かわいいひと 7 |
7 どっかで聞いた声だ、とイヤな予感を感じつつ振り返った先にいたのは案の定なマリモ野郎で、 (…見なかったことにしよう) くるりともう半回転しサンジは作業の続きに取り掛かった。 気絶した状態で自転車に絡まってる男の襟首を掴んで剥がし、下に折り重なっている二台を車止めに乗せる。 おかしな方向に捩れたハンドルは片足で押さえて引っ張りなんとか見られる姿に戻したり、ぐらぐらしてるヘッドランプを繋ぎなおしたりと、思った以上にめんどくさい。 「手伝うか?」 「………」 マリモなんかに構ってる余裕はねェ、と無視を決め込んだサンジに、ゾロはやれやれと首の後ろを掻いた。 随分と嫌われたものである。 (特に悪いこたしてねェはずだがな?) サンジが耳にしたらキーキー怒るだろうが、周囲の惨状を見る限りゾロより彼のほうがよほど凶悪だ。 普段は平和そのものな駐輪場で、自転車や原付と人間が交互に折り重なっていたりひっくり返ったりしているのだから。 (しかしつくづく面白ェ) くたりと伸びたチンピラの介抱はほったらかしで懸命に自転車を片付けている少年の姿に、ゾロは苦笑を禁じえない。 恐らく両方ともがサンジの仕業なのだろうに。 (そういや野郎にゃ容赦ねェって話だったか) 彼の性情については従妹からかなり詳しく聞きだした。 大の女好きで手当たり次第にコクっては振られていたこと、でも全然挫けないこと。 目立つ行動とルックスからやたら不良に絡まれ易く、その都度きっちり返り討ちにしていること。但し相手が女子であればほぼ無抵抗でやられてしまうこと。 得意の料理はレストランを経営する叔父仕込みであること、その叔父と二人暮らしなこと、両親は早くに死別したこと。 片親だと告げたときサンジが見せた表情を思い出した。 つっけんどんだった態度を急転させたのはお人好しにありがちな同情ゆえと感じていたが、親近感も含まれていたかと後に気付いたゾロである。 (まァお人好しには違いねェが) 乱闘を終えてすぐさま片付けに入るヤンキーなんか見たことがない。喧嘩相手の家事を率先するのも然りだ。 生来の面倒臭がりで炊事洗濯はおろか人付き合いすら鬱陶しく感じるゾロに、サンジという人間はやたら新鮮に映った。 アホで突拍子もなくて面白い、もっと近くで見てみたい…なんて考える自分はもっと新鮮だ。 昨年の秋たった一晩を過ごした少年を追いかけて高校を変えたのはそんな単純な理由で、しかし目指すターゲットはおかしな誤解をしているらしくゾロが近づいても敬遠するばかりで埒が明かない。 (碌々ツラも合わせねェと来たもんだ) いい機会だとゾロはサンジが無視しているのを逆手に取り、気忙しく後始末している少年をまじまじと観察した。 横倒しになった原チャリを片手で易々と動かしている。 細腕に見合わず力もあるようだ。足の先で蹴り上げた人間はさほど大きな動きでもないのにえらく遠くまで移動した。 (足はやっぱ半端ねェな…お?) 感心しながら眺めていたら、そっぽを向いていたサンジがいきなりガッと小さな頭をゾロ側に振った。 肩を怒らせて歩み寄ってくる。 「…なんだ?」 「なんだじゃねェよ! ジロジロジロジロ、舐めるみてェに見てんじゃねェ! 気が散るってんだ!」 キシャーッと妖怪みたいな咆哮つきで怒鳴られて、流石にゾロも憮然とした。 まだ舐めてもいないのに舐めるみたいとは何事だ。 「邪魔だからとっとと帰っちまえ!」 「言われなくても帰る」 面白い男は同時にムカつく男でもあったのだった。 どっと疲れが増して、ゾロは言葉通り家に帰ることにした。 入学以来ずっと早朝から夕方まで部活でみっちり扱かれる日々を送り続け、さすがにくたびれている。授業中を睡眠にあててようやく体力を維持しているゾロだった。 踵を返し己の自転車へと向かう。 置いていた場所から僅かばかり移動していた自転車はサンジが倒した相手の下敷きになっており、ゾロはひょいと襟首を掴み上げ男を放り捨てた。 「―――おい待て!」 「あ? 帰れつったのはお前だろうが」 自転車を持ち上げた途端、追い出そうとした当の本人からストップがかかり、水を差されたゾロは慌てて走り寄ってくる少年を苛々と睨みつける。 