくサンジが相槌を打つと、男は「あ!」と何か思いついたように勢い込んだ。 カウンターに身を乗り出して、おでんを詰めるサンジを見つめる。 「近くに住んでるから、もしかしたらここで食べたことがあったかもしれない。ロロノアさんて言うんですけど、ご存知ないですか」 「ロロノア…?いや、こういう店だしな、お客さんの名前なんざいちいち聞くワケにもいかねェし。女の子だったら別だけどな」 そう答えながら、何故かサンジの心臓はばくばくと言い出した。 (…まさかな。ンな都合のいいことが) コビーはそんなおでん屋には気付かずにあはは、と笑う。 「ですよねえ。えーと、緑色の髪の毛で、体育会系でちょっと怖い顔の若い…あの、大丈夫ですか?」 (あった) 目の前のおでん屋がいきなり煙草に咽てゲホゲホ蹲ったので、コビーはちょっとびっくりした。 |
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(2003.07.26) |
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