春、間近 6 |
6 決戦間近 そして迎えた退院。 長らく世話になった寝衣からようやく私服―――昨日の面会時間ギリギリにおでん屋が届けたセーターとスラックスに着替えたゾロは、小さなボストンのファスナーをちーっと締めて「終わったぞ」と背後の部下に声を掛ける。 あっという間に出来上がった帰り支度にコビーは感嘆とも呆れともつかぬ声を出した。 「なんていうか、あっさりしたもんですねえ」 「あ?」 「いや、普通もうちょっとこう、荷物が溜まりそうな気がするんですけど…」 几帳面でよく気の回る部下は、あのザッパーな上司では退院にも手こずるだろうと、ケナゲにも片付けを手伝うつもりで少々早めに病室を訪れた。 病室を覗き込んでみればお約束どおり当のご本人はベッドの上で呑気に惰眠を貪っており、(やっぱり来てよかった)と胸を撫で下ろしながら大慌てでゾロを起こしてやったのだ。 しかし予想に反してゾロの私物はほんの僅かで、その点では手助けする必要はなさそうだった。 まあ趣味といえば体を鍛えることくらいしかない無骨な男である上に、完全看護のこの病院では細々とした生活用品は全て支給だったから、私物の溜まりようもないわけだ。 「そういうもんか?まぁ俺がすることつったらリハビリくらいだったしな」 「―――長い間、お疲れ様でした!」 何気なく漏らされた言葉に、不慮の事故とはいえ三ヶ月もの間さぞかしつまらない毎日を送ったのだろうとコビーは同情を深めたが、感慨深げな面持ちのゾロが内心(大威張りで昼寝が出来なくなるのは痛ぇ)などと不遜なことを考えていると知ったらさすがにため息をついたかも知れない。 うし出るか、とボストンを肩に掛けようとしたゾロに、コビーは慌てて手を差し出した。 せめて荷物持ちくらいしなければ何のために来たのだか解らない。 「持ちますよ…って、重ッ!」 「おあ」 小さな見た目に反し中身は本人の言う通りリハビリ用に持ち込ませた道具が主で、その重量は並ではない。 ゾロよりも頭ひとつ、体型ではふたまわり以上小柄な青年は肩紐を引いたそのまま後ろ向きにつんのめってしまい、ゾロは苦笑しながらひょいとバッグを取り上げた。 「もう怪我人じゃねぇんだからこの位はてめぇでやるさ」 自分には抱えるだけですら足がふらつく荷物を軽々と扱ってみせるゾロには、かつてこの病院に瀕死で運ばれたときの面影はまるで残っておらず、以前通りの体力勝負な上司をコビーは惚れ惚れと見上げる。 完治まで一年といわれていたのが嘘のような回復振りに感心しつつ、コビーは勢い込んで言う。 「いよいよ完全復帰ですね。社のみんなも楽しみにしてますよ」 「怒鳴られるのをか?」 片眉を上げた男から面白そうに問われ、気の弱い青年は「勘弁してください」と大げさに肩を竦めてみせた。 滅多なことで部下を恫喝することのない男ではあるが、それだけに一揉めあったときの怒りは凄まじく、想像だけで肝が縮んでしまうくらい恐ろしい。 「じゃあ僕は玄関に車を回してきます。ロロノアさんは支払いを済ませてきてもらえますか?」 「おう。ついでに医者に挨拶してくるわ」 (…あいさつ!) 面倒くさがりな恋人のために、前夜ふたたび病室を訪れたおでん屋がしつこく言い含めた退院レクチャーの賜物であるが、当然コビーがそれを知ることはない。 ロロノアさんもずいぶんと気が回るようになったものだとコビーはこれまた感心した。 会計で担当医の居場所を尋ねたゾロは、院内をぐるぐる迷いつつなんとか医局に辿り着いた。 丁度休憩時間を迎えていたくれは医師は「世話になった」と頭を下げた元患者に、「ああ本当に世話をかけられた」と皮肉でもって返す。 看護婦の指示にまるきり従わないばかりか脱走までしてのけた前代未聞の問題児だったのだから、そのくらいの嫌味は許されて当然だろう。 「まあ無茶ばかりやってくれたが、短い間によく頑張ったよ。二度と来るなと言いたいところだが、しばらくは週一で様子を見せにおいで」 「もう治ったぞ?」 「後遺症が一番怖いんだよ坊主。素人は医者の言うことを黙って素直に聞くもんだ」 インフォームドコンセントなどどこ吹く風な台詞だが、言われたとおりゾロは黙って聞くだけ聞くことにした。 どうせ難しいことを言われても理解できるわけがないし、ひとたび退院してしまえばコッチのものだとか思っているのだから最後までしょうもない患者である。 「ああそうだ、あの若いのにも宜しく伝えてくれるかい?」 「?」 