春、間近 10


10 独占欲


 最初は抗う素振りを見せても、口付けが深まればすぐに大人しくなる。

(おでん屋はいつもこうだ)

入院中、リハビリに精を出し「すぎる」ゾロを、サンジは良く「あんまり無茶するな」とたしなめたものだ。
 口煩い女房のような小言だったが、それは決して煩わしいものではなく、嬉しいような面映いような気持ちでゾロは彼を抱きしめ、手っ取り早く黙らせる一番有効な手段として、グワグワしゃべり続ける口を何度もキスで封じてきた。
 今だってついさっきまで腕の中で暴れていたのが嘘のように、おでん屋は静かに瞼を閉じてゾロの舌を受け入れている。
 思いがけず長い睫毛の先を震わせて、白い頬をほんのりと赤く染めて、己の腕をそっとゾロの背に回して、

(…畜生)

キスひとつで蕩けるような表情を見せる彼を、とても可愛いと感じていたけれど。
 そんな反応は自分に惚れているからこそ起こるものだと思っていた。
勿論今でもそう思いはする。病室での再会に涙を零して見せた姿や、毎日いそいそと差し入れをしてくれた姿を思い出せば、彼の心がゾロの上にないとまでは言い切れない。
 ただ、―――心と体は別物、という人種は確かにいるのだ。

(アイツにもこんな顔を、見せたってのか)

互いの体に隙間がないほどに密着して思うさまサンジの熱い口腔を堪能しながらも、ゾロの頭の中には『他の男に抱かれる』サンジの姿がありありと浮かんでいる。
 それはかつて、病院で意識を取り戻したばかりのゾロが苛々と思い描いていた映像とまるきり同じだった。







 あのいかがわしい路地で見慣れた金髪を見つけた日に、ゾロは初めて自分の想い人がそういう嗜好の持ち主だと知った。
 ヒソカにおでん屋に懸想していたゾロが受けたショックはかなりなもので、件の事故で落ちてくる鉄骨に気づくのが遅れたのは、実のところそれに気を取られて注意を怠っていたせいもあったりする。
 やがて意識不明の重体から抜け出したゾロは、体中に包帯をぐるぐる巻かれた情けない姿でベッドに横たわり、他にすることもなくおでん屋のことを考え続けた。
 自分が身動きひとつ取れない今も、あの場所で『相手を探したり』している青年のことを考えた。
身勝手な話だが、(そんな下らない人間だったのか)と軽蔑しかけたこともある。
 けれどぐるぐる行き場のない怒りを燃やしながらも、頭の片隅にはいつもおでん屋がゾロに見せてきた晴れ晴れとした笑顔が消えずに残っているのだから性質が悪い。
そしてそんな拭えない嫌悪と掃えない恋慕の対立する感情に挟まれながらゾロが最後に思うのはいつもただひとつ、『会いたい』ということ。
 幸いなことにベッドで過ごした長い時間はゾロを落ち着けるのにも、彼への恋着を募らせるのにも充分だった。
おでん屋がそういう人間ならしょうがない―――それでも構わないからあれが欲しいと、ゾロは強く思ったのだ。
 ゾロ自身30近くになるまで清廉潔白に生きてきたわけではないし、若い頃は後先考えぬ無茶だって沢山した。それを考えれば一概に彼を責めることは出来ないし、おでん屋がどのように日々を送ろうとも彼の自由だ。
 傲慢で滑稽なことだが、心のどこかで『許してやる』とすら思っていたゾロは、

(とんだ思い上がりだ)

さんざん妬いたことなどすっかり忘れていたのだから我ながら呆れてしまう。
 他の誰とどれだけ身体を重ねていたとしても、それはゾロが惹かれた彼の本質とはなんら関わりのないことで、自分はそんな小さなことに目くじらを立てる狭量な男ではない、とまで思い込んでいた。
 あの男とのやり取りを見るまでは。







 唇を解放してやると途端にサンジはゾロを睨み付けてきた。
流されてしまった自分を恥じるように真っ赤な顔でぐいっと口元をぬぐい、ゾロの肩を押しやって身を離す。

「クソったれ…!」

吐き捨てるように呟いて半端に脱げたブーツを外し、そのままサンジはずかずかと部屋へ上がり込んだ。少々出遅れたゾロが真っ暗だった室内の明かりを灯すと、リビングの中央でくるりと振り返り、

