暴動チャイル 2





瞼を開けると、灰色の天井が目に入った。

「…あ…?」

後頭部と鼻がズキズキと痛む。特に頭の方には瘤が出来ているようで、腕をまわして触るとぷっくり膨れていた。痛みに響かないようゆっくりと上体を起こし、サンジは改めて辺りを見回す。
 己がいるのは味も素っ気もないパイプベッド。どうやら自分はこれに寝かされていたらしい。体の下のちょっとばかし湿った布団が気色悪かった。

(ドコだここァ)

まるきり見覚えのない部屋だった。狭い部屋の半分近くを占めるベッドの傍には、しわくちゃのプリントやら薄汚れた体操着やらで埋め尽くされたそりゃもう汚い勉強机。一見するに本来の意図で使用されたことはなさそうだ。
 床には申し訳程度に敷かれたカーペットと、やはりその上は足の踏み場もないほど物が散乱している。襖なんかもビンボったらしく破れまくっていて、まるで空き巣に入られた後のような有様。
 こりゃーあんまりだろ、とサンジは思いっきりそのグル眉を顰めた。

(キタナすぎる)

サンジは自分が特段キレイ好きだとは思わないが、ここまで散らかっていると流石にゲンナリしてしまう。
 なんだか視界に入れるのもイヤになってゴミ溜めから目を逸らすと、ベッドの足のほうに金ぴかのトロフィと盾がごろんと放置されているのを見つけた。

「?」

なんだか気になり、よっこらせと体を伸ばして手に取ってみると、

『第32回全国中学校剣道大会個人の部優勝』

なんつってご大層な名目。
 剣道、という文字を見て、チカッとサンジの頭に閃くものがあった。

(剣道…カタナ…?―――ミドリアタマの腹巻野郎…にナミさん!)

寝惚けた頭が一気に覚醒し、サンジは勢いよくベッドに立ち上がった。急激に動いたせいで後頭部にズキっと痛みが走り、あたたたたとしゃがみこむ。

「…なんなんだよこの痛みは。っつか何で俺はこんな汚い部屋にいんだ」

思わず声に出してしまう。しかし頭を打ったショックで、気絶前の出来事をうまいこと思い出せたのは僥倖だ。
 フラつく頭に一気にこれまでの顛末がフラッシュバックする。




 この日の昼休み。いつも通りお手製弁当を開いていたら、顔くらいしか知らないクラスメイトその他が近寄ってきた。
 自他共に認める超のつくフェミニストで、男性蔑視の観を持つサンジは、普段わずかな友人以外の男子とナカヨクお喋りしたりはしない。つかしたくない。
 ので、この時も当然、

『んだテメェ、誰だか知らねーが俺の楽しいランチタイムに汚いツラ出してんじゃねェ』

とご自慢の凶悪ヅラで取り合えず凄んでみた。
 ところでサンジの見てくれはかなりイイ。
襟足までの長さの蕩けるようなハニーブロンド。日焼けしない体質の肌は陶磁器のように真っ白で。
 長く垂らした前髪で半分隠しているのが勿体無いブルーグレイの瞳は、宝石もかくやと思わせる輝きを放っている。
 鼻は高すぎず低すぎず、よく喋る大きな口に薄めの唇は絶妙のポイントを維持しているし、ムダな肉の一切ないすらっとしたスレンダーな肢体に、長めの足。グルグル眉毛はご愛嬌だ。
 まさに非の打ち所のない美少年だと、鏡を見ては自画自賛するほどなのだがしかし。

男として、それだけではいかん、むしろこれではいかんとサンジは思う。

 一見王子様風の見かけとは正反対なことに、サンジはかなりな負けず嫌いのゴンタである。
 幼い頃からその人目を惹く容貌をからかわれ続け、そのたびに有無を言わせずケリ飛ばしてきたが、どーにもこのプリティフェイス(…)は舐められ易い。
 そこでサンジが知らずマスターしたのが、このメンチ切りであった。なまじ端整なだけに、三白眼でギリリと睨みつければ大概の人間は引いていく。
 今ではサンジの(男に対する)凶暴性はあたり一面に知れ渡り、少なくとも同じ中学で喧嘩を売ってくる人間はいなくなった。
 しかしこの時、サンジに近寄ってきた無骨な少年たちは、ビビりこそすれ逃げ出すような真似はしなかった。そればかりか馴れ馴れしく話しかけてくる。

