かわいいひと 2





 さてサンジが登校するきっちり10分前、1年F組教室の出入り口。

(また居やがらねェ)

 堂々仁王立ちの少年は、端整なその面を凶悪に顰めてそんなことを思った。

(何回、俺に足を運ばせりゃ気がすむってんだ。つうか、学校来てんのかあの野郎)

 教室をぐるり見渡して、探す金髪の姿がない事をもう一度確認すると、軽く舌打ちして踵を返す。
 ドアから三歩ほど進んだところで、ゾロが立ち塞がっていたため教室に入れなかった生徒が逃げ込むように中に入った。

「怖ぇよな〜毎朝。なんだあいつ」
「一年だよな?」
「うちの組になんの用事だ」
「でもかっこいいよね、好みかも」
「無口なところがねー」
「つうか、一言くらい話しゃいいのにな」

 ゾロが後ろを向いた途端、彼らは怪しげな来訪者について口々に噂し始める。
勿論その声はゾロの耳にも届いているのだろうが、だからといって少年が何のリアクションを返すわけでもないのもいつものことで。
 当初はその強面に怯えていたF組の面々も『どうやら害はないらしい』とコッソリ軽口を叩けるほどになった。
 入学式以来毎朝必ずF組に現れる謎の緑髪の少年は、サンジの知らないところで既にクラスの名物である。

「―――よう剣豪!」

と。
 廊下のど真ん中をスタスタ己の教室へと向かう少年に、背後から揶揄い混じりの声が掛かった。
 聞き覚えのある声音にゆっくりゾロが振り返ると、

「…エースか! あんた、なんでこんなとこに」
「や。どうもご無沙汰しております」

ペコリと頭を下げたのは一年ほど前から行方不明となったはずの友人だ。
 昔馴染みはニッカリ笑って近づくと、ゾロの肩をばしんと叩いた。

「先週からこのクラスで世話になってんだ。ったく、いつ声掛けてくれっかと期待してんのに、全然気がつかねえんだからよ」
「…そりゃ、悪かった」

気がつく筈がない。
何せゾロは毎朝F組に通ってはいるが、あの中身の詰まってない金髪頭しか意識に留めていないのだから。

「や! イヤイヤ、責めてるワケじゃねえんだ、ナミちゃんから話聞いてっから。―――アイツだろ?」

訳知り顔でニヤっと笑うエースに、ゾロの眉毛がぴくっと上がった。








 久しぶりに会った旧友とは、休み時間に改めて会う約束をした。
それでは今日はその分昼寝が出来ないということだ。
仕方なく足りない睡眠時間を約束の時間までに補うことに決め、

「ふあーあ」

周囲が驚くほど大きな欠伸をひとつ漏らしてゾロは机に突っ伏した。
 途端、ガコッと後頭部に衝撃。

「………」
「俺の目の前で寝入るたあイイ度胸じゃねえかロロノア!」

 後頭部を擦りながらメンドくさそうに顔を上げると、担任兼体育教師のスモーカーが出席簿をゾロの頭に乗せたまま見下ろしていた。
 因みにゾロの席は教卓の真正面に位置する。
全くもってイイ度胸であった。

「他の教師と一緒に考えるな。特待生だからって俺は容赦しねえ、貴様もいい加減にその眠り病をなんとかしろ。おまけに今日はまだ始業前じゃねえか」
「眠いんスよ…」
「なんだと?」

 反省の色もないゾロの反応にスモーカーの顔が一瞬怒りで赤く染まったが、対する少年は寝惚け眼もいいところの虚ろな表情である。
 オトコマエ台無しなその間抜けぶりに怒りを通り越して呆れつつ、

「お前、本当にあのロロノア・ゾロか?」

思わず教師にあるまじき呟きを漏らしてしまう担任である。







 なにしろこのロロノア・ゾロ。
幼少より剣道一直線でここまでやってきた彼は、中学時代3年間を通して無敗の記録を誇る天才剣士であった。
 その腕前から当然、剣道部の活躍で知られた同県の某高に進学するものと噂されていたが、何故か3月も後半ギリギリになってから急遽剣道では無名のこの学校へ入学希望を申し出た。
 何せ全国3連覇の有名選手である。
新興の私立校としては名を上げるに打ってつけの生徒であるから、一も二もなく受け入れたわけなのだが。

