春、間近 8


8 彼に花を


 指定が細かすぎて仕上がりに時間がかかったが、お陰で満足のいくものが完成したと、ギンは事務所に届けられた花束を見て満足げに何度も頷いた。
 黄色い花弁が幾重にも連なるラナンキュラスの花言葉は『美しい人格』。
それを取り囲むようにあしらったのは白いカスミソウとピンク色の小さな薔薇…これらを選んだのは、抜けるように白い肌と、そこだけ桃色に染まった彼の頬がとても可愛らしかったからだ。こちらの花言葉は『切なる願い』と『私の心』。
 彼に捧げるのにこれほど相応しい花はないだろうと、ギンはきれいにアレンジされた花束をそっと抱きしめた。

(店仕舞いする頃になったら、あのひとに届けよう)

引退したとはいえお世辞にも身奇麗とは言えぬ自分だ。
 本当はおでん屋が開店する7時ジャストに客として足を運ぶつもりだった。
しかし寸でのところでこんな強面の筋者が出入りしては客足に差支えが出ることに思い至り、それからはじりじりしながら屋台の閉店時間を待っている。
 カタギのおでん屋と自分では住む世界が違う。勝手な片恋が報われるなど過剰な望みは端から持っていない―――物陰からそっと彼の姿を見つめることができれば、それだけでも満足だと思うギンなのだ。
 けれどせめて、この特別な日は。
自分から手渡された花束を受け取ってあの夜のように柔らかく微笑む青年を思い描き、ギンはうっとりと瞼を下ろした。
 武闘派としてかつてその世界で名を馳せた男とも思えぬとんだ純情振りである。







「どうした?俺の顔になんかついてるか」

 目の前に饗されたおでんをがつがつと頬張りながら、何気ない調子でゾロが聞く。
サンジはその言葉で初めて自分がじーっとゾロを見つめていたことに気がついて、またぼっと顔面に火を昇らせた。
 久しぶりにこの場所で見る男は、つい昨日まで病院のベッドに横たわっていた人間だとは思えないほどに、以前どおりのその姿で。
 そういえばスーツ姿を見るのだって久しぶりだ。片思い時代に立ち返って思わず―――見惚れてしまったとしても無理はないだろう。
 そんなおでん屋のどこがツボったか、ゾロはくっくっと喉の奥で笑い始める。
サンジはむっと煙草を咥えたままの唇を突き出して、空になりかけた皿におでんをどっと放り込んだ。

「別に?相変わらず良く喰うなって呆れてたんだ」
「ああ。お前のメシはどこで喰っても旨ぇ」
「…っ…」

照れ隠しの憎まれ口をさらりと有効打で返されて、サンジはこの場から走って逃げ出したい気持ちになった。
 今この場にいるのはそれなりに気心が知れている上に自分たちの関係までバレバレな連中ばかりだが、それにしてもゾロの言葉はてらいがなくてストレートすぎる。
 ゾロはゾロでようやく戻って来れたこの場所で、今までは横顔しか眺めることの出来なかったおでん屋が正面から自分をまじまじと見ているのがどうにも嬉しくてしょうがない。
 やたらと口が軽くなるのはそのせいだ。
まぁ両想いな二人であるからして、なんだかんだ言いながらおでん屋も直戴な物言いが嬉しくないわけではなくて。

「―――そんなに美味ェ?」
「一生コレしか喰いたくねぇって程度にはな」
「…そりゃどうも…」

傍から見ればやれやれと肩を竦めるしかないやり取りを続けまくっているゾロとサンジである。
 カウンターに陣取る客そっちのけで二人っきりの世界を築く若いカップルに、気のいい常連たちは(こりゃ今日は早めに引き上げてやらねぇと)と大急ぎでおでんを掻き込んだ。
 やがて仕事帰りの酔客が入れ替わり立ち代わりする中ようやく最後の一人が帰り、鍋の具材も底を尽き。
サンジはいつまでも動こうとしない(つまり、帰ろうとしない)ゾロの前で、やや躊躇いつつ暖簾を下ろした。
 閉店時間まではまだほんの少し間があるが、時計の針が進むにつれて段々と男の眼光が鋭くなっていくのにこれ以上耐えられそうになかったからだ。
 片づける間中もちくちく突き刺さってくる視線に射られながらもなんとか店仕舞いを終えたおでん屋に、黙ってそれを見守っていたゾロがずいっと右手を突き出す。