「いまさら手伝えつってもやんねぇぞ」 「頼んでねェよボケ。ってそうじゃねェ、まさかたァ思うがてめェもチャリ泥棒かよ」 「あ?」 「ちょっとカッコイイからって」 「アホかこりゃ俺んだ」 エエーッ! と大音量で響いた絶叫にゾロはたまらず耳を塞いだ。 上げた少年は「まさか」「ふざけるな」と遠い目でブツブツ口元を動かしていて、不気味なこと極まりない。 やがてハッと覚醒したサンジは、変容を訝しむゾロへ向かい「証拠を見せろ」と詰め寄った。 「証拠だァ?」 「おうそーだ証拠だ。てめェみてーなクソだっせェ腹巻野郎がなんでこんなイイのに乗ってんだよ。ドサマギでパチろうとしてるとしか思えねェだろ?」 なあ、と同意を求めてくるサンジを背負った竹刀でぶっ飛ばさなかったのは、アホを斬っても刀の錆にしかならぬと思ったからだ。 「こりゃ貰いモンだ。…証拠ならあるぜ」 「え」 「サドル見てみろ俺の名前が入ってっから。ついでに鍵の暗証番号は一が四つ並びで、俺の誕生日をまんまつけた。あと腹巻は家でしか使ってねェ」 確認のためすぐさま自転車に取り付いたサンジは、サドルを支える銀色のポストにアルファベットで刻印されたその文字を見つけ、ひっと息を飲んだ。 「…特注かよ! どんだけボンボンなんだてめェ…」 「イヤ驚くなァそこじゃねェだろ。満足したか?」 言いがかりを咎める気は特になかったが、相手はそう感じたらしい。 白い頬をさっと赤く染め、蚊の鳴くように小さな声で詫びを入れてくる。 叱られた子供のような上目遣いに悪戯ッ気が湧いた。 「聞こえねェな。人を泥棒扱いしといてその態度かよ」 「こここのッ、…クソ、悪かったよすいませんね!」 「ゴメンで済んだら警察はいらねェって知ってるか? あァ、その前に傷害で捕まるべきだな」 言外に乱闘を匂わすと、短気な少年は反省もどこへやら、激しくゾロに食って掛かる。 「ふざけんな! 運良く俺が出くわさなかったら今頃てめェのチャリはこいつらに持ってかれてたんだぞ!? この恩知らず!」 (へえ) ゾロは場違いに感心した。 駐輪場の酷い有様は血の気の多いサンジが闇雲に暴れた結果かと思いきや、それなりの理由があったらしい。 しかし素直に礼を言うほど人間が出来てはいないゾロだ。 さりげなく自分の自転車に視線を遣って「おっ」と目を瞠る。 「…なんだよ」 「見てみろここ、キズがついてる」 「………」 「海外に消えた親父から贈られたもんなんだよコレ」 「へー…な、なんだよその目!」 「いや? 別に? しかし参ったな、修理は高ェし」 「―――つまり俺にどうしろってんだ…」 独り言めいたぼやきにお人好しが反応するのは、ゾロが思ったよりずっと早かった。 気づけばまたしてもいつの間にやらゾロの自宅に連れ込まれているサンジだった。 (なんでこんなことに…) 呆然としながら揺するフライパンの中身は大粒のアサリ。 帰りしなに寄った鮮魚店で購入したものだ。隣の寸胴鍋では熱湯の中、茹で上げ間近なパスタがぐらぐら揺れている。 アンティパストに用意したタコと水菜のカルパッチョは小皿に盛られて冷蔵庫で、これも買ったばかりのイタリアワインと共に出番を待っていた。 修理代代わりにとゾロが持ち出した条件は、夕食作り。 もっと難題を言いつけられると思い込んだサンジにとってはえらく拍子抜けなリクエストで、日々の小遣いにすら喘ぐ困窮少年は1も2もなくOKしてしまった…のだが。 (このシチュエーション、深く考えなくてもヤベェだろ) なし崩しで自分がドルチェにされそうなのは気のせいか。 (いやいや、酒さえ入ってなきゃマリモが襲ってきてもたいしたこたァねェ) 鍛えに鍛えた足技で撃退してやればいいだけだ、そう考えるのに不安は残る。 サンジとてアホではないので、メシなら自分のウチで、と提案してはみたのだ。 即座に「メンドくせェから嫌だ」と一蹴されたけれども。 (メンドーなのはどう考えたって俺のほうじゃねェか!) 臭み消しに投入した白ワインがコンロの炎を拾ってボウッ! と高く燃え上がる。 