さくら 4





 切欠は、高校でのクラブ活動。
といっても本腰を入れていた剣道じゃない。練習の合間を縫うようにして覗いていた『心霊研究会』の方である。
 中学剣道でそれなりの成績を上げていた俺は誘われるまま市内の私立高校に進路を取り、当然のことながら入学前から剣道部に所属することが決まっていたが、新入生を狙って廊下に張られた一枚のポスターに 惹かれついそこへ足を向けてしまった。

『心霊研究会・部員大募集!オカルトや幽霊、超常現象に興味のある方の入部をお待ちしています』

 サンジという実例がなかったら鼻で笑い飛ばしていただろうが、その頃の俺はとにかく『幽霊』の情報に飢えていた。
 ぶっちゃけた話、幽霊に触る方法とか、あわよくば不埒なことまでする方法だとか、それは無理にしてもせめて二ヶ月と言わず半年とかの期間延長は出来ねえだろうかとか、そういうヒントを喉から手が出るほどに求めていたのだ。
 幸いなことに入部希望者が少なくて部にも昇格できないでいた心霊研究会は、兼部でもいいし名前だけでもいいと俺の出入りを大歓迎してくれた。
 そんなさなかの、

「霊魂が肉体を離れるのはどうしてだと思う?」

たまたま出席したいつだかのミーティング。
 部長の問いかけに熱心な部員の一人が揚々と答える。

「それはやっぱり、生命活動を停止したから…あぁ、それじゃダメね、生霊だっているんだもの」
「生霊?」
「生きたまま魂だけが徘徊する霊のこと。古典でやらなかった?有名どころでは源氏物語の六条御息所ね。プライドの高い彼女は光源氏のほかの恋人に嫉妬して生霊となり、初めは愛人である夕顔を、次に正妻・葵上を憑り殺した。ついには紫上も」
「…ってそりゃ作り話じゃないすか」
「あら、現代でも『そこにいるはずがない人が現れた』ってことは良く聞くでしょ」

 そんなことも知らないの、と呆れ顔になった部員に、俺は肩を竦めて返した。
良く聞くも何も勉強した割りに俺はいつまでも心霊関係には門外漢で、専門用語が出てきちまったらもうアウト。
 どれもこれもインチキ臭いおかしな呪文にしか聞こえねえ。

「生きてる人間ですら魂となって肉体を離れることがあるのに、死んだ人の全てが幽霊となって現世を彷徨うわけでもないのは不思議だと思わない?―――だからね、霊になるためにはある法則があると思うの。怨みやつらみ、思い残し、強い情念が霊になるかどうかを左右するとか。気持ちの深さが一定のラインを超えたときだけ、魂が離れるのよ」

『花が咲くところ、見てェなーって』

 昔聞いたサンジの言葉を俺は不意に思い出した。
イキナリお化けになったサンジには、恐らく最期に見かけた桜への並々ならぬ未練があったのだろう。
 毎年律儀に現れることからもそれはハッキリしている。

「人間にとって体は容器にしか過ぎない。これって人の本質がその魂にあることの証明だと言えないかしら」

 心霊研究会のおかしな特質のひとつとして、最初に振った話とまるで違うところに結論が落ち着くことが挙げられる。
この日もやっぱりこんな感じで、活動はワケが判らないお喋りに終始していたように思うが、俺は思わぬところからサンジを繋ぎ留めるためのアイディアを得ることが出来た。
 つまり、『強い情念が霊になるかどうかを左右する』。
だとしたら桜に向いてる奴の気を、上手いこと俺のほうに向けさせれば、サンジは俺に取り憑くかもしれないわけで。
 いつなんどき花見に飽いて成仏してしまうとも知れぬ幽霊を、しっかり捕まえておけるかもしれないわけで。
見ていられればそれだけで良かったお化けを、俺は本気で口説くつもりになったのである。










「―――で、お前はどうなんだよ」
「え」
「去年二ヶ月、俺ぁお前に散々言ったよな?お前が好きだ、他の誰もいらねぇからずっと俺のところにいろ、出来たらチューとかセックスとかやりてぇけどそんなのは二の次でいいからとにかく」
「わーやめろやめろやめろ!」

