さくら 5





 包帯だらけの姿で園芸店に飛び込み、スコップ抱えて大慌てに手ずから植樹した若木は、花見が出来るほど成長するのに十年はかかると言われた。
 四月早々に植えてからあっという間に季節は巡り、今はもう三月。
肥料をたっぷり含ませた土に埋めた桜は、即席の職人と化した俺からその後も丹精に育てられ、心配していた根も地面にしっかりついたようで、先じゃ立派な花を咲かせるだろう。
 しばらくはサンジに会えそうにもなかったが、たった九年の辛抱だ。
去年は花を待つまでもなく消えてしまったが、その分サンジの未練は募っているに違いないし、俺は相変わらずサンジ以外に欲しいと思う人間に出会うこともなく過ごしている。
 成仏する気配もなく毎年うちの桜に執着していたサンジはかなりしつこい幽霊だったと思うのだが、俺はアイツよりずっとしつこい性格なのである。
 この木が無事に育ったとしてサンジがまた現れる保証なんざどこにもなかったが、俺が口説いてる最中、サンジは「やめろ」と言いはしても一度だって俺を嫌いだとは言わなかった。

(―――あれで脈がねぇつったら嘘だろ)

 また会える、というのは希望ではなく確信だ。
もし本当に、気持ちの深さがアイツを幽霊として存在させるというのであれば、ガキだったアイツが死んだときよりもずっと、想いは深くなっていると思う。
 なんせ二人分、単純計算でも二倍なのだ。
そうやってヒマさえあれば庭に座り込んで若木を見つめていた俺の頭の上から。

「よう」

 懐かしい声が聞こえた。









 一人っ子のくせに四畳半しかない俺の部屋は自慢じゃないがぐちゃぐちゃで、サンジは「うへえ」と悪態をついたあと、仕方なくベッドに腰を下ろした。
 いつだかの俺が夢で見た光景だが、あの時はまだ中学生くらいでそれなりに幼かったサンジは、恐らく俺と同じ十九歳にまで成長している。
 そんときと違うのはもうひとつあって、いつもぼんやりと淡く発光しているようだったサンジの体は、色こそ白いままだったが、俺と同じだけの存在感を伴ってそこにあった。

「いやそれが、俺、死んでなかったみてェでよう」

 お化けだった頃と同じく他人事のように自分の話をするサンジは、とんでもない発言を受けて「あぁ!?」と上げた俺の大声に、恥ずかしそうに身を竦めた。

「―――あの日てめェが俺の目の前で落ちて、それきり動かなくなって。焦ったぜ、俺にそんなつもりはなくても結果的に取り殺しちまったんだって思ったからな。でもすぐにおじさんとおばさんが駆けつけて、それから救急車が来て。俺は何にも出来ずに、バカみてェに木の上でおろおろしてたっけ」
「………」
「それから朝になって夜んなって、おばさんたちが命に別状はないって喋ってるの聞いて、すげェ安心した。それから、危ないから桜は切り倒そうって話になったけど。これでもう、ホントにてめェに迷惑かけなくて済むって、また安心したんだ」
「…アホか。それでお前が消えてたら俺ぁマジであの世まで追っかけてたぞ」

 俺の返答にサンジは「どっちがアホだ」と少し笑って、

「見たことのねェオッサンが、レザーフェイスが振り回してるみたいな電ノコ使い始めてさ。低いほうの枝からどんどん落とされてって、そうするたびに少しずつ、俺の体が薄くなってくんだ。まだ蕾も小せェってのに。すっかりハゲになっちまった頃には自分がどこにいるのかも判らなくなって、最後に幹が倒されてそれっきり真っ暗になって―――次に気がついたときは、病院のベッドの上だった」

 登校途中に交通事故に遭ったサンジは、身体的にはそこまで酷い怪我ではなかったと言う。しかし十分な治療を施しても意識だけは回復せず、延命装置をつけた植物状態のまま十年をベッドの上で過ごしていたのだそうだ。
 長年意識不明だったその原因を担当の医者はアスファルトに叩きつけられた際に頭を強く打ち付けたせいだと結論づけたらしいが、俺にはサンジが幽霊になった理由も、いきなり目覚めた理由もなんとなく掴めた。

『心霊研究会』での誰かの言葉。
サンジは幽霊ではなく『生霊』として俺の家の桜に憑いていたのだと思う。

「まさか俺も、自分が生きてるとか思ってもみなかったから。丁度傍に居た看護婦さんが、いきなり目を開けた俺にびっくりしてジジイを呼びつけてさ。病院中が大騒ぎになったんじゃねェかなあ。―――俺、ジジイがあんなに泣くとこ、初めて見た」

 長い付き合いの中で語られた肉親は、幼かったサンジにも甘いところを一切見せない厳しい人だったと聞いている。
 まあ動かないまま死んでしまうかと思っていた孫が突然元気になったってんなら、涙の一つも零すだろう。
 そんなサンジの話を聞きながら俺は段々イライラしてきた。
いや別に嬉しそうにジジイとやらの話をされたからではなく、生きていたなら何ですぐ俺に連絡しなかったか、てぇのに思いっきり引っかかったからだ。
 仏頂面で文句を言ってやると、サンジはさっと頬を赤らめて、

「…だっててめェ、俺が生身だって判ったら絶対エッチなことすると思ったし」

 眉毛を下げて唇を尖らせた顔のあまりの可愛らしさとご尤もな発言に、俺はぐっと詰まった。

「あと、ずっと寝たきりでいたから、俺ってそりゃもう情けねェくらいガリガリでさ。リハビリで歩けるようになるのも結構タイヘンだったし、俺の治療費でジジイは老後の蓄え全部使い込んじまってたし、俺一応十九歳なんだけど、ぜんっぜん勉強してなかったから…めちゃめちゃ頑張って、ようやっとふつーに外に出れるようになったんだぜ?」