「三年寝太郎だとは聞いてねぇぞ…」

 幾らスポーツ特待生とはいえ、入学以来そのほとんど全ての時間を睡眠に費やす期待の新入生に、スモーカーの分厚い肩がドッと下がった。















 同日昼食時間。

「なぁ、お前飯食ったらひま?」
「ワケねーだろ、俺ァこれからレッツナンパだ」

 サンジがいつもの如く机の上にお手製弁当を広げたところで、隣席のエースが声を掛けてきた。
 普段は購買でパンを買い占めては食を補う彼だが、その前に必ずサンジの弁当を覗き込むのが既に日課となっている。
 エースは今日も彩り豊かなそれを眺めながら、

「おっこりゃまた美味そうだな〜。なぁなぁ、玉子焼きちょーだい」
「いーけど…って云う前から食ってんじゃねェよッ」

何層にもきれいに巻かれたそれを指先でつまみあげ、ばくりと口に放り込む。

「ナンパねェ。それよりもっと手っ取り早い話があんだけど」
「…あァ?」

 睨みつけるサンジの三白眼にも悪びれず、もぐもぐ口を動かしながら続けた彼の言葉に、少年の目の色が変わった。

「イヤ、あんたに紹介してやりたい子がいてさー」
「―――何ィッ!?」

 即座にばったーん! と椅子を倒して立ちあがるサンジの青い瞳は驚愕にパッと見開かれ、その後ゆっくりハートマークに変化した。
 ここらへん女好き健在である。

「イヤー、俺の知り合いなんだけどさ。なんつーか、どーもアンタにベタ惚れらしくて」
「ベタ、惚れ?」
「ここはひとつ旧知のヨシミで俺が取り持ってやれたらなー、なんちて! にゃはは、どうよサンジ、いっちょ乗ってみねぇ?」

 悪戯ッ子のように己を見上げるエースの眼差しに、サンジの白い頬がぱああっと紅潮した。
 生まれてこの方15年、性格が影響してかオンナノコを追っ掛けることはあっても表立って追われた経験のないサンジである。
 思いがけない申し出にちょっぴり足りない脳味噌は混乱して沸騰寸前、耳から溢れる勢いだがそれを必死で堪えつつ、小首を傾げてエースに問い返す。

「…まじ?」
「マジもマジ大マジ、そりゃもー大マジメ。どーよメシ食ったら会ってみない?」
「会う会う! っつか、カワイイ?」

 イヤ俺は別にルックス重視じゃねェケド、やっぱハートだけどでもォ〜と身をくねらせる痩身に、エースのそばかす顔がにまぁっと歪んだ。

「カワイイってか、どっちかっつーとキレイ系かなあー」
「キレイ系…おおおおお姉サマ…?」
「お姉さま?」
「つうとアレか、アタシアナタみたいな子がタイプなの、とか! 坊やこっちへいらっしゃい、とか! 初めてならいろいろ教えてあげるわよ? とか! ファスナー降ろしてくださる? とか! …うおーどうしよ俺ゴム持ってねェよオイ!」
「アハハハゴムはいらねーだろ」
「…アァ? て、てめェまさか避妊しねぇタイプかよ? 見損なったぜエース!」
「や、言ってないです」

サンジの脳内では既にものすごい妄想が繰り広げられているらしい。
 ブツブツしつこく呟き続けるのを、

「あー、まぁいいから。取り合えず座ってメシ食え。な?」
「お、おう」

制服の袖口をエースにくいくい引っ張られ、夢見心地のままサンジはへにゃりと椅子に腰掛けた。
 気を取り直して箸を握るが、胸がいっぱいで大事な食事が喉を通らない。

「ああッダメだ食えねー! …悪ィけど、俺のカワリに食ってやってくんねェか」
「―――ご遠慮なくイタダキマース!」

ガツガツと弁当を頬張るエースの姿など、既にサンジの視界の隅にも入っていなかった。








 そうしてクラスメイトに連れられるまま逸る心をおさえて向かった先は、かつてサンジが上級生に呼び出しをくらった例の裏庭である。

(ってまたココかよー!)