 サンジは白い顔を真っ赤にして「聞きたくない」とばかりに両手で耳を塞ぎやがった。
失礼な態度もあったもんだ。

「変わった奴だとは思っちゃいたが、お化けにセクハラして逆にビビらせるってなァどういう人間だ」
「ビビる必要はねぇぞ。男同士でどうやってすんのかくれぇはちゃんと調べたが、お前は影みてぇなもんだからな、ケツの穴に突っ込みたくてもまず服が脱がせられねぇし。あ」
「………」
「…裸で出られるか?だったら」
「ア、 アホかてめ…ッ」
「ズリネタにするだけだから落ち着け。挿入だけがセックスじゃねぇってモノの本にもあったし。おい知ってるか、ホモってなあ扱きあいしかしねぇカップルもいるんだと。俺ならそんなのはご免だが、相手がお前ならガマンしてやらんこともない。俺がマス掻くとこ見て恥ずかしがってるお前とか、見てたらめちゃくちゃ興奮しそうだし」
「―――いい加減にしろよゾロ。それ以上俺にエロいこと言いやがったら本気で取り殺すぞ」
「おうそりゃ望むところだ。観念して俺に取り憑けって」

 ニカッと笑った俺に、サンジががくりと肩を落とす。

「てめェはどうしてそう、躊躇いがねぇんだ…!」
「あぁ?」
「俺ァなぁ、どー頑張ったって所詮ユーレイなんだよ。こうしててめェとツラつき合わせてくっちゃべっちゃいるが、メシを食うことも便所に行くこともねぇの」
「んなこた知ってるぞ」
「だったらもう俺に惚れたとか言うな」

 やけに険しい口調で言い切られてムカっと来た。
今更俺が前言撤回するなんて思ってもいねぇくせに、幽霊なだけあってとことん往生際の悪い奴だ。

「何でだ。俺ぁ別にお前が幽霊でも気にしねぇって、」
「俺が気にするんだよクソボケッ!」
「!」

 出会ってからもうすぐ十年。
サンジが涙を流すところを、俺は初めて目の当たりにした。

「最初に言っただろッ…俺ぁ、桜が咲くところを見れたらそれでいいんだ、って。散るまで居させてくれたらそれでいいって」
「…おう」
「俺の人生はさ、九才の、あの事故のときに、とっくに終わっちまってるんだよ。生きてさえいたら出来たいろんなこと、遊んだり喧嘩したり嫌々勉強したり、そんなの全部、てめェにも話した将来の夢だって、とっくの昔に諦めた。てめェに俺の気持ちが判るかよ?好きなこと、いつだってなんだって出来るてめェに!」
「サンジ」
「てめェは俺なんかに構ってちゃいけねェんだ。お化けと遊ぶヒマがあったら、普通のニンゲンの『仕事』しろよ」

 真っ当な恋愛をして、先じゃ子供を作って、父親になれ。
自分が出来なかったことを代わりに俺にやれというサンジは、自分がどんなに残酷なことを言っているか気づいてはいないようだった。
 好きなことが何だって出来るなんてのは大きな間違いだ。
一番大事な奴が目の前で泣いてるってのに、俺は抱きしめることすら出来ないのだから。

「去年出てきたとき、てめェがトチ狂っておかしなこと言い出して、しまったと思った。本気でてめェの人生めちゃくちゃにしちまうって思った。―――なんでだか、この木が蕾をつけるころには化けてきちまうけど、俺ほんとはずっと前から」
「ずっと前から?」
「幽霊なんかが傍にいて、てめェの迷惑になったらどうしようって、ずっとずっと考えてたのに」

 片側だけ見える青い目から、ぽろぽろぽろぽろ、透明な雫が落ちていく。サンジの頬を伝って、開花直前の蕾に触れる前に消えていく幻の涙。
 お化けのくせに、口は悪いくせに、いつだって俺を気遣うサンジが、俺のために流した、初めての涙。

