かわいいひと 3





 見事桜の根元まで吹っ飛ばされたエースだったが、そこはサンジの友人に立候補するだけのことはありかなり丈夫に出来ているようである。
 ナニゴトも無かったように即座に立ち上がると、ゆるくウェーブの掛かった黒髪を手で直しながら、

「やれやれなんで乱暴するんだ。俺たち友達なのに」

なんてしれっと云ってみせるもんだから、サンジはキーッと歯を剥いて威嚇した。
 エースの言葉にゾロがほんの僅かその細い眉を顰めたのには当然気がつかない。

「おいエース! てめェ俺に女の子紹介するつったじゃねェか! このクソッタレマリモハゲのどこが素敵なお姉さまなんだよりによって俺が一番会いたくねー野郎じゃねェかウラァ!」
「エー? ボク女ノ子ダナンテ一言モ云ッテマセン」
「ってカタコトかよ!」

 隣に立つマリモハゲことロロノア・ゾロを指差しながら、怒髪天を突く勢いでエースに詰め寄るサンジの襟首を、不意に横から誰かがぐいっと掴んだ。
 引っ張られて仰け反った先には、それはもう不機嫌丸出しな顔をした少年がサンジをきつく睨みつけている。

「!」
「…よくもまぁ、好き勝手な事をほざきやがる」
「―――マリモ野郎。今すぐその手離しやがれ」
「アァ? 離したらてめェまた逃げんだろ。会いたくねェってのはどういうこった」
「…離せ」
「何度教室行ってもいねえいねえと思っちゃいたが、お前もしかして俺を避けてたのか?」
「離せっつってんだよ!」

 言葉と共にさっと身を縮めたサンジの片足が、風を切る音と共に背後に立つゾロへと真っ直ぐ伸ばされた。
 寸でのところでその気配を察したゾロは身を捩ってそれを避けたが、咄嗟に掴んだ襟首を離してしまい、態勢を立て直した少年から矢継ぎ早に繰り出される蹴り技のスピードとキレに肝を冷やす。

「何しやがるッ!」
「ウルセエ死ねッ、てめェなんか、てめェなんかッ!」

まるでだだを捏ねる子供のような口調だが、その攻撃はハンパじゃない。
 かろうじて両腕で急所をカバーしてはいるが、正面からそのキックを受け止めた肘がずぅん、と重く響くのにゾロは心底驚いた。

(細っこいカラダしてやがるくせに、やっぱコイツ、並じゃねェ…!)

などと感心している場合ではない。
 さしもの自分も丸腰では歯が立たぬ―――竹刀を教室に置いてきたことを一瞬悔やんだゾロは、「あ」とそもそもこの手の付けられぬ暴れん坊を連れて来た、人騒がせな幼馴染を思い出した。

「…おいエース! どうなってんだこりゃあ!」
「いやあ、お前さんも嫌われたモンだねえ」

ぎゃははは、と笑うエースに、ゾロの額にさっと青筋が浮いた。

「他人事だからってノンビリ構えてんじゃねェッ! …っと」

 余所見しながらの防御で生まれた隙に、サンジの右足が危うく顔面に入るところだった。
 ニヤニヤと地面に座り込んですっかり傍観体勢の友人に舌打ちしながら、なんとか相手の懐に入り込もうと間合いを計るが、少年は左右の足だけを駆使しているにも拘らず、一呼吸も置かずに攻撃を繰り出してくる。
 右の次は左、左の次にまた左。
頭、首、腹、脛、踝とことごとく人体の弱点を狙いながら、目まぐるしく立ち位置を変えるくせにそこには無駄が一切見られぬ。
 まるで演舞を見ているような流麗な動きにゾロは思わず気をとられ―――

「…ボケっとすんじゃねェよナメてんのかッ!」

一瞬だけ背中を向けたサンジが恐らく次に放つのは、彼の渾身の力を込めたバックショットで。

(ッ、ヤベエ)

避けられないと判断したゾロは全身に走るであろう衝撃を堪えるためぐっと全身に力を込め、その『時』に備えたが。

「あれ〜ナミちゃん、どーしたのこんなとこに!」
「へ―――ナナナナミさんッ!?」

エースの明るい声に気を取られたサンジが慌しくあちこち見回しながらその殺気をばたっと消したので、チャンスとばかりに顔前の丸い金色に拳骨を振り下ろした。










「で、俺にどーしろっつうの」

 不貞腐れた顔で下唇を突き出しながらそう訊ねるサンジの顔は、それはもうこれ以上ないっちゅうくらいの不満顔だ。
 もっともそれは自分を引っ掛けたエースに対してでも、容赦なく殴りつけたゾロに対してでもなく、あっさりひっかかった自分に対しての怒りから来るものではあった。

(…ナミさんがここに居るワケねぇっつーの俺…アホすぎだ)

 中学三年生にあがったばかりの彼女には、実のところ卒業以来いっぺんだって会っていない。
 以前のサンジなら卒業などものともせずアタックを続けただろうが、ゾロとの一件以来その生活がガラリと変わってしまったサンジである。
 また、最愛の女神と言えども仇敵のお身内とあらば、おいそれと追っかけるわけにも行かないのだ。
 サンジは現在、先ほどまでゾロが寝転がっていた桜の根元に、エースの調達してきた氷枕を脳天に乗せ、だらりと両足を伸ばして座っている。
 情けなくもゲンコ一発で一瞬意識を飛ばしてしまったサンジ少年は、ショック療法が効いたのか幾分大人しくなったようである。