火を弱めてフライパンに蓋をし、シンクへ置いたザルにざばーっとパスタを流し込んだ。 摘んだ一本はちょっぴり芯の残った完璧なアルデンテで、こんなときでも冴え渡る己の才能に絶望しつつ、やっぱり腕は止まらない。 二人分の夕食はあっという間に完成し、サンジは気の進まぬままリビングで待つゾロの前に料理を並べた。 「今日は洋食か」 「…イタリアン、だ」 へー、と適当な相槌を寄越した男は、すぐにフォークを握ってガツガツ食い始める。 (あいかーらず、食いっぷりはいいな) 「んだ? 見てねェでお前も食え、美味ぇから」 「お、おう」 サンジはどきっとした。 食事に夢中なゾロが漏らした一言は、料理人を志す人間にとっては最大の賛美なのだ。 お世辞じゃないっぽいのも堪らない。 (クソったれ、こういうトコロは可愛げがあんのに…いやカワイイってなんだよ) 「…しっかりしろ俺、相手は強姦野郎だ」 自らに言い聞かせるよう思わず呟いた言葉を耳に入れたか、刻みパセリを唇にくっつけたゾロがひょいと片眉を上げた。 「お前まだそんな事ほざいてやがんのか」 「事実だろ。つーか、最初に侘びいれなきゃいけねェのはてめェのほうだろ普通。なんで俺が」 「ヤってねェよ」 「へ」 きょとんと大きく目を瞠った少年に苦笑し、 「ヤってねェ。お前が想像してるようなことは何もなかった。手前勝手に勘違いしてるだけだ」 「え、だって素っ裸だったんだぜ!? しかも同じベッドで」 「どこまで覚えてんだ? しこたま飲んでたのは判るよな」 こくりと金色頭を下げたのを確認して、ゾロは続ける。 「酔っ払ったお前が『暑い!』とか喚いていきなり全裸になって、その後『見てるだけで暑い!』つってムリヤリ俺の服まで剥ぎ取ったのは?」 「…えーと?」 「メンドくせェから好きにさせてやってたら今度は、眠いしなんか寒い、布団が足りねェ、って俺に抱きついて」 「ううう嘘だ!」 「嘘じゃねェ。勢いで倒された先がベッドだったからそん時は俺も焦ったが、お前はとっくに高鼾でなあ。聞いてるウチに俺も眠くなったからそのまんま寝た。…おい、次にコレ作るときは殻外してくれ。剥がすのがメンドくせェ」 「…んだ、そういうことかよ…」 ぱっかり開いたアサリをフォークでつついての発言なんか、サンジは当然聞いちゃいなかった。 ほけっと脱力しアホ度を倍まで上乗せした顔をしている。 「ホモになり損ねてガッカリしてんのか?」 「! バカ言ってんじゃねェ!」 悪人面でニイッと嗤われ現実に戻ったサンジは、かかーっと顔面に血を昇らせた。 興奮すると赤面しやすい性質ではあるが、ここまで赤くなったのは恐らく初めてのことだろう。 (はっ…恥ずかしい…ッ) サンジの過剰な反応をニヤニヤ笑って、あからさまに面白がってるゾロに文句を言う気力もない。 「…つーわけで、お前が俺を避ける理由はなくなった」 「え、あ、まあそういうコトになる…のか?」 「これからは遠慮なく付き合え」 「あ?」 「おい、これお替りあるか」 あれっと首を傾げたところに空になったパスタ皿を突き出され、咄嗟に受け取ってしまったサンジはいそいそとキッチンへ向かった。 (…なんか今、おかしくなかったか?) 何もなかったと告げられて安堵していいはずなのに、何故か心中を不安が過ぎる。 (ヤってねェから付き合え、って、でも付き合うってことはそういう…イヤ野郎同士でソッチに行くわけが) 自分の眉毛みたいに思考がぐるぐるし始めたサンジに、どっかり腰を下ろしたゾロから「酒もくれ」と声がかかる。 「態度がでけェんだよ!」 反射的に怒鳴り返しながら温め直した残り物を皿に移して、ついでに言われた通り流しの下から一升瓶を取り出すあたり、サンジは確実におつむのネジがゆるい。 それからはなんだかんだでやっぱり酒盛りとなり、やっぱり深酒をして前後不覚になったサンジである。 |
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(2008.02.05) |
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