「ナースたちはあれの差し入れを楽しみにしていたからね、もう会えないのかと皆淋しがっていた。―――年の割にはちと落ち着きが足りないが、ああいう明るいのはお前さんみたいな無愛想な男にはお似合いだろうさ」 「なんであいつの年を知ってんだバアさん」 それまでの飄々とした態度から一転して胡乱な目つきになったゾロに、くれはは(ほう)と僅かに目を見開いた。 「短い間だったがあれだってあたしの患者だ、カルテくらいは作ってるさ。あんたはもしかして相手の年も知らないのかい?」 「だったらなんだってんだ」 別に問題ねぇ、と嘯く男に「おやおや」と皺くちゃの顔がはじめて笑いの形に歪む。 「お前さんがそんなじゃ、向こうはさぞかし苦労するだろうねえ」 独り言のように呟かれた言葉に、ゾロは(やっぱもー二度とこの病院には来ねぇ)と誓いつつ、ぴきっと青筋の浮いた額が見えないよう、深々と一礼して部屋を後にした。 店主の名前はサンジ、性別男性、年齢28。一年半前に駅前ガード下にて小さな屋台を開店、現在に至る。 営業は平日の午後7時から午前0時まで。日曜祝日は定休日だが、それ以外はどんな悪天候でも店を開いている様子。 女性客に対しては非常に愛想が良く、男性客にはそれなりに。季節に応じて売り物が変わるが味には常に定評があり、客足はすこぶる良い。 (そりゃそうだろう。あの人がその手で作るものだから不味いわけがない) あのおでんは本当に美味しかった…!と馴染みの興信所に依頼して特急で作らせた報告書を手に、ギンはうんうんと満足そうに頷いた。 調査内容はもちろん、一昨日の深夜、事務所のあるマンションのエントランスで出会った青年について。 「どんなことでもいいからとにかくネタを上げて来い」と、現役時代を髣髴とさせる眼光で命を下した。その甲斐あって短時間で調べ上げたとは思えないほど情報は充実している。 (自宅はそう遠くないな。…オーナーとの諍いから商売替えか。あの若さと才能、糅てて類まれなる美貌の持ち主とあっては下界での苦労も偲ばれる) 果たしておでん屋はどこの世界の人間だというのか。 っていうか美貌って何。 各方面からツッコミが入りそうな独白だがしかし、刷り込み状態で恋に落ちたギンは既にサンジを天の御遣いに等しく神聖化しきっていた。 コックリさんならぬエンジェル様である。 何しろずっと裏社会で生きてきた男だから、あんな邪気のない笑顔で微笑まれたことは初めてで、それだけでも青天の霹靂だったのだ。 実際のところはサンジが見かけ以上に荒事に慣れていて、今更そこらのチンピラごときに怯えるほど殊勝な人間ではなかっただけの話なのだが、無論ギンはそんなこと想像もしていない。 詳細な報告書には彼のこれまでの『戦歴』についてもちらりと言及されていたが、「おおおサンジさんは運動神経もいいのか!」と新たな感動を覚える始末である。 (独身で、あんなに素晴らしい人なのに恋人もなし。…天の配剤だ…) 自分の性別そっちのけでチャンス!とかラッキー!とかガッツポーズを作るギンの姿はいっそ哀れだったが、穢れない少年のごとく初恋に胸をときめかせまくっている最中なのでそこは許してやって欲しい。 事務所の革張りソファーで報告書に一通り目を通したあと、ギンはゆっくり視線を窓の外に移した。 かつての名残で狙撃を恐れ、普段ほとんど上げられることのないブラインドは珍しくも全開。 そこから覗くのは未だ雪の残る道路が見えるだけのそっけない景色だが、その道は恋しい青年の屋台へと続いている。 (今日は月曜日。日が暮れる頃にはまたあの人に会えるな) そのときを思うとそれだけで胸が高鳴る。 壁に掛かったカレンダーにちらりと目を遣って、再会にふさわしい日だとギンはうっとり微笑んだ。 ところで依頼主の剣幕に慌てた所員が、調査対象に最近出来たばかりの恋人を見落としてしまったのは、彼にもギンにも不幸だったというしかない。 因みに同時刻、同じマンションの上階にある自宅に久々に帰宅したその男は、おでん屋によってきれいに片付けられた自分の部屋に大層ご満悦で、ギンと同様に今夜の逢瀬を想像しつつ頬を緩めていたようであるが、浮かれまくるギンには知る由もなかった。 |
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(2004.05.26) |
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