20時からの恋人 8 |
8 再会まで メインは銀ムツの黄金焼―――それに甘酢に漬け込んだはじかみしょうがを添えて。 サイドに海老と舞茸のゼリー寄せ、いんげんとおくらの胡麻和え。根菜の煮物に出し巻き卵、それと豆ご飯の俵型おむすび。 菜箸を握ったサンジはそれらをきれいに重箱に詰めていく。 財政的な事情によりそこまで豪華な食材を揃えることは出来なかったが、彩りも麗しいなかなかの懐石弁当である。 (よし) 煌びやかな完成品を前にしたサンジが、満足げにその顎を引いた。 相手は病人であるからして、出来るだけ栄養価が高くて消化のしやすい料理を選んだ。 差し入れにおでんを喰いたがるくらいだから、別段胃袋の方には問題はなさそうだが気を遣って悪いことはない。 (風呂敷…どこに仕舞ったっけ) 誰かの為に弁当を作ることなど久しぶりだ。 クローゼット代わりにしている押し入れを漁り、隅っこに見つけたそれは少々色褪せてはいるが充分使用に耐えそうだった。 そういえば常にオケラの学生時代、花見時期には行楽弁当なぞ作って売り捌いていたサンジである。 サーヴィス精神旺盛なサンジなので当初それは友人達へのプレゼントのような気持ちで作っていたが、気がつけばナミにより立派な商売と化していたことを思い出し、ふっと薄く笑う。 ぱんぱんと風呂敷の埃を払ってサンジは丁寧に重箱をくるんだ。きっちり上で結んで底広の紙袋に収めると、ノートパソコンの入ったバッグを脇に抱えて早速玄関へと向かうが、 「…っと!」 (アレ、今日渡さねェと) 忘れ物に気が付きローファーに片足を突っ込んだまま慌ててテーブルへと逆戻りするが、不意にくらりと目の前が暗くなった。 思わずがくん、とその場に膝を附くも、間一髪紙袋はひっくり返さずに済んだ。 (…ヤベーヤベー…) ほっと息をつき、気を取り直して立ち上がる。 足元はちょっとふらつくが歩けないほどではないと自分に言い聞かせた。 テーブルの端に置かれた封筒を開け中身を確認すると、サンジは用心深くそれに封をし直し、右手で首の後ろをとんとんと叩く。 (さすがに、完徹は堪えるぜ) このたびナミから請け負った打ち込みの量は唸るほどに多く、サンジはここしばらく不眠に近い状態でそれに感けていた。 ついでに昨夜は想い人の消息まで知れて、タダでさえ少ない睡眠時間を全て費やして差し入れまで作る始末だ。 一睡もしていない頭でサンジが立てた本日のプランは、男に会うため病院へ赴き、無事を確認したらその足でナミに仕事を渡し、仕込み済みのおでんを夕方取りに戻ってそれから店を開く、ただそれだけ。 気合の入った弁当は入院先に押しかける口実である。 名前も知らない男相手にどうかしてる、と自分でも思うけれど。 『ここのメシ以外俺は喰わねーから』 眼鏡から聞いた言葉が、あの男の声で頭にダイレクトに響くから。 「…うっし」 もう一度荷物を確認するときっちり靴を履きなおして、サンジは今度こそアパートを出発した。 清拭が終わった後、ゾロはゆっくり右足を持上げてみた。 ギブスが外れて幾分軽くなった右足は、だが他人の身体のように固まって動かしにくい。しばらく使わなかったお陰で筋肉が落ちたのか、少々細くなったような気もする。 牽引機で長いこと引っ張られ続けていたおかげでまっすぐ伸びたまま動かない膝に手を添えて、よいしょと無理矢理立ててみた。 途端に爪先から腰まで激痛が走り、ゾロはぐっと奥歯を噛み締める。 (痛ェ…が使えねえこたねェな) 四肢以外の骨折箇所は既にキレイに繋がっているし、熱心なリハビリの効果で両手は好きに動かせるようになった。後はこの両足だけだ。 だらだら脂汗を流しながら伸縮を繰り返す男の傍では、患者の行動などとっくに予測していた担当が呆れ顔で眺めている。 「…ってまだダメですよロロノアさん!」 早速ベッドから降りようとしたところで即座に両肩を押さえられた。 ゾロは憮然とした表情で、 「歩行訓練ぐらいさせろ」 と宣うが、すっかりこの困った患者と言い争うのに慣れた看護婦はビシッとベッド脇の車椅子を指差した。 「まずこれの使い方を説明します」 「アァ?いらねェよ大袈裟な」 「…貴方はただの骨折患者じゃないんですよ!体中めちゃめちゃになったのが、少―しずつ少―しずつ端っこから治して、ようやくここまで来れたんです。今無理して歩いたりしたら、傷だって開くし固まったばっかりの腰骨だってずれます」 型取りした装具が出来るまでは曲げ伸ばしからだとしつこく説明されたゾロは「解ったからさっさと教えろ」とたしぎの言葉をさえぎった。 だらだらと会話を続けるのは性に合わない。話す暇があったらまず動くのがゾロという男だ。 しかし他人に言わせればそれは後先考えない、という事なのかも知れぬ。 「―――車輪の脇にあるこれがハンドリム…これを前後すると動きます。横にある突起がブレーキ。止まるときは必ずこれを倒して、滑っていかないように注意してください。それから」 「乗っていいか?」 「………」 最後まで話を聞く気のまるでないせっかちな男に、たしぎは幾分いらつきながら車椅子を近づけた。 ベッドの柵に手をかけて、ゾロは床に右足を降ろしてみる。踵に体重を掛けるとやはりずきんと痛んだが、顔には出さずに黙って車椅子に手を伸ばした。そうしていまだギブスを嵌めたままの左足を引き摺るようにして移乗に臨んだが――― 「きゃっ!」 「うぉッ!」 ウッカリ者の看護婦は、なんとブレーキを掛け忘れていたらしい。 ゾロが体重を車椅子に移した途端にそれはずるずると滑って、ゾロはもう少しで床に顔面から激突するところだった。かろうじて横から自分の身体を支えた看護婦に向かい青筋立てて怒鳴り上げる。 「…止めるときはブレーキしろつったのはてめぇじゃねェか!」 「すすすすみません…あの、大丈夫ですか?」 「大丈夫に決まっ………」 突然黙り込んだゾロの顔を、至近距離のたしぎが不思議そうに見上げた。 すると傍若無人な患者が、それまで一度も見せたことのない表情でがちがちに固まっている。 視線を追うように釣られて見遣った先には、なにやら荷物を抱えた細身の金髪青年が、困惑した顔でこちらを見ていた。 ゾロが人の気配を感じて顔を上げたその先、開け放たれたスライドドアの向こうに。 「―――おでん屋…?」 二ヶ月以上見ることのなかった金糸と細い肢体、白い肌におかしな眉毛。 何度も思い返した青眸がそこにあった。 |
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(2003.08.04) |
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