春、間近 9 |
9 キス 豪雪はひとまず落ち着いたとはいえ、あたりにはいまだその名残があちらこちらに見受けられる。 陽光にさらされて溶けかけた雪は泥にまみれ薄汚れた氷塊として路上の端を埋め、溶けた部分はそのまま薄氷となって路面に張り付いているような、寒い寒い、夜。 サンジはゾロにきつく腕をつかまれて体勢を変えることも出来ぬまま、それでも渡された花束を落とさないようしっかり胸に抱え込み、つるりと滑りかける足を必死でコントロールして歩いている。 いや歩くというより、無理矢理歩かされている。 どかどか道路を割る勢いで先を急ぐゾロはサンジの窮状など気にもかけず歩を進め、角を二つばかり曲がってコンビニの前まで来るとぴたりとその足を止めた。 「―――わっ!」 引っ張られる状態で前も見れずにいたサンジは勢いよろけてその場にひっくり返りそうになるが、握ったままのゾロの腕がしっかりとそれを支えたお陰で事なきを得た。 「っぶねェ…」 「大丈夫か?」 「って、テメェのせいじゃねェかクソマリモ!」 間一髪地面との激突を避けられたことにほっとしたが、元はといえばゾロの強引な振る舞いのせいだ。 啖呵を切りながらギッと強引な男を振り仰ぐが、片腕一本であっさりと青年の全体重を受け止めたゾロは退院したばかりの人間だとは思えぬほど揺ぎ無く、驚くほどに無表情で。 外気よりももっと冷たいものに、頬をぺしりと叩かれたような気がした。 (―――なんだこりゃあ) 訝しげに恋人の顔を覗き込むと同時にぱっと腕を放され、ようやく自由になったサンジはいつもとあきらかに様子の違うゾロの態度に首を傾げつつ、小さくその名を呼んだ。 「…ゾロ?」 「煙草」 「あ?」 「切らしてんだろ。とっとと買って来い」 くい、と首だけ動かして指図するさまは不必要に高圧的で、けれどムッとするよりも先に訳の解らない不安が募り、サンジはもやもやしたものを抱えながら店内に足を踏み入れた。 レジ前の店員に愛用のボックスをふたつ注文し、支払いのためにポケットの財布に伸ばした手がぴしりと軋んでおでん屋はうっと眉を寄せる。 (クソったれ…コックの腕になんてことしやがる) 見た目どおりに体力勝負なゾロに思いっきり引っ張られた場所がずきずきと疼きはじめ、サンジは煙草を受け取った左手で痛めた右腕をやわやわと揉み解した。 この分じゃ手型がついちまってるかも知れねェ、と首を動かして外で待つ男をちらりと睨むが、自動ドア越しに見返す瞳はサンジのそれよりもずっときつい意思を孕んでいて居心地悪いことこの上なく。 ハァとため息をついて重い気持ちのまま外へ向かうと、ゾロはさっきまではじっとサンジを見ていたくせに、本人が目の前に来た途端くるりと背中を向けてさっさと歩き出した。 すぐにでも一服したい気分だったサンジは、行儀悪く歩きながら最初の一本を取り出して火をつける。 (参ったなーこりゃ…) どうやら彼氏のご機嫌を損ねたっぽいと、サンジは鼻先を掻いた。 マリモご立腹の原因は、もしかしなくてもさっきのあの男だろう。 それくらいサンジにだって解る。解るが、ただ一度会っただけの男にイキナリ花束なんか押し付けられそーになった自分の立場だって少しは考えて欲しい。 レディならともかく(いやレディだったとしたらあんな見るからに玄人なオッサンから声を掛けられただけで身を竦めてしまうだろう)自分はれっきとした男で。 ギンとか名乗った男が何を考えてあんな行動に出たのかはさておき、同じ男からそんな目で見られたって、サンジは困惑するだけなのだ。 そりゃあ今現在、熱烈交際中なのは同性であるロロノアさんなわけだが、 (―――誰だってイイわけじゃねェってこと、コイツは解ってんのかね?) それでもまぁ、妬かれて悪い気はしない。 (可愛げのクソもねェ態度だけどよ) ほわんと煙草の煙を吐きながらちらりとそんな不遜なことを思ったサンジは、ほんの少しロロノア・ゾロという男を買いかぶっていたようだ。 勿論ロロノアさんは、ちっとも解っていなかった。 サンジのことも、自分自身のことも。 封を切った煙草の半分も吸い終わらないうちに、二人は目的地に到着した。 ゾロは先だってサンジが苦労したパネルに向かうと、長い指を滑らせて暗証番号を押しとっととロックを解除して中に入り、サンジはエントランスに設置された灰皿にぎゅっと火のついた煙草を押し付けながら慌ててその後を追った。 エレベーターに乗ってからもゾロは無言で、じっと階層を告げるランプが移動していくのを見つめている。 チン、と軽い音とともに小さな箱は停止し、ドアが開ききるのも待たずにゾロはまっすぐ自室へと向かう。 昨日病院で返した鍵が本来の持ち主の手の中で鈍く光るのを見て、サンジはこっそりと深呼吸した。 多少気まずい雰囲気ではあるが、どう転んだってこれからやることはひとつなのだ。 (…処女喪失直前のレディってなァ、皆こんな気持ちなんだろーなー) 居た堪れないほどの不安と、どうしようもない気恥ずかしさと、僅かばかりの期待で胸が痛い。 鍵を開けたゾロは大きくドアを開いて、そこで初めてサンジを振り返り、 ドアを背にした男から怖いくらい真剣な表情で見つめられて、整えたばかりの心臓がばくばくと鳴り始めた。 「入れよ」 「おう。…お邪魔します」 家主に促されるまま先に真っ暗な部屋に入り、預かった花を玄関先に置いた。少々濡れてしまったブーツを外しながら玄関灯のスイッチを探す―――と同時に。 バタンとドアが閉まり、明かりを求めて彷徨わせた指先を捕らえられた。 「!」 先ほどサンジの腕を掴んだものと同じだけの強さで引き寄せられて、きつく抱きすくめられる。 「…ッゾロ!?」 突然すぎる抱擁に抗議しようと開いた唇を塞ぐのは、噛み付くようなキスだ。 ゾロよりもひとまわり細い長身は、分厚いコートの上から大きなリュックを背負ったままでもたやすく彼の腕の中に納まった。 脱ぎかけたブーツを片足につっこんだままじたばたともがく青年を、ゾロは逃がさぬと言わんばかりにぎゅうぎゅう抱き込んで、冷え切った体のそこだけ熱い口中へ己の舌を差し込んでやる。 「…ふ、…っと待っ…」 (待たねぇ) 頬を逸らして逃げようとした細い顎を掴んで、唾液で薄く濡れた唇にまた自分のそれを重ね合わせた。 あの場所からこの部屋に辿りつくまでどれだけ辛抱したことだろう。 これ以上はもう、1秒だって待てるものかとゾロは思った。 |
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(2004.06.03) |
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