「…なんなんだよテメェは!慌てなくてもココまで来たら逃げやしねェっつの!」

背負っていたリュックを床に投げつけた勢いのままコートを脱ぎ捨て、眩しげに目を細めながらせっかちな恋人に苦情を申し立てた。
 ゾロはくっと自嘲気味に嘲笑ってそれに応える。

「たかがセックスに随分大仰じゃねぇか」
「…ッ」
「面倒くせえ。そのまま最後まで脱げよ」
「何だと?」

自分でも驚くほど冷たい声だ、と熱くなった頭の端でゾロは思った。身のうちで凶暴な、手のつけられない獣が首を擡げようとしている。
 ゾロの声音に何を感じ取ったかサンジはハッと息を呑み、つい先日病室で見せたのと同じどこか怯えの含まれた表情に、ゾロは不意にそのときのことを思い出した。

(そういうことか)

先ほど交わされた、おでん屋とギンとの短い会話。

『もしかして一昨日の』
『あの夜はありがとう』

あの口ぶりでは旧知の仲とも考えにくい。彼らがどんな風に出会ったのかは見当もつかないが、あの無骨な専務が逆上せあがるだけのことをおでん屋がしたのは間違いないだろう。
 ゾロの家には向かわずに、恐らく―――名も知らぬ行きずりの男に身を任せたのだ。
あの日ゾロの五感に触れた彼の急激な変化にもこれで納得がいく。

(気まずくもなる程度にゃ、罪悪感があったってことか)

そう考えると今これだけ途惑ってみせるサンジの態度すらどこか小気味よく感じる。
 この尻軽な人間に、己れが誰のものになったのかを思い知らせてやりたい。
かつてないほど獰猛な怒りと、昏い欲情が湧き起こった。

(こいつを、むちゃくちゃにしてやりてぇ)

心も体も自分のものだと教え込んでやりたい。

「てめぇで出来ねぇってんなら手伝ってやる」
「!」

ゾロは大股で青年に近づき、薄いセーターの襟元を掴んで乱暴に床に引き摺り倒した。
勢いどこかを打ちつけたらしくフローリングがゴッと鈍い音を立て、サンジはうっと顔を顰める。
 頓着せず凶悪な笑みをはりつけたまま馬乗りになり、体重をかけて逃げを封じた。
唇を寄せようとすると首を振って嫌がり、それがまた気に障る。

「待て、待てって!」
「諦めが悪ぃな」

両腕を懸命に伸ばして抵抗してくるのが鬱陶しく、男は一旦体を起こして真上からじっと獲物を見下ろした。
 僅かに髪を乱した青年は粗略な扱いに憤りつつも怪訝な顔でゾロを見返してくる。
邪気のまるでない視線はそれゆえに残酷だ。
 ゾロは呆れ混じりなため息をつき、見せ付けるように己のネクタイを緩めた。

「いまさら俺とはやれねぇってのか?『気紛れ』であいつと寝たんだろ?」
「は、ハァ!?」

予想外なギンの言葉をそのまま投げつけられ、サンジは愕然と青い目を見開く。

「誰とナニをやらかそうがお前の自由だが、俺ァそんなのはご免だ」
「―――ち、違ッ」
「違う?…お前には、そうかも知れねえな」
「ゾロ!」

続けられた信じられない言葉にサンジは耳を疑うしかない。

(こいつ、何言って―――?)

呆然とする隙をつくように、肌着代わりのTシャツごとセーターをたくし上げられた。暖房も入れられていない部屋の冷気が直接肌に突き刺さり、全身に鳥肌が立つ。
 脱がされた服は両手首で纏められ、その上をゾロが片手で押さえつけている。
恐ろしいほどに加えられた圧力よりも、込められた感情がサンジの動きを止めた。
 これまで見たこともない冷徹な瞳が観察するように肌の上を這い回って、やがて首筋の一点でひゅっと細く眇められる。
 長い指先がそっと耳元に伸ばされて、嬲るように触れてくるのにサンジはびくんと身を竦めた。

「…跡がついてるぜ。お盛んなこった」
「知らね―――ぅアッ!」

その場所に鋭い痛みが走り、きつく噛み付かれたのだと解る。
 初めてゾロを、本気で恐れた。

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 (2004.06.13)

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