 ちょっとだけ自慢げに話すサンジは、たった一年で社会復帰するために俺が想像出来ない程の苦労をしただろうに、そんなのを微塵も感じさせない明るい口調でまくしたてた。
 青い瞳は俺だけのお化けだったときとは比べ物にならねぇ位、生命力に溢れてきらきらと輝いている。

「…そうか」
「おう」
「良かったな」
「うん。っておい、何でてめェそんな顰めっ面なんだよ」
「む」

 ベッドから立ち上がったサンジにいきなりぐいっとトレーナーの襟刳りを掴まれて、床に胡坐をかいていた俺は無理やりその場に立ち上がらされた。
 真正面には、最後の夜と同じくらいの至近距離で俺を見つめる、もとい睨み付けてくるサンジがいる。
 厚みはねぇがやっぱ身長は同じくらいだな、と現実感のねぇところで思いながら、俺はどうリアクションを返していいもんか悩んだ。
 下手したら二度とお目にかかれなかったサンジがまた俺の目の前に現れて、更には実は生きたニンゲンだったと聞かされて。
 決して嬉しくないわけじゃなかったのに、いまだ実感が沸かないせいか、俺のアタマん中はどうもおかしな具合にこんがらがってしまったのだ。
 お化けじゃなくなったサンジは、同時に俺のもんでもなくなった気がして―――なんとなく面白くねぇとか、今の正直な気持ちを言ったら、多分いや絶対ケンカになっちまう。
 折角生き返った?ばかりなのにそりゃマズイだろうと、俺は慌てて表情を取り繕ったが、ちっとばかり遅かったらしい。

「んの、薄情モノがッ!」
「ぐお!?」

容赦のない膝蹴りを腹に打ち込まれ、思わず前のめりになった俺の首根っこを、サンジの細っこい指ががしっと摘み上げた。
 ウェイトの差をまるで感じさせない攻撃に一瞬ひやりとした俺だが、そのあとのサンジの行為はそんな驚きをあっという間に吹っ飛ばした。
 顔を上げたところを狙い澄ましたかのようにばちんと両手で張られたそのまま、頬っぺたをぎゅうっと強く挟まれ、

「ッ!」

ちゅっと音を立てて、柔らけえもんをくっつけられたからだ。

「たった一年で、俺んコトなんかどうでも良くなっちまった?」

 ゆっくり唇を離したサンジは、俺の頬に手を添えたまま、真っ直ぐ俺の目を見つめている。

「俺ァずっと、てめェに会うときのことばっか考えてたのに。あんなにしつこく迫り倒したクセに、覚悟決めて戻ってきたってのに、てめェは全然、」
「待て待て待て!」

 喋ってるうちにすぐ先の蒼?がどんどん潤いを増してきて、俺は慌ててサンジの言葉を遮った。

「いや悪かった。どうでも良くなんかねえ。俺んとこに来てくれてすげえ嬉しいし、お前がホントは生きててくれて、それもすげえ嬉しいと思ってる」

 お化けサンジの機嫌を取るのも慣れたもんだ。必死で掻き口説きながら俺はついでにオマケとばかり、サンジの腰に自分の腕を回してみた。
 今まで一度だってこんな風に触れたことのなかったサンジは、見た目通りになんというかこう、俺なんかよりゃよっぽど細いんだけど、俺の腕にはサンジの実体つうか肉の感触がちゃんと伝わってきて、こんなときだってのに俺はなんだか下半身がむずむずしてきて心底参ったが今更手離せない。
 ずっと欲しかった俺だけのお化けが、ようやくホントに手に入ったのだから当たり前だったのだが―――

「ん?」
「…ゾロ?」
「なんでお前、んなしおらしく俺に抱かれてんだ」
「アァ?」
「俺が本気でコクってる時は、ぜんっぜん素直じゃなかっただろ」
「………」
「まさかコレも夢じゃねぇだろうな」

 思わず自分の頬を抓った俺にサンジは呆れ顔で溜息をつき、やがて意を決した、と言わんばかりに真剣な目で、

「―――あんときゃ俺、自分のことユーレイだと思ってたし」
「?」
「だからその、俺にゃ長ェことてめェしかいなかったから」
「そらまあそうだが…」
「大体俺が、ウチの店の前に幾らでも生えてるのじゃなくて、てめェん家の桜に憑いたのも、あのドヘタクソな歌聴いて、」
「イヤまだ覚えてやがったのかよ」
「『風邪で休んでるゾロってのはコイツかよ』って、それで」
「それで?」
「なんか面白そうだから、と、」
「と」
「…もだちに、なりてぇなー、とか…って、てめェ何だそのニヤケ面は!」

 ガマンできなくて緩めちまった頬を、今度はサンジの指が抓り上げた。手加減なしにやられて「イテテテ」と大袈裟に痛がって見せたあと、俺は今度こそ力いっぱいサンジを抱き締めて、丁度目の前にきた耳朶に齧りつく様にして囁いた。

「十年も付き合ってきたんだ。トモダチくれぇじゃ済ませてやれねぇぞ?」

 腕の中でぴくっとサンジが震えたのが判ったが、そ知らぬ振りでそのまま白い首筋に顔を埋めてやる。
 サンジはやっぱり何の抵抗もせずにそれを受け入れて、

「―――覚悟決めて戻ってきたって、言っただろクソ野郎」

 ぼそっと聞き慣れた悪態を漏らしながら、俺の背中に腕を伸ばした。





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 (初出2005.03.06/WEB2010.03.08)

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