「どーしろっつうか、えーとまず、お友達カラ?」
「この! 目つきの悪いキレイ系のカノジョ相手に! 俺が! お友達からどーしろっつうんだエース!」
「キレイ系ってなァなんだ」

 サンジとゾロ、同時に二人から睨まれたエースだが、そのニヤケ顔を少しも崩さないのはなかなかの度胸である。

「言っただろう? 旧知のヨシミで取り持ってやりてぇんだって」
「だから! 取り持つってなァどういう意味なんだよッ」

 流石にキレて立ち上がろうとしたサンジは、すぐに「アタタタ」と頭のてっぺんを押さえてへたり込み、うーんうーんと呻き出した。
 どうやら頭が考える事を拒否し始めたらしい。
ゾロはそんな少年の姿にハァと溜息を落とすと、隣の飄々とした男に向かい、

「エース。俺ァアンタに、コイツについて頼みごとをした覚えはねェ」
「うーん? まぁ、そりゃそうなんだけど」

なんつうの、協力したかったって言うかー、面白そうだったっていうか? などと女子高生よろしくエースが身をくねらせたので、ゾロもサンジも一気に脱力した。

「…自分のことは自分でなんとかする。悪ィが、ほっといてくれ」
「エーッ、そんなのつまんな」

ギロリと睨まれて、それ以上ゾロを揶揄い続けることはさしものエースにも不可能だった。

「…ちぇ。なんだよー、たまにはお兄ちゃんらしいことさせろっての」
「いつ俺とアンタが兄弟になったんだ」
「え、先じゃご親族じゃん俺たち! まぁ厳密に言うと、ナミちゃん介して従兄弟の間柄?」
「…ア?」

 聞き捨てならぬとんでもない発言を耳に止めたサンジが、がばっと勢い良くその頭を振り上げた。

「おおおおいエース、そりゃどういう」
「ナミちゃんいるだろ、剣豪のイトコの。あの子、俺の弟のカノジョ」
「―――ハァァァァァァ!?」
「いやァもう小っさい頃からラブラブでね、ありゃあ年が来たら即入籍間違いないね」
「嘘だろ…ナミさんに、男…?」

呆然と目を白黒させるサンジに、エースはあれえ? と首を傾げた。

「どーしたサンジ。もしかしてショック受けちゃったとか?」
「俺の、俺の女神に、入籍間違いなしの、男…」

ガクリ、とその場に伏したサンジに「あちゃあ」とエースはワザとらしく天を仰ぎ、ついでニッカリ笑って、

「まーいいじゃん! サンジにはこの未来の大剣豪がついてるし!」

ゾロの肩をばしんとはたいてそんなことを言ったもんだから、またしても逆上した少年にえいやっと足払いを掛けられた。
 上手いことひっくり返ったエースにさっと馬乗りになったサンジは、氷枕を頭に乗せたまま相手の制服の胸元を掴んで「コロスコロス」とがつんがつん揺さぶり始めたが、

「おい」

頭の上からきっちり無視していた男の声が降りてきて、仕方なくゆっくりその白皙を上げた。

「なんだよ」
「あんまそいつを責めるな。悪気があったワケじゃねェんだ」
「…っハ! 悪気がなくても悪ふざけが過ぎんじゃねェの?―――俺ァてめェらのオモチャじゃねぇんだよ」

ぎろり、と蒼い瞳に射抜かれるが、ゾロはあっさりとそれを往なす。

「オモチャだなんて思ってねェ。お前にそう思わせたんなら謝る」
「………」
「お前が俺を避ける理由も、なんとなく解る。―――あの晩のことだろ」

あの晩、と聞いた途端にサンジの顔にさっと朱が走った。
サンジは決まり悪げに視線を逸らし、

「…解ってんじゃねェか。だったら」
「解ってないのはお前だ」
「…アァ? てめェ、やっぱバッくれる気か!」

またしても逆上の気配を見せたサンジに、ゾロは思わず己の眉間に指を這わせ、寄せられた皺をぐいぐいと伸ばした。
 この少年のペースに合わせていたら、釣られて自分までキレそうになるからだ。

「俺はお前とは違う。逃げたりしねえ」
「…ッ…」

そこで一息ついたゾロはよし、と気合を込めると偉そうに腕組みし、尊大な態度で少年を見下ろしたまま言う。

「お前のワケの解らん御託はうんざりだ。おいお前、とっとと俺のもんになれ」
「―――はぁ!?」
「あ、違った。友達になってくれ」

 ビュウ、と風が吹いて、春の名残りの花弁がばぁっと散った。
 そのうちの一枚が呆気に取られたサンジの鼻先にぺたりとくっついて、ゾロは思わず(アホがいる)とクッと笑う。
 やがて午後の授業開始を告げるチャイムが鳴り、金髪の少年は反射的にふらりと立ち上がると、ゾロもエースも無視してヨロヨロと校舎に向かい歩き始めた。
 余りにも堂々としたその発言の意味を解するまで、サンジには少々時間が必要なようである。



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 (2003.08.21)

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