『サンジ君、2年のナミって知ってるだろ?』
『…ナミさんを気安く呼び捨てにしてんじゃ…』
『うわあ待て待て、足下ろしてくれッ!』

お約束どおり不届きな男に踵落としをくれてやろうとしたが、それよりも早く衝撃的な一言。

『いや、そのナミ、…さんが、東中のロロノア・ゾロって不良に襲われたのは知ってるか?』
『アァ?襲われ…た、だと?』
『学校帰りに連れてかれてよ、ズバリ強姦されちまったんだよ』
『…ッ…』
『泣いて嫌がるのを無理矢理路上でツッコんでたんだぜ』
『俺ら助けたかったけど、ロロノアはやたら滅法腕が立つ上に、そりゃもう凶悪で』
『なんだそりゃー!』

ナミはサンジの愛する全世界全てのレディの中でもかなり上位にランクインする美少女だ。
 可愛い上に頭がよくて。明るくて、性格もいい。仮にも上級生である自分にも物怖じしない度胸の良さも含めてのお気に入り。
 目下サンジが熱烈にアプローチしているうちの一人でもある。相手にされていないうちの一人でもあるが。
 そのナミが、よりにもよって、路上で無理矢理×××。
沸点の非常に低いサンジなので、すぐに頭の中はナミに起こった悲劇と、犯人に対する物凄い怒りでいっぱいになった。

『…誰がやったって…?』
『お、おう。東中のロロノアだ』
『連れて来い!んな人でなしはこの俺が宇宙の果てにぶっ飛ばしてやらぁ!』

激昂したサンジがそう宣言すると、男たちは口々に言い募った。
そう云うと思ってもう呼び出しもかけてある。
ヤツの家の近くの河原に行って、後は気の済むまでぶっ飛ばしてくれたらいい。
何なら腕の1〜2本折ってやっても。
 なんてちょっと考えたらあまりの都合と準備の良さに考えそうなモノだが、そこはかなり浅慮なサンジであったので、怒りのままに河原へ赴き。
 話どおり凶悪な顔をした男―――ロロノア・ゾロと立ち会ったわけである。
おかしな腹巻男とちょっとばかり過剰なスキンシップを交わしていたら、

「そこにナミさんとウソップが来て、」

自分がアホみたいに踊らされていたことを知ったのだ。

「〜〜〜〜〜ぐああああああ!」

木刀でぶっ叩かれた痛みも忘れて、金髪に両手を入れて掻き毟った。
 呆れ返っていたナミの顔を思い出す。
恥ずかしさと騙された悔しさと、アッサリ引っかかった自分のアホっぷりに居ても立ってもいられなくなり、ベッドの上にひっくり返り足をじたばたさせて暴れまくる。

「オイうるせぇぞ。ようやく気がつきやがったのか」
「!」

いきなりバンッと襖が開かれ、現れたのは忘れようもない緑頭。
 これ以上ないほどの仏頂面をしたロロノア・ゾロである。思い出したくもないその顔を見て、サンジの顔が今にも泣き出しそうに歪んだ。

「…テメェ…何でココにいやがる…」
「アア?俺の家に俺がいてなんか悪いことでもあんのか」
「テメェ、の家?」
「おう」

混乱したサンジには何がどうなってるんだかサッパリ解らない。

「ナミにぶん殴られて気絶したお前を、取り合えずウチに運んでやったんだ」
「は…そりゃどうも…」
「気がついたんならとっとと出てけ。俺ァ忙しいんだ」

ぶっきらぼうに言い放つと、ボンヤリベッドに立ち尽くしたままのサンジには目もくれず、ずかずかとゴミを踏みしめ上がりこむ。
 サンジが慌ててベッドから降りて家主を振り返ると、湿った布団に長身を横たえたゾロは、腕組みした格好で目を閉じていた。
 不思議に思ったので声を掛けてみる。

「忙しい奴が何で寝るんだ」
「うるせぇな、眠いんだよ俺は」
「今何時だ?俺はどんくらいここに」
「―――時計なら机だ」

云われるままゴソゴソと山積みの机を漁ると、端の欠けた目覚まし時計が出てきた。
 時刻は8時30分。健全な男子中学生が寝入るにはいくらなんでも早すぎる時間である。

「なんだ、そんな時間経ってねぇんだな」
「………」
「なぁオイ、ナミさんはどうしたんだ。ウソップは」
「………」
「テメェがナミさんとイタしたってのはガセなんだろ。なんで隣のガッコーのテメェがナミさんとタメ口きいてんだ」
「………」
「返事しろクソ野郎」
「―――うるせえつってんだろ!」