 ウキウキ気分はどこへやら、思わずグル眉を中央に寄せるサンジ少年だ。
 散り初めの桜には既に葉が混じっているが、それでもなかなかに見応えがあって風情かなり良し。
愛の告白にはうってつけの場所だろう。
 しかしサンジの機嫌は一気にサイアクになった。
何せこの場所にはイイ想い出がない。
あるのは、

(あんのクソマリモに)

無理矢理キスされた記憶だけ。
 あの日この場所で、逞しい身体に乱暴に抱きしめられ、髪を引っ張られて噛み付くように口付けられた。
絡められた舌の熱を思い出し、ゾクリと身が竦む。
 サンジの白い指が、無意識にゆっくり己の唇をなぞった。

(―――ってウットリしてどーすんだ俺ッ!)

ぽうっとなる金髪頭をぶんぶん振って、サンジはゾロの感触を追い払う。

(あんな男のこたァこの際どーでもイイ、それより今はオンナノコだ!)

とサンジはきょろきょろ裏庭を見回した。
 昼休みとあって以前は閑散としていた裏庭も、今は結構混んでいる。
ぐるり見渡しサンジはでれえと眉尻を下げた。
 中央で弁当を広げくつろぐ少女タチもいれば、木陰でおしゃべりに興じるお姉さんタチもいる。
隅っこでタムロしてるムサ苦しいカス共は当然サンジのレディ専用アイには映らない。
 ショートのあの子もロングのこの子もそれはもう可愛い。女の子がいる、それだけでもうサンジにはどこでもパラダイスである。
 浮かれ気分でエースの脇をちょいちょい突付いた。

「なぁなぁ、どの子だよ?」
「あー、ホラあの桜の根元」
「根元…?」

 エースが指差すのに釣られて見遣った先には。

「―――へ」

 桜の木の下に死体が埋まっているとか言ったのは、一体誰だったか。
ていうか今すぐアレを踏み潰し、現場スコップで埋めても許されるだろうか。
 サンジの脳内をそんな言葉が踊った。
所謂、現実逃避である。
 思わずじりじり後ずさりするサンジの腕を、ぐっとエースが掴んだ。げ、と呻く金髪を無理矢理引っ張って歩かせる。

「ちょ、ちょっと待てよオイ」
「待ってるのはあっちだって。ホラ行くぞサンジ」
「イヤだから待てって!」

逃げ腰になるサンジをぐいぐい引っ張って、

「オラ起きろゾロ。お姫様連れてきてやったから」
「…んー…?」

とうとうそこに到達したエースの爪先が、こつんと死体未満―――ならぬお約束どおり寝扱けた少年をつつき、のどかにも桜の花弁を乗せた緑頭がのそりと起き上がった。

「…んだ、遅ェじゃねーか…あ?」

 焦点の合わないゾロの瞳が、サンジの姿を認めたと同時に思いっきり点になった。

「じゃじゃーん! 紹介しまーす、俺の幼馴染のロロノア・ゾロ君でーす! そんでこっちは、クラスメイトのサンジ君でーす!」
「………」
「………」

 ニカニカと満面の笑みを浮かべるエースを間に挟んで、普段通り仏頂面のゾロと、仰天顔のサンジはまさにお見合い状態。
 …というには、幾分果し合いの様相を呈していたが。

「あれ、なんだよお前ら、折角人が取り持ってやってんだから、もっと楽しそうに出来ねぇの?」
「―――出来るワケねーだろ!」

 サンジの上体がゆっくり傾ぎ、渾身の力を込めて振られた右足は呑気なクラスメイトを三メートルばかり蹴り飛ばした。



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 (2003.04.11)

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