春、間近 13 |
13 勇気 「アンタに、謝ろうと思って」 「…アァ?」 たどたどしくそう宣う男を、サンジは幾分冷ややかに眺めた。 一昨日偶然この場所で会って、少しばかり話をしただけの人間だ。それが何故花を持ってきたりこうして待ち伏せしたりすることに繋がるのかサッパリ解らない。 大体この男が突然花束なんか差し出すから話がややこしくなったのだと思うと、剣呑な表情になってしまうのも無理からぬ話で、 「別に謝られるよーなコトはされちゃいねェけど」 多少意地悪く『テメェなんざ眼中にねェ』との含みを込めてそう返すと、ギンはいやいや、と首を振った。 「アンタに連れがいるなんて思わずにいきなりあんな―――ロロノアさんの顔つきが普通じゃなかったから、まさかひでぇことでもされてんじゃねぇかと」 「野郎同士で立ち話したくれェで?ンなアホな話があるかよ」 サンジはチンピラ丸出しな顔つきでははん、と鼻先で笑ってやった。 実際はそんなアホな話があったのだがご親切に教えてやる必要はない。 しかしギンは猶も首を振る。そんなに振ったら中身が飛び出すんじゃないかという勢いだ。 「アンタたちが、その、そういう関係だってのはもう解った」 「ンなっ…!」 男の言葉にサンジの白い顔にさっと朱が走った。 なんというかうっかり周囲にはそれなりに公認っぽいコトになってしまったが、サンジ自身まだまだホモに理解や免疫があるわけでもホモ呼ばわりに忸怩たる思いがないわけではないのだ。 (コイツ…ブッ殺しとくか…?) 八つ当たりも過分に含まれた怒りでわなわなと震え始めたサンジを、ギンは図星を刺されてショックを受けていると誤解したらしい。 慌てた様子で「男同士だからなんて野暮を言うつもりはねぇ」と前置きした後、 「ロロノアさんがアンタに乱暴するような男だとか言いたい訳じゃねぇんだ。ただ、俺だったらやっぱり面白くねぇだろうと思ったし…」 心配で帰るに帰れなかった、とギンは語り、サンジは心の中で(うわー)と仰け反った。 自分はそんなにホモっぽく見えるんだろうか。 自慢にはならないが「女好き」とは罵られても「男好き」だと言われたことは一度もない。表裏なく女尊男卑を信条として生きてきたサンジである。 今現在は何の因果か男とそういうお付き合いをしてはいるが、それは相手がゾロだったからで。 (…アレ、でも) ここでおでん屋はタイミング悪く、当のゾロがサンジにその趣味があると思い込んで、盛大にブチ切れていたことを思い出した。 途端に今までの人生に自信がなくなってしまう。 これまで意識したこともなかったが、自分からはもしかしたらホモ臭みたいなのがぷんぷんしてやがんのかも、とサンジはずーんと落ち込んだ。 「俺のせいで喧嘩になってたりしたら、大変だと」 「イエ…オキニナサラズ…」 「そうかい。それならいいんだ」 カタコトで返したサンジの言葉にほっと安心したようにギンは笑顔を浮かべ、サンジもまた「ハハハ」と曖昧な微笑を返した。 (ちっとも良くねェっつの…) 一気に脱力して肩ががくんと落ちたサンジである。 タダでさえ今日は疲れきっている。これ以上この男と話をしても意味はない上に余計疲れるだけだと、おでん屋はあっさり「それじゃあ」と会釈して立ち去ろうとしたが、 「うちのド―――社長は、身内の俺が言うのもなんだが、癖のある人間で」 「―――は?」 いきなりギンが意味不明な話を始めてしまい、思わず足を止めた。 「そりゃもう強引で、俺らはついてくのが大変なんだ。悪い人じゃねぇんだが…いややっぱ悪いか…うーん、可愛いところもありはするんだがね」 「そりゃ…ご苦労さんなこって…」 「このマンションはうちのなんだが、ここを建てる時もそりゃあ揉めて困ったもんだった。現場の担当がロロノアさんじゃなかったら、最後まで完成してなかったかもしれねぇと思うよ」 「ゾロがここを」 「ああ。変更につぐ変更で見てるこっちがヒヤヒヤしたくらいだったが…あの人は『施主の希望に沿うのが仕事』だと言い切ってくれてね。社長の我侭を根気強く聞いて、素人だからって舐めたりせずに出来るもんと出来ねえもんをちゃんと説明してくれた。社長は見る目はある男だから、工事が終わる頃にはそんなロロノアさんを大層気に入って、ウチの事務所にスカウトしたくらいなんだ。だから、」 「だから?」 「――−だからあんたは、イイ人を見つけたんだと思うよ」 「………」 「どうか、その―――末永く仲良く、お、お幸せ、に…」 見るからに無骨な、口下手そうな男だ。 そんな男が饒舌に喋り捲り、仕舞いには目に薄っすらと涙を浮かべてそんなことを言うもんだから、サンジはとんでもなく驚いた。 非常に鈍感かつ間抜けな話だがサンジはこのとき初めて、目の前の男が自分に懸想しているのだと気がついたのだ。 その上でゾロと、『末永く仲良く幸せに』なれと言っているのだと。 