突然起き上がったゾロの剣幕にサンジがきょとんと目を見開く。

「ナミはバイトがあるとかってさっき帰った。鼻の長いのは塾だっつって河原で別れたっきりだ。ナミとはヤってねぇしあいつは俺のイトコで、ついでに教えてやるがこれから先もあんな守銭奴とは頼まれたってヤる気にならねえ!解ったら消えろ」
「イトコ…そうかイトコか!」
「帰れつってんだ」
「や、おっかしいと思ったんだよなァ。あのナミさんがテメェみてーなダセェ腹巻男と付き合う筈ねぇもん。にしても焦ったぜ〜」

どうやらサンジにはゾロと"会話"する気などはハナからないらしい。
 苛々と青筋を浮かべるゾロを全く気にせずにまにまと機嫌よく喋り続けるサンジに、ゾロの目がどんどん据わっていく。

「―――今度こそぶっ飛ばすぞ…」
「んん?何だテメェ不機嫌なツラ晒しやがって」
「こっちは誰かさんのお陰で晩飯食い損なってんだ。明日の給食まで寝てーんだよ」

その時間まで寝入るつもりなのだろうか。

「俺のせいだ?って昼まで寝る気かよ。メシ位食ってから寝ろ」
「今から喰いに行けるかメンドくせえ」
「お前の親はどーしてんだ。んなことでいいのか」
「お袋はとっくに死んでるし、親父は海外に長期出張だ。そういや1年会ってねぇな」
「…そうか…」
「そーだ」

じゃあこいつは、この汚い部屋に一人で暮らしているわけか。まだ中坊だってのに。
 ほぼ初対面の人間から、さらりと物凄いことを聞いてしまった気がして、今まで同年代の他人と深く付き合ってこなかったサンジはなんだかどきどきしていた。
 サンジは粗野な態度とは裏腹に情に厚いタイプである。ついいらぬ同情心を発揮して、

「おいクソ腹巻。メシなら俺が食わせてやるから起きろ」

なんて云ってしまっていた。

「ああ?」
「台所借りるぜ?テメェが今まで食ったことねー位、美味いモン食わせてやる」
「イキナリ何云って…」

振り返りざまニッカリ笑ってみたのが功を奏したらしい。
 不意をつかれて二の句が告げないでいるゾロを無視して、ゴミを踏んづけないようにそろそろと部屋を出る。襖の向こうもさぞかし散らかっているだろうと思いきや、続くリビングはがらんとして殺風景なほどにキレイだった。皮製のソファもガラステーブルもかなり趣味がいい。
 隅っこのパキラの鉢植えがものの見事に枯れてさえいなければ、通販雑誌にでも載れそうなご立派なお住まいだ。

(なるほど。散らかしてんのはテリトリーの中だけってか。ドーブツみてぇなヤツ)

さて肝心の台所はと目を遣ると。

「うおっ!」

見つけたのは、これまた素晴らしく豪華なシステムキッチン。思わずダッシュで駆け寄って近くでまじまじ眺めてしまう。
 モスグリーンのタイルの壁に、鏡面仕上げもぴっかぴかの食器棚。どでかいシンクに三口コンロ、大型のオーブンレンジまでついている。
 サンジはいそいそと引き出しを開け、取り合えず必要そうな調理道具をチェックした。

「へぇ。道具も結構ちゃんとしてんじゃん」

惜しむらくは使われた形跡がないことだろうか。缶切りの先っちょが微妙にサビているのを見て、サンジはうぬう、と唸る。宝の持ち腐れとはこのことだ。
 隣接するこれまた大型の冷蔵庫を開け溜息をひとつ。
ビールビールビールビールビールのオンパレード。かろうじて見つけた食材?は開封済みの『ごは○ですよ』。それも4年前で賞味期限が切れている。

「オイ勝手に触るんじゃねぇ」
「やもめ暮らしのサラリーマンかよ…おいゾロ、俺ァひとっ走り食材買ってくっからよ、テメェはその間にうさぎ小屋の掃除でもしてろ」
「聞けよ人の話を!」

さっさとスニーカーを履き、ドアをばたーんと景気良く閉めて出て行ってしまう。
 コトの成り行きに唖然とするゾロをほったらかして、頭部の痛みはどこへやら、サンジは元気に外に駆け出していった。



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 (2003.02.05)

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