「―――ちっと避けろ」
「…ゾロ?」

 目前の枝までは恐らく四メートル足らず。
ついでに下には三メートル半ってとこだろうか。
 ガキの頃ならいざ知らず、今の俺なら助走がなくても簡単に飛べる距離だ。
カーテンレールに指先を引っ掛けて窓枠に乗り上げた俺を見て、サンジがぴたりと涙を止めた。

「おい?」
「ちっと下がれって。二人乗っかるにゃちと狭ぇ」
「バカ、やめろ、もし落ちたら―――ゾロッ!?」

 ばさばさっと枝が揺れて、大きく幹がしなった。
俺の鼻先には、びっくりして眼を大きく見開いたサンジの顔。
 こんなに近くで見るのは初めてだったが、近くで見てもアップに耐える俺好みに整った顔で、頭は思ってたより小さくて、グル眉はやっぱりおかしな具合に渦巻きだった。

「俺ぁ元々そっちの趣味ってワケじゃねぇんだ。それが男に惚れるってんだからなぁ、余ッ程だぞ?」
「…て、てめ、」
「お前しかいらねぇって何度言わせりゃ気が済む。やりてぇこと出来るのが生きてる奴の特権だってんなら、遠慮なくそうさせて貰うさ。お前が逃げて成仏しても地獄まで追っかけてやる。なぁ、こっちはやめて俺にくっつけよ」

 大の男が二人して跨った枝をぱしっと叩いて、呆然としたまんまのお化けの顔を下から伺うように覗き込む。
思い切り跳びついた拍子に枯れかけていた枝が折れて俺の短い髪に引っかかったようで頭の上の方が少々ちくちくするが、ここが正念場だと俺はじっとサンジを見つめた。
 お化けはしばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて「はあ」とわざとらしくため息をついた。

「てめェって、ホント変わってるよな」
「お前がそれを言うか?」

 ようやく笑顔を見せた季節限定の変わり者お化けは、それからゆっくりと瞼を伏せ、俺はうっかりサンジをすり抜けちまわないように、慎重に慎重に顔を寄せ―――
 みし、という不吉な音がサンジの後ろからしたのは丁度俺らの唇がくっつくかくっつかないか、って時だった。

「―――?」

 ハッと顔を見合わせた瞬間、バキバキバキーッと物凄い音を立てて、腰掛けている枝が根元からべりべり剥がれていく。
 一瞬で天地がひっくりかえる中、真っ青になったサンジの顔が俺の視界を掠め。
咄嗟のことに受身も取れないまま、俺はまっさかさまに地面に落っこちた。
 いつ倒れてもおかしかなかった古木である。
お化けのサンジはともかく育ちすぎた俺の体重を受け止めることは無理だったのだと気づいても後の祭。
 深夜の轟音に驚いて飛び起きた両親が庭に駆けつけてみれば、血だらけで意識を失った状態の俺が無様に転がっていたという。
 即行で救急車が呼ばれ、俺はそのまま入院するハメになった。
頭を庇って地面に打ちつけた腕は桜の木同様にばっきり折れ、ついでに勿論全身打撲の重傷である。
 一ヶ月ちょいの入院で済んだのは、鍛えていたお陰だ。
体中が軋んで身動きの取れない状態になってた俺はちらっと、

(いっそ死んでたら、あいつんとこに逝けたか)

などと親不孝かつ不届きなことを考えた。
 サンジは優しいお化けだから、もしそんなことになったらあの世から俺を追い出したか、それか二度と俺の前には現れないことを選んだろうから、やっぱり怪我で済んで良かったんだが、あともう一歩、のところでサンジを落とし損なった俺としては、色々と思うところがあるわけで。

(開花前で良かったぜ。退院する頃にゃあまだ葉桜だ)

 退院したら即リベンジだと誓った俺に下ったのは、神様なんか信じちゃいないが天罰とかいうヤツだったかもしれない。
 家に戻った俺を待っていたのは変わり者の幽霊ではなくて、地面に大きく穴を開けた、雑草だらけの空っぽの庭。
 サンジの棲家である桜は倒木の危険があるとかで、オヤに呼ばれた植木屋に根っこごと撤去されちまっていたのだ。





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 (初出2005.03.06/WEB2010.03.06)

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