「出せ」
「………」

はぁ、とため息をついたサンジはなんとも情けない顔で背中にかるったリュックを下ろし、中から一枚の紙片とガムテープを取り出した。
 ゾロは満足そうにニッカリ笑ってそれを受け取り、きっちりと雨戸を閉めた屋台のど真ん中にべたべたと貼り付ける。
 言われたとおり素直に『臨時休業』の張り紙を用意してきたおでん屋は、少々でなくアホだったかもしれない。

「うし。じゃあ帰るか」
「………」
「行くぞ」

気持ち悪いほど爽やかに言い切ったゾロは、会社で貰ったという大きな花束をぞんざいに肩に乗せ、くるりと踵を返した。
 ゾロの足が向いた方向は当然の如く彼のマンションで、おでん屋がついてくるのを確認もせずにさっさと歩き出してしまう。
 サンジはそんな男の態度になんとなくカチンと来て思わず足を止めたが「どうした?」と振り返ったゾロの顔にはまったく悪びれたところがなく、彼より余程繊細な神経を持つおでん屋は(あああ)と天を仰ぎたい気分になった。

(なんつーか…もうちょっとこう…)

 それなりに覚悟を決めた自分ではあるが、もう少し気を遣って欲しいと考えるのは我儘なのだろうか。
細かいところまで気の回せないタイプの男なのだから仕方がないといえばそれまでだが、これから自分たちは間違いなく色々イタすわけで。
そしてどー考えてもこのまま行けば『ヤられる』立場っぽいサンジにだって、同じ性別である男として捨てられないプライドなんてのがあるわけで。

(そーいうの、コイツはちっとも考えてねェんだろうな)

 なんだかむしゃくしゃしながらポケットに手を突っ込んだおでん屋は、精神安定剤であるお気に入りの煙草を切らしてしまったことに気がついた。
今日は緊張したせいかいつもより消費が増えたようだ。
 サンジはててっと走って前を行くゾロを追い越し、

「俺ァコンビニでヤニ買ってから行くわ。先行っててくれ!」
「おい!?」

返事も待たず逃げるようにダッシュをかけたところで、見知らぬ男にどーんと花束を差し出された。







「―――あ?」
「…っこれを、あなたに…っ」

両手でしっかりと花束の根元を握り締めた小柄な男が、地面につくんじゃないかってほどアタマを下げてサンジの前に立っている。

「って、俺?」
「ええ、サンジさん」

きょとんと自らを指差したおでん屋に、その男はぶんぶんと激しく首をタテに振った。
 サンジは突然の出来事にイマイチついていけず、顎に手を当てて訝しげに不審者を凝視し、やがて「あっ」と声を上げる。
 この(いまどき誰もやんねーだろ)というストライプのバンダナには確かに見覚えがあった。血色の悪そうな顔色と何日寝てないんだってくらい目の下に張り付いた嵎にも。
ゾロのマンションで親切にドアの開け方を教えてくれたあの男ではないか。

「もしかして一昨日の…」
「ギンですサンジさん。―――あの夜はありがとう。これはあのときのお礼と…記念すべき日に」
「…はぁ?」

ボソボソと小声で喋る男の目はどこか熱に浮かされたように潤んでいる。
 可憐な花束を差し出したままの指先は僅かに震えていて、その様子に尋常ではないものを感じ取りながらサンジは慌てて手を振った。

「イヤ、お礼ったってこんな大げさな」
「受け取ってくれないか。アンタにはただの気紛れだったかも知れないが、俺には」
「―――花だったら間に合ってる」

不意に地を這うような低音が響き、サンジとギンはハッと音の出所へ首を向けた。
 うっかり放置されていたゾロはそれはもう凶悪に微笑みながら、男から花なんか捧げられちゃっている恋人に自分が担いでいた花束をばさっと乱暴に押し付ける。
 勢いがつきすぎてあたりにぱあっと花びらが散り、

「だからそれはいらねぇ。専務さん、悪ィが持って帰ってくれ」

聞きなれた職名で呼びかけられて、ギンは折角の逢瀬に突然横から水を差した男が同じマンションに住む建築屋だと気がついて、ぎょっと目を見開いた。

「ロロノアさん…!?え、ちょっと待ってくれ、アンタこの人とどういう」
「あれ、テメェらお知り合いなの?」
「行くぞサンジ」

言葉とともにぐいっと乱暴に腕を掴まれて、そのままゾロに引きずられるようにサンジはその場から連れ出されてしまう。
 渡せず仕舞いの花束を抱えたまま呆然と二人を見送るギンの表情は、言うまでも無く、アレだった。

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 (2004.05.31)

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