混乱するおでん屋に、ギンはまた頭を下げた。恐らくは普段滅多にそんなことをする人間ではないだろうに。 「引き止めて悪かった。それでその、この花」 「え」 「他の男からこんなもんを貰っちゃ、あんたにもロロノアさんにもアレだとは思うんだが…誕生日の贈り物くらいは、させてくれねぇだろうか」 「誕生…」 「三月二日。今日だよな」 あ、とサンジは口をぱっかり開け、以前もまるきり同じ表情を拝んでいたギンは(やはり可愛い人だ)とこっそり苦笑した。 ゾロの退院騒ぎですっかり失念していたが、0時を回って確かに今日は、自分の誕生日だ。しかし何故それをこの男が知っている、と訝しげに眉を寄せたサンジに、ギンは頭を掻きながら、 「恥ずかしい話だが、アンタにあの晩出会ってから…イイ年してのぼせ上がっちまってな。申し訳ないが、勝手に調べさせてもらったんだ。気持ち悪いだろうとは思うが、まあもう俺なんかと顔を合わせることもねぇだろうし、花には罪はねぇから」 「………」 再び差し出された花束を、サンジは退けずに受け取った。 落ち着いて考えずともとんでもないストーキングのカミングアウトだったが、だからこそ彼がどれだけ勇気を振り絞って自分の前に立っているのかが解る。 想いが通じているはずの自分は、情けなくあの部屋を逃げ出したというのに。 サンジはぎゅっと大きな花束を抱き締めた。 これに込められたのと同じだけの勇気が自分にも宿るようにとの願いを込めて。 「テメェとどうこう、なんて気にはなれねェけど…これは貰っとく。―――良かったらそのうち、屋台に顔出してくれよ。お礼に一杯奢るから」 「サンジさん…!」 ギンの瞳はもう潤みきっている。おでん屋はそんな彼に晴れ晴れと笑って、 「あーでも、明日はダメだぞ?足腰立たなくなってる筈だから、臨時休業だ」 くるりと踵を返し、降りたばかりのエレベータに向かって駆け出した。 今頃は自分より遥かに落ち込んでいるだろう、たった一人の恋人が待つあの部屋に戻るために。 さんざん冷水を引っかぶったお陰で、ようやくゾロも一部分も落ち着いた。 ゾロはシャワーを止めて、水気を振り払うように頭をぶるぶると振った。凍死してもおかしくない水温だった筈だが、顔色こそ少々青褪めて見えるものの生命に別状はなさそうである。 さすがはベテランくれは医師をして『化け物』と言わしめた頑丈な男であった。 (…うし。酒でもかッ食らって寝るか) 逃がした魚は大きかったが済んだことをぐじぐじと考えこむのは性に合わない。 おでん屋へのアプローチは今日の反省を踏まえ後日改めてやり直すとして、―――気分転換のヤケ酒くらいは許されるだろう。 思えば長い入院中、アルコールの類は一切禁止されていた。自他共に認める大酒呑みだったゾロにとっては、おでん屋に会えないことの次くらいに耐えがたかった禁酒期間だったわけで。 今夜は今夜で久しぶりに訪れた屋台でも、退院祝いと称して常連が奢ってくれた一杯以外ロクに口にしていない。 (夜に備えて深酒は禁物)というゾロの殊勝な心がけは残念ながら杞憂に終わってしまったが、気持ちの切り替えの早い男はさっさと『家呑み』の算段を始めている。 (貰いモンの洋酒がどっかにあったな。足りなきゃコンビニ…ってのは夜中過ぎても酒売ってるもんだっけ) 脳内は既にバリバリの飲酒モードだ。 そんな効果があったんだかないんだか判断のし辛い禊ぎを終えてバスルームを出たゾロの視界を、不意にばふっと柔らかいものが覆い隠した。 「―――ッ!?」 「長ェんだよクソミドリ。オラどけ、交代だ」 「…おでん屋!?」 乱暴に渡されたタオルを慌てて引き剥がしてみれば、とっくに消えたと思い込んでいた金髪青年が、ニッコリと微笑んでいる。 幽霊でも見たような顔で呆然と立ち尽くすゾロの目前で、きっちり着込んだ服をポイポイ脱ぎはじめたのだから驚きも倍以上だ。 すっかり全裸になった青年が入れ違いに風呂に向かうそのすれ違いざま、ゾロは慌てて細い二の腕を掴み、サンジはギャアと飛び上がった。 「冷てッ!なんだそりゃテメェ氷みてェだぞ!」 「なんでまだ居んだ」 「………」 サンジはふん、と男の腕を振り払い、これから喧嘩でもするような目つきでゾロをぎっと睨み付けた。 「アホらしくて帰ってられッかっつうの。テメェはとっとと体拭いてベッドでも暖めてろ」 「…ハァ?」 「仕切り直しだ」 言うなりバタンと閉じられたドアを、ゾロは呆気に取られて見つめるしかなく。 「どうなってんだ…」 頭の中を疑問符で一杯にしつつも命令されたとおり素直にベッドに身を投げ出したゾロの鼻腔を、どこか懐かしい香りが擽った。 |
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(2